[2242]「米のエルサレム首都承認」問題 を徹底的に解説した。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
トランプ米大統領が、12月6日に、「エルサレムをイスラエルの首都と、アメリカ政府は承認する」という声明を出した。
これは、1995年に出来たアメリカの「イスラエル首都法」という法律を、ようやくトランプ大統領が、実施したものである。
だからアメリカの民主党の議員たちでさえ何も騒いでいない。
このことで、アラブ、イスラム諸国は大騒ぎになっている。
日本でも、すぐに訳も分からず、動物的な勘だけで、「また戦争が起きるんじゃないの」と、言い出す人たちが出ている。
そういうことは無い。
何にも知識がなくて、新聞記事を読んだ程度で、すぐに、自分はインテリで世界のことを知っている、と思い込む。
私は、この際だから、エルサレムが作られてからの、3200年間の あの地域の 歴史の 全体像を、日本人に大きな理解を与えようと思い立った。
それで、すぐに準備を始めた。
最新の今日のぼやき「2009」番で、私は、徹底的にこの問題を解説したので、読みにいってください。
私たちは、もっと歴史を勉強をしなければいけない。
いつも、歴史年表と 世界地図帳(日本地図も) を手元に置いて、気になったことがあったら、すぐに、自分で調べる、という癖(くせ)、生活慣習 habit を身につけないといけない。
ネット(ウエブ上)の記事を、適当に読み散らして、それで分かった気になるな。
コツコツと、自分の頭で、丁寧に、 歴史事実の 概要を、大きな見方でいいからしなければいけない。
今回は、「イスラエル、パレスチナ 問題」とは何々かを、私、副島隆彦が、徹底的に、長い歴史( 3200年前からの)を遡(さかのぼ)って解説したので、じっくりと読んでください。
読み飛ばしをしてはいけない。
しっかりと、1行ずつ、文章を読んで、自分の頭を使って考えて、「本当にそうなのか」と疑いながら、そのとを確認しよう(他の文献や、年表で確認する)として、自分でメモを取りながら、歴史事実を確認しながら読みなさい。
この丹念な作業が出来ない人は、 ただのお庶民で、人生を終わる。
それでいいじゃなか、という人は、もう、ここの学問道場には、寄り付かないようになった。
もっと歴史の勉強をしなさい。
自分の気に入った小説を読み飛ばして、それで、自分は読書人(どくしょじん)だと、思い込まないように。
「エルサレム“首都”抗議デモで3人死亡 」
イスラム諸国、対抗して「東エルサレムはパレスチナの首都」
○ 「東エルサレムはパレスチナの首都」と宣言
http://www.news24.jp/articles/2017/12/14/10380480.html?cx_recsclick=0
「2009」番 「トランプが、エルサレムを首都承認した」問題を徹底的に解説する。日本人は、中東アラブ、イスラエル問題を大きく理解するために、歴史を勉強するべきだ(前編)。 副島隆彦 2017.12.19 」
http://www.snsi.jp/tops/kouhou
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この12月6日に、トランプ大統領が、「イスラエル国の首都はエルサレムである、とアメリカ政府は認める」という声明を出した。
これでアラブ、イスラム諸国が大騒ぎになった。
抗議するパレスチナ人に死者も出ている。
これが一体どういうことかを、知識人層でも日本人は理解できていない。
私たちは、今のイスラエル国の地 = パレスチナ であることをはっきりと知るために、歴史の勉強をするべきだ、ということで、徹底的に、私が、解説します。
私、副島隆彦は、イスラエル(ユダヤ教徒)、イスラム教諸国の両方の立場、主張を大きく説明することで、皆の理解を得ようと思う。
いまイスラエル国(人口はたったの850万人ぐらい。千葉県ぐらい)は、一番大きな都市であるテルアビブから東に100キ行ったところの西エルサレムに首都があります。
アメリカ政府は、今はテルアビブにあるアメリカ大使館を、エルサレムの西側の高層ビルも建っている地区に少しずつ移していくと決定した。
これを今から4~5年かけて実行すると、言っています。
アメリカ政府が自国の大使館をイスラエル国内のどこに置こうが、建物は、お金さえ払えば買ったり借りたりできる。
今はエルサレムの旧市街ではなくて、その外側のビルがたくさん建っているきれいなところにビザを発給するアメリカ領事官があり、そのそばに大使館も持ってくるとトランプが言っただけのことのだ。
それでも大騒ぎ。
それは、ここに至る、長い歴史がある。
それは、今から3200年前(紀元前1200年)に遡(さかのぼ)る。
(写真への解説。手前の「岩のドーム」(Dome of the Rock ) というキンキラキンのイスラム教のモスクの向こう側の高層ビル群が、西エルサレム。ここにアメリカ大使館を移す、という、トランプの発表である )
アメリカがエルサレムを首都と認めると言っただけで、中東が、また戦争になるのではないか、と日本人は、訳も分からず、不安になる。
知識がものすごく不足しているからだ。
何やら、むずかしい解説(文)だけは、日本のテレビ、新聞はする。
パレスチナ人を初めとするイスラム教徒たちが世界中で騒ぎ出していると言っています。]
それは日本の知識階級を含めて知識がないからです。
私、副島隆彦の結論は、「トランプがアメリカの大使館をテルアビブから西エルサレムに移したからといってたいした事にはならない。ただし日本人は、大きな理解で歴史を勉強しなければ」である。
アラビア人、イスラム教徒たちが騒ぎ出して大変なことになると勝手に思い込むのは知能、知恵(=知識)が足りないからだ。
私が、これから本気で説明しますから、よく理解してください。
日本の知識階級も、新聞記者たちも政治家も、大学教授たちでさえ、以下に私が話すことを、大きく理解できていない。
それはイスラエルの建国以来のことがよくわからないし、報道があまりされないからだ。
この建国には、1948年(今からたったの70年前)と、もうひとつ、今から何と3200年前の、紀元前1200年(ごろ)の、ふたつの建国があるからだ(笑い)。
としか、私は言いようがない。
このことをまず、言っておきます。
「それは何のことですか」と疑問に思っていいから、私の話に耳を傾けなさい。
ここで、この問題で 現地ルポした新聞記事を一本、ここに載せておきます。
共存脅かす首都認定、深まる苦悩 ルポ・エルサレム
2017/12/17 日経新聞 ( エルサレムで飛田雅則 )
エルサレムの現地は、落ち着いて来ています。
私の話を続けます。
まず、エルサレムぐらいは誰でも知っています。
ここにイエス・キリスト様も入ってきて、そのたった1年後の、紀元後30(AD30)年に、処刑された。
36歳だった。
世界史の年号は、キリストが生まれた年が「紀元1年、元年」と決まっている。
が、西洋暦(太陽暦、グレゴリオ暦の修正)で計算し直したら、紀元前6年だったようだ。
だからイエスは36歳でエルサレムで処刑された。
私は、徹底的に話します が、聖地エルサレムの東側にやや高い処(ところ)があって、そこを「神殿の丘」という。
これをまず覚えなさい。
アラビア語では、アルハラムアルシャリーフ(al-Haram al-Sharif)という。
これは長方形をしていて、周りは30メートルぐらい城壁で囲まれている。
ここが神殿であり、古代からの王宮でもある。
この中央というか、北のほうに、例の金ピカの「岩のドーム」そして、南側にアル=アクサー・モスクがある。
前掲した地図で確認してください。
長方形で縦300メートル、横100メートルぐらいあると思う。
ここは神聖なる聖地であり、今はイスラム教の寺院(モスク)が2つある、ということだ。
この岩のドームから、預言者(イスラム教の創業者)ムハンマドが昇天(ascension、 アセンション)した、となっている。
この神殿の丘に連なる南側にシオンの丘(ザイオンの丘)が続いている。
このシオンZion の丘への、ヨーロッパ諸国からの、虐められたユダヤ人たちの、帰還運動(何と3200年ぶりの)を、 Zionism (シオニズム、ザイオニズム))という。
1896年の、フランスで起きたドレフユス事件(1894年)のあと、・テオドール・ヘルツル Herzl という男が、ウイーンで、そしてスイスのバーゼルで、1897年に、「さあ私たちは、エルサレム(シオンの丘)に帰って、建国しよう」運動を始めた。
これで、今のイスラエルとパレスチナの骨肉の紛争が起きた。
左翼知識人たちだったら、一応、誰でも知っている、このシオニズムの話は、一端、横に置く。
このユダヤ教の最も神聖な神殿が、至聖所(しせいじょ。Oracle オラクル)と言う。
ますこのコトバを知りなさい。
ここが今は、だから、岩のドームになっている。
だから、大ゲンカになるのだ。
アラビア語でクバ・アルサクラ Qubba al-sakhra という。
そしてその南に、もう一つアル=アクサー・モスクがある。
この「岩のドーム」は西暦690年に、預言者ムハンマドの娘婿アリーによってつくられたらしい。
そして20年後ぐらいの710年に南のアル=アクサー・モスクもつくられた。
だから今は、「神殿の丘」にイスラム教の寺院が二つあるわけだ。
壁には青いタイルが張られ、丸屋根(ドーム)は、きらきら輝いているのが岩のドーム。
ここがもともとは何だったかは、これから詳しく話します。
もともとはユダヤ教の最も聖なる場所だ。
日本語で至聖所と訳す。
だから皆、分からなくなる。
知識人たちも。
いいですか、知ったかぶりはナシですよ。
英語ではオラクル(Oracle)という。
オラクルとは、巫女(みこ)とか、預言をする神官をいう。
神の言葉を人々につなぐ人で預言者と言ってもいい。
これは、古代ギリシャではデルフォイ(Delphoi)という都市にあって、このデルフォイの巫女たちがオラクル。
そして、神託(しんたく)、ご託宣(たくせん)もオラクルだ。
もともとユダヤ教の聖なる場所だったこの至聖所(オラクル)ができたのは、紀元前1200年ぐらいだ。
紀元前1250年に、モーセがユダヤ人たちを引き連れてエジプトから脱出した。
この紀元前1250年 を、あなたが、本当に知識人でありたければ覚えてください。
そしてモーセたちは、40年間シナイ半島をさまよった。
この紀元前1250年からの話を、『出(しゅつ)エジプト記』 Exodus (エグソダス)という。
これがユダヤ教の唯一、最高の聖典だ。
この他に、後に、「モーセ5書」 Torah トーラと呼ばれる、『創世記』(Genesis ジェネシス)とか、『ダニエル記』とか、『ヨシュア記』、『申命(しんめい記)』とか、私、副島隆彦も名前しか知らないが、後から出てきた『エゼキエル書』などとは、較(くら)べものにならないぐらい、『出エジプト記』は重要だ。
なぜなら、他の 『創世記』(天地創造から書いている)やらは、紀元前3000年ぐらいの、メソポタミア文明(チグリス、ユーフラテス河の地帯)の帝国や王国の話から、創作したものだからだ。
モーセたちが、エジプトから出てきた人々だ、ということは、このあと、ユダヤ人、を名乗り始める、モーセたちは、真実は、エジプト人なのだ。
このことは、今も言ってはいけないことになっている。
だが、世界中で、気づいている人たち(本当に頭のいい人たち)は気づいている。
どうも、ヒッタイト(ヒッティー)帝国(紀元前1600年頃、トルコで生まれて、最強になる)と、エジプトの王朝(帝国)が、地中海沿岸(すなわち、フェニキアや、パレスチナや、今のシリアあたり)を、奪い合う戦争を、ずっと続けた。
決着がつかないので、停戦、休戦、そして平和条約を結んだ。
その証拠は、重要な歴史資料として、双方の帝国に残っている。
世界史をきちんと勉強した人は、皆、このことを知っている。
だから真実だと証明された。
詳しく書くと、BC(紀元前)1300年丁度に、ヒッタイトのムワタリ王 と、エジプトのラムセス2世が、カデシュというところで戦った。
なかなか決着が付かないので、4年後に、ヒッタイトの後継者の王のハットシャリ王 と、 ラムセス2世が、交渉をして、平和条約(=講和条約、戦争終結条約)を結んだ。
その文書が、今も双方に残っている。
それから34年後が、BC1250年で、モーセたちが、ぞろぞろと、「出エジプト」で、カナーンの地(パレスチナ)に向かって出発、移動 し始ののだ。
そして50年後の、BC1200ぐらいから、入植、植民した。
都市を築いて塀を回らし、礼拝所(だからこれが至聖所だ。後に、神殿の丘になる)を作って、先住民である、カナーン人や、アモリ人や、アッカド人と戦って、領土を作っていった。
それでも、ずっとしぶとく、パレスチナ人( ペリシテ人 = ファラシー )はずっと、ずっとこの地に残り続けた。
だから、モーセたちは、実は、エジプトを、自発的に脱出したのではなくて、どうも、「あっちの方に、北の方に、カナーンという豊かな土地があるから、移民、植民しにゆけ」とエジプト王(ラムセス2世)に言われて、屯田兵(とんでんへい、パイオニア、開拓農民 )のようにして、移動していったエジプト人だろう。
こう考えないと自然ではない。
ただし、モーセたちは、この次期に、すでに強烈な宗教を作り始めたようだ。
彼らが、このあと、「自分たちは、ユダヤ人だ」と言いだし、ユダヤ思想(ユダヤ教)を創作して、自らをユダヤ人だと名乗り、( だが、さらに真実は、現在のユダヤ教が成立したのは、紀元後200年代の、ミシュナー が、成立し始めた頃だ)そして、今のイスラエル(ここを別名パレスチナという)を作ったのだ。
だから、エジプト人の貧しい農民たちが、ヒッタイト帝国が、完全には支配しきれなかった辺境の地で、どちらの領土だとも確定していなかった、カナーンの土地(パレスチナ)に、次から次に、勝手のどんどん入植してきた、というが真実だろう。
この時期のこと書いているから、『出エジプト記』という本(ビブロ)が、唯一の、最高の経典、聖典(Canon 、キャノン、啓典)であり、世界史上の重要資料だ。
モーセは途中で死にました(紀元前1210年とされる)が、その10年後の紀元前1200年ごろ、モーセの後継者のヨシュア Joshua と、それよりも早く、女預言者で弟子のデボラ と 指揮官のバラクの2人が、ユダヤ人たちを引き連れて、「カナーンの地」「約束の地」である今のパレスチナに到着した。
そして、おそらく今のエルサレムを本拠地として丘に、自分たちの宗教のための礼拝所を作っただろう。
それが前述した至聖所(オラクル)だ。
モーセの跡継ぎのヨシュアは、頭が良くて、強力な指導者だったようだ。
入植した先で、「敵たち」を打ち破ってゆく。
このユダヤ人(エジプトから北上してユダヤ人になった人たち)たちは、今の エルサレムから北東に 50キロぐらい行った、エリコ という都市から、侵入、侵攻したようだ。
そして、「旧約聖書」の 「列王記」を 読むと、激しい闘いを、カナーン人やパレスチナ人たちと、200年ぐらい続けている。
いや、もっと後までだ。
恐ろしいぐらいの残酷な戦いであって、名君の 始まりの、紀元前丁度1000年の、サウル王( その次が、英雄でもある ダビデ王)は、戦いに負けて、息子たちと、皮を剥がれて、敵の城壁に、死体をずらーと吊されていた。
こういう話が、ずっと続く。
その応酬だ。
それが、旧約聖書だ。
だけど、これは、当時のユダヤ人たちが残酷だったということではなくて、この時代は、メソポタミア文明の、他の文明も、そういう 激しい殺し合い をずっとやったのだ。
それが人類の歴史だ。
モーセの時代から200年後、丁度、紀元前1000年のダビデ王の子で、後継ぎの ソロモン王(紀元前967年、王位に)が、至聖所を大修理して立派にしたので、これを、今も King Solomon’s Temple 「ソロモン王の神殿」と呼ぶ。
これは英語だが、この時からが、「第1神殿時代」だ。
今もこの呼び名だ。
そして、ここが、現在は、イスラム教では、アルハラム・アルシャリーフ「神殿の丘」だ。
そしてここにイスラム教の寺院が2つある。
きらきら輝く丸屋根の、岩のドームは、故にもともとはユダヤ教の至聖所だ。
きらきら輝く丸屋根の、岩のドームは、故にもともとはユダヤ教の至聖所だ。
モーセたちは、自らユダヤ人 (Jews ジュー)を創作し、成り、そして唯一神のヤハウエだけを信じると、した。
だが、このヤハウエ Yahweh (あるいは、エホバ Jehovah )は、本当は、エジプトで紀元前1300年頃に起きた、アマルナ革命を、憎んでひどく嫌った、神官の集団である、アメン神なのではないか。
アメン神官の集団が、神そのものだったろう。
アーメン Amen というコトバは、ものすごく重要だ。
誰でも知っている。
ところが、この「アーメン」について、欧米の神学者も歴史学者たちも、世界中で、「祈りのコトバだ」と、むにゃむにゃ言うだけで、何も明らかにしない。
このアメン神、あるいはヤハウエへの捧(ささ)げ物(これがホロコースト)として、至聖所の中の脇で、殺した羊の血を抜いて献上した。
しかし、本当の本当は、「私たち神への信仰を証明するために、自分の長男坊の男の子を殺して、献げよ」だったようだ。
だから「神殿の丘」の周りに、紀元前1200年から、現在は旧市街にとい街にユダヤ人たちが住んだ。
丁度、紀元前1000年ぐらいが、ダビデ王の時代だ。
この年号を覚えなさい。
正確には、ダビデが、前サウル王の死で、跡を継いだのは、紀元前997年だ。
この時が、イスラエル王国 が一番栄えた時代で、サウロとダビデとソロモン、の3人の王の統治がそれぞれ30年ぐらいずつ続いた。
このときユダヤ民族は、大繁栄した。
そして3人目のソロモン王(キング・ソロモン)の息子が、アブサロムで、こいつは能力がなかったために父親の偉業を継げず衰退が始まった。
欧米白人は、自分のバカ息子のことを、「ああ、アブサロム、アブサロム」と嘆く。
今は紀元後2000年ちょっとなので、ユダヤの3人の名君(優れた王)に時代から3000年たっている。
だが、イスラエルが、帝国(エンパイア)だったことは一度もない。
イスラエル(ユダヤ民族)は、いつの時代も、周囲の強国(覇権国、帝国)に脅かされた。
あるいは屈服しした属州、朝貢国(ちょうこうこく)だった。
3000間、ずっとそうなのだ。
このことを、日本人の知識層でも自覚がない。
ヒッタイト帝国が滅んだ跡の、アッシリアや、新バビロニアや、アケメネス朝ペルシア帝国などの帝国のことを、しっかり知っている日本人は、あまりいない。
勉強不足というよりも、知恵(知能)が足りないのだ。
さて今回のエルサレムの首都認定問題で、一番強硬なのは、ニューヨークに住んでいるユダヤ人の金持ちたちだ。
イスラエルの人口は850万人ぐらいだ。
このうちユダヤ人は600万人ぐらい。
残りはアラブ人でほぼパレスチナ人。
ユダヤ人と結婚したり、合いの子になっていたりして複雑だ。
ユダヤ人も、アラブ人も 人種的には同じセム族 Semite セマイトという。
だから、反ユダヤ主義の人種差別を、 anti -Semitism アンチ(アンタイ)セミティズム という。
ところが、アメリカ合衆国には800万人ぐらいのユダヤ人がいる。
本当は2000万人いる。
これをクローゼット・ジュー Closet Jews 、 隠れユダヤ人という。
表面上はアメリカ白人でキリスト教徒のふりをしている。
だが、ユダヤ人の血が混じっている。
例えばヒラリー・ロッダム・クリントンなどは、ロッダム家は、オランダからやってきた商人の家系だ。
だからユダヤ系だ。
だから、ヒラリーはニューヨーク州選出の上院議員にもなれた。
ニューヨーク州は、ジューヨーク “ Jew York “ と言われるぐらいユダヤ人が非常に強いところで、大金持ち、経営者がたくさんいる。
彼らがトランプを突き上げた。
トランプが、ユダヤ人の団体に、大統領選挙中に公言して約束とおりに、どうしてもエルサレムを首都と認めよ、ということだ。
そして、この決定は、実は、アメリカ民主党の 決議でもある。
1995年に「イスラエル首都法」という法律が出来て、クリントンもオバマも、「エルサレムを首都と認める」の立場だったのだ。
だから、今回、よごれきったアメリカのリベラル派勢力である民主党は、トランプを一切、全く、何も批判しない。
面白い現象だ。
ここに今は二つのイスラム教徒のモスクがあるが、それらをぶち壊して、もともとのユダヤ教の神殿、すなわちKing Solomon's Temple に戻したい。
Temple テンプルを、日本語では、お寺と訳して、神社のことをShrine シュラインと言うと決めている、が、それは日本人が勝手に言っただけで、このコトバの区別がつく日本人の知識人はいないだろう。
だから、ユダヤ人たちは、今の岩のドームをぶち壊してKing Solomon's Templeを復活させたい。
元々の、3200年前に、戻したい(笑い)。
しかし、それをやったらどうなるか。
本当に第3次世界大戦だ。
世界中に18億人のイスラム教徒がいる、東アジアのマレーシアやインドネシアもイスラム教国だから、黙っていません。
おそらく、怒ったイスラム教徒が、自爆攻撃(スーサイダル・ボミング suicidal bombing )の突撃隊となって、これが何千人か何万人では済まなくなる。
だから、そんな「モスクをぶっ壊すこと」は絶対にできない。
しかし首都と認定する、ぐらいは出来るし、やりたかったのだ。
エルサレムの旧市街を、地図で示すと(前掲の写真をもう一度、しっかり見なさい)4つに分かれている。
南のほうにアルメニア正教の人たち。
アルメニア人が何百人が住んでいる。
これはキリスト教の古い宗教だ。
アルメニア国はトルコの東側にありますが、苦難を背負った商業民族で、ユダヤ人とよく似ていると言われています。
私は、最近、1918年に、トルコによってアルメニア人が、150万人、虐殺された、という最新の映画を見た。
アルメニア問題は今日は話さない。
エルサレムの旧市街の西側はキリスト教徒、そして北側にイスラム教徒であるパレスチナ人に地区。
パレスチナ人たちは貧乏です。
物売りを懸命にしながらエルサレムに住んでいる。
観光客相手の汚い土産物屋は、全部パレスチナ人だ。
ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)沿いはずっとパレスチナ人の物売りたちだ、と、現地に行った編集長が言った。
そして当然のように、現在の支配者であるイスラエル人が、威張って住んでいる。
彼らが差別されて身を縮めていた時代が何百年もあったのだろうが。
このように旧市街は四つに分かれている。
旧市街のキリスト教徒地区に、キリストが捕まって、連れていかれて、このあとすぐに磔刑(たっけい。はりつけ、磔=はりつけ=の刑)にされた場所と言われる「聖墳墓教会」(せいふんぼきょうかい)があります。
旧市街のキリスト教徒地区に、キリストが捕まって、連れていかれて、このあとすぐに磔刑(たっけい。はりつけ、磔=はりつけ=の刑)にされた場所と言われる「聖墳墓教会」(せいふんぼきょうかい)があります。
ここがゴルゴダの丘、そのものだ。
キリストが処刑されたのは、副島隆彦は決めつけるが、前述したとおり、紀元後30年だ(36歳)。
聖書にはゴルゴダの丘とかゲッセマネの園(ここで捕まったとも聖書に書いてある)とかが出てくる。
このゴルゴダの丘、すなわち今の聖墳墓教会とは、イエス・キリストを応援していた金持ちの屋敷の庭らしい。
この考え(学説)が最近は一番、強い。
ここで、ついでに言っておくが、エルサレムの南、10キロぐらいのところにある ベツレヘムで、そこの馬小屋で、イエスが生まれた、となっている。
これは、今では、真っ赤なウソだ。
世界中でバレている。
イエスは、「ナザレ Nazareth のイエス」なのであって、北の方の ナザレで、生まれて育った。
そして、30歳から、自分の信念に基づいて、「私は、人類(人間全部)を大事にしたい。救いたい」という、それまでの人類史に存在しない、全く新しい、救済(サルベーション)のための宗教を始めた。
だからエイスは、偉大なのだ。
だから、キリスト教が、彼の死後、爆発的に、世界中に広がった。
インドのお釈迦さま(ゴータマ・ブッダ)も、それからイスラム教のムハンマドも、この救済(サルベイション)の思想を説いたので、それで、世界中にドカーンと広がったのだ。
「人間を大事に扱え。女たちを虐(いじ)めるな。人間を動物みたいに扱うな」と主張したから、それで世界宗教になった。
残念ながらユダヤ教は、そういう宗教ではない。
だから広がらなかった。
イエスは、36歳で死んでいるから、布教活動は、たったの6年間だ。
ナザレから東のガリラヤ湖の周辺をうろうろして、それから、ヨルダン川を南に下(くだ)って、洗礼者(バプテスマの)ヨハネ John の洗礼(バプタイズ)を受けた。
それから、エルサレムに入った。
旧市街の中を自由に動き回ったとは思わない。
すでに、イエスの布教活動は、ローマ帝国からの現地派遣の軍事総督(ぐんじそうとく。pro consul プロコンサルの ピラト(Pilate ピラトゥス、 パイラト)にとって、危険な扇動者(ゲマゴーグ)と見なされていたようだ。
ナザレは、イスラエルの北の方の、ガリラヤ湖 Sea of Galilee の西の方だ。そして、エイスの真実の奥様であり弟子(使徒、アプストル)でもあった マグダラのマリア Magdalene Maria の生まれ育ったマグラダ Magdala の町が、ガラリア湖のほとりにある。
イエスが布教を始めて、1年後ぐらいの 31歳(紀元後25年)にマリアと出会って結婚した。
そして、一緒に布教の流浪を続けた。
まわりに信者として弟子(使徒)たちが出来た。
イエスは、普通の男で有り、人間で有り、奥さんと、子供もいた。
父 ヨセフ Joseph は、 言われているような、ただの貧しい大工ではないだろう。
それなりの家の出の人だったようだ。
そうでなければ、イエスがそれなりの教養を身につける事は出来ないし、まわりから尊敬されない。
イエスは、ただの人間であり、普通の男である。
このことを言うと、ローマ・カトリック教会が非常に困るのだ。
ローマ教会ことは、大嘘つきで、人類の諸悪の根源である。
私、副島隆彦が、このことをずっと書き続けるので、だから、私は、いよいよ、日本の土人の支配階級(エスタブリッシュメント)から嫌われる。
でも、私は黙らない。
イエスは普通の人間だった。
この思想を説くのが、欧米の、独特のプロテスタントの一種である、ユニテリアン =フリーメイソンの思想だ。
イエスが、殺されるまで、どのように6年間、布教したかは、ここではもう書かない。
イエスは「最後の晩餐(ばんさん)」をした、エルサレムの市街の外の、イエスの支持者の家で、12人の弟子たちと一緒に土間に、寝ていた。
そこを突然、ローマ兵に襲撃されて、イエスだけが捕まった。
ほかの弟子たちは逃げた。
そして、捕まった次の日の朝には、もう、そこから1キロぐらい離れた今の聖墳墓教会(せいふんぼきょうかい)の場所にローマ兵たちが、十字架を組み、さっさと殺してしまった。
ピラトの命令だけで、裁判もなければ何もなかったはずだ。
後で、またこの話をします。




