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ばあちゃんの一周忌で、形見分けではないけれど
ばあちゃんが保管していたkimimatsuの子供の頃の写真を伯母が整理して、譲ってくれた。
実家を出る時
ほとんど置いて来てしまい、
それらは母と一緒に燃えてしまったので、久しぶりに幼い頃の自分とご対面だ。
我が家にもあったなぁっていう懐かしい写真、
初めて見るような写真、
『カメラを向けると笑わずにツンとすます子だった』
一番撮ってくれたじいちゃんが嘆いていた事も思い出した。
思春期に両親が離婚したり、
父が早くに亡くなったり、
母の再婚や再婚相手との確執、
結構苦労をしょいこんでいた気になっていたけれど、
写真の中の幼い自分は
紛れなく愛情の中にいて
幸せいっぱいの顔をしていた。
自分が離婚した時
『あんたもママ(母トミコのこと)と同じになっちゃったじゃないのよ!』
伯母は責めた。
自分に損がないように立ち回った前夫が
『おまえの伯母さん、俺がちょっと言ったら
お前の悪口言うわ、言うわ。
お前伯母さんに嫌われてたのな』
そう最後に言った。
前夫はもういらない存在だったけど
自分の今まで信じてきたものが壊れていったように感じ
それ以来伯母には距離を置いてしまっている。
『おばちゃんはあんたが伯父さんやおじいちゃんに
一番可愛がられていることをよく思っていないから気をつけな』
生前母トミコもぽつりと言ったことがあった。
あー、そういえばあの時
あの時も
色々とよくないことばかりなぜか鮮明に思い出す。
それが不幸の呪文のようにいつもついて回り、
『もしかして愛されずに育ち、誰からも愛されないのだろうか?』
そんな風に暗く考えた時期もあった。
再婚し、幸せな日々を送る今でも
『この幸せは今だけ?』
急になにもかもなくなるような不安を感じることもあった。
それはオットに何も問題がなく、
ただ自分の心の問題なのだけど、呪縛はいつもついてまわっていた。
それが写真を一枚一枚見るうちに
たしかに自分は愛されていた。
父と母は愛し合っていた。
自分は幸せだった。
へんな呪縛からようやく解かれたような気がした。
写真に写る、じいちゃん、ばあちゃん、父、トミコ、
みんなもう生きてはいないけど写真の中からいつも笑いかけてくれるんだなぁ。
ばあちゃんの一周忌は自分にとっても何かの節目になった気がする。
