本日は大日本帝國海軍艦船の迷彩いろいろから。

 

ちまたで話題になっている錯視迷彩で、島への擬態を目指した帝國海軍の航空母艦はいろいろある。

 

ヘッダー画像は、拙作の島へ擬態した錯視迷彩が施された瑞鶴だ。

 

実は、島と言いきっているが、それは20年前の主流の判断。当時は迷彩模様さえも明らかでは無かった。最近はこれも実は商船擬態だったのではないか、と分析が進んでいる。

 

兎に角この瑞鶴の錯視迷彩が有名であるが、瑞鶴と同じ島擬態迷彩を施した航空母艦が、

 

隼鷹(じゅんよう) →もしかしたら時期的に同型艦の飛鷹(ひよう)も施されたかもしれない。

雲龍(うんりゅう)

天城(あまぎ)

葛城(かつらぎ)

 

の4隻だ。

恐らく瑞鶴含め、錯視迷彩が写真に綺麗に撮影されているのは1946年末に撮影された隼鷹だけだ。しかし、戦後長い間放置され、迷彩塗装も剥げ落ちて不明瞭になっているところが残念だ。

 

この後に続々と出てくる航空母艦の迷彩は、あまり知られていないが、

 

伊吹(いぶき)

笠置(かさぎ)

阿蘇(あそ)

生駒(いこま)

 

の4隻にはなかなかユニークな迷彩が施されるようになっていく。

特にその中で面白いのが未成航空母艦『生駒』の対潜迷彩だ。

航空母艦『生駒』の右舷側写真。 背景の島と同化した船の後ろ半分。

そして前半分には、島のはるか先に見える島々のような迷彩になっている。

たまたまかもしれないが、船なのに、ここにずっといることを前提とした悲しい迷彩に感じられる。

そして航空母艦『生駒』の左舷側。

瀬戸内海の島々をイメージした、幼稚園児の卒園製作壁絵のような迷彩だ。

 

航空母艦『生駒』の作例は本当に少ない。

 

この他にも、分類が不能な錯視迷彩が施されていたのが、

 

大鳳(たいほう)

信濃(しなの)

鳳翔(ほうしょう)

雲鷹(うんよう)

沖鷹(ちゅうよう)

海鷹(かいよう)

 

の.6艦だ。

大鳳と信濃は、甲板の錯視迷彩がどのようになっていたのか全く不明だ。

大鳳はマリアナ沖海戦がおこなわれる前々日に塗装がしなおされた、という何とも不明瞭な記録が残るだけだ。

もしかしたら迷彩ではなく、軍艦色の塗り直しであることも完全に否定できない。

拙作の大鳳だが、現在甲板はそれまで知られていたラテックス甲板ではなく、木甲板であったことと併せ、迷彩有無が議論されている。

 

少なくとも多くの大御所が解釈されているとおり、舷側の対潜迷彩は恐らく施されたであろう。

 

信濃になると全くの謎だ。

鳳翔は、どちらかというと、空母阿蘇と同じような迷彩系の塗装になるのだろうか。

 

雲鷹は、甲板の詳細な模様が写る写真が現存するが、非公開となっている。

その写真を見られた方々が再現しているのがこちらの迷彩。

いったい何を目指していたのか更に謎だが、これは試行錯誤段階の迷彩であり、恐らくは商船擬態を目指した錯視迷彩であろうと言われている。四角い箇所は、当時の商船の標準装備であった、デリックで持ち上げるコンテナ状の積荷を、船へ収納するハッチを再現したものであろうと言われている。

 

軽巡洋艦や、重巡洋艦、戦艦、航空戦艦も1945年5月に入ると、ほぼ全ての残存艦へ迷彩塗装が施された。

 

戦艦長門、榛名、航空戦艦日向、伊勢にはなんちゃってダズル迷彩が施されている。

 

 

1945年10月の榛名のカラー写真。

 

 

 

重巡洋艦高雄、妙高へはセレター迷彩が施された。

 

軽巡洋艦『酒匂』には、何をしたいのか良く判らない迷彩が施された。色々と実験をしていたからだ、とも言われている。酒匂と言えば、ビキニ環礁での水爆実験では、ほぼ直上で水爆が爆発した。直撃を受けた多くの艦船が沈んでいく中、酒匂は爆心に最も近い船であったにもかかわらず、炎上しながらも沈まずに暫く堪えていた。

 

 

これも訳わからない秋津洲の迷彩。

 

 

迷彩パターンは、双葉社の「連合艦隊のすべて」「日本空母完全ガイド」あたりの書籍が参考になるので是非興味のある方は見ていただきたい。

 

 

超長い前置きはさておき、敵機コンペがそろそろ締め切りだ。

前回までで、本体は完成している😞💦

色塗りでバジェラ風にすることを宣言していたが、どうだろう。

 

全ては明日次第、と言ったところ。

今晩も模活できなかった。

 

早く切り上げられればパパさんやカムロさんの展示会見に行きたかった。

 

間に合わなかったです。ごめんなさい😫

勿論神宮も間に合わなかった。

 

帰りは久しぶりに京王ライナー。

 

 

 

では、お休みなさい😌🌃💤