本日より75年前の未明、東京下町は初めてのB-29による低空絨毯爆撃を受け、約80,000名の一般市民が一晩で亡くなりました。地上での火災旋風も被害を甚大にしたと言われています。
熱かったでしょう。
痛かったでしょう。
目の前で多くの方が自分の肉親の惨状を目撃したでしょう。
亡くなられた方は、どうか安らかにお眠りください。
一方、市民の被害状況は日本人であれば、大方耳にしたことがあるかもしれませんが、アメリカ軍の損害は語られることは多くありません。3月10日は、14機のB-29が撃墜され、更に多くの機体も撃破されてます。
地上の対空砲だけでなく、戦闘機による迎撃、空対空奮進爆弾(今で言う空対空ミサイル)、体当たりなどなど、日本軍の抵抗も激しいものがあり、アメリカ軍側からすれば、爆撃任務も死と隣り合わせだったことがわかります。
特に厚木の海軍航空隊は、強力な迎撃能力を終戦日まで維持し、天皇陛下による武装解除命令にも従わなかった(負けている気になっていなかったと言われてます)のは有名な話。
ボーイング B-29 フライングフォートレスの損害は、次の通りです。
総生産機数 3,970機
被撃墜機数 714~750機くらい(諸説有・機体放棄含)被破壊機数 約2,700機
戦死搭乗員数 3,000名以上
※昔の自由研究のノート写してるけど間違えていたら教えてね。
震電やジェット戦闘機の橘花が、10サンチ高角砲が量産されていたら、更に被害は増えたことでしょう。
恐怖のあまり、発狂して戦後廃人になった方も多かった。
私が老人から聞く、悠々と空を飛ぶB-29のイメージとはかけ離れた大きな損害。
亡くなられた方の多い少ないの議論ではなく、アメリカ人も多くの方が亡くなられている現実。日本人の自虐史観から、本質的な戦争の愚かさがズレて語られてきてしまい、敵国だった方の被害に目を向けない様になり、真実を知る人の口を閉じさせてしまったこともあります。
不時着し、命は助かった搭乗員が市民に見つかって撲殺されたり、串刺しにされたり。多くの搭乗員にも家族が居て、普通に幸せな生活を望んでいたに違いないでしょう。
戦争は多くの人間を狂わせてしまいます。そういったことも記憶していかなければなりません。
75年前に亡くなられた全ての方のご冥福をお祈り申し上げます。