真行寺君枝

 

 

 

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おはようございます

 

本日もよろしくお願いします

 
秋分の日の休日は

 

いかがお過ごしになられましたか

 

 

赤薔薇クローバーハートのプレゼント

 

 

秋めいてきましたね。

 

 

 

今日は、

 

このブログは一応、「美学」という

 

大枠になっていますが

 

 

その美、美とはなにか

 

 

 

お伝えできればいいなと思っています。

 

 

 

真行寺君枝

 

 

 

あなたは

 

美ってどんなものだと思いますか。

 

 

 

美に対して

 

どのような概念

 

もっていらっしゃいますか乙女のトキメキ

 

 

 

 

わたしは

 

わたしの胸の中に

 

こんな思いを住まわせ、

 

それに近づきたいと思っているのです。

 

 

 

 

美学は哲学の一つなので

 

 

哲学というと

 

 

わたしの場合は

 

プラトンが土台となっていますが、

 

 

 

それが美が、どのようなことかを

 

お話させてくださいね。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

哲学者は、

 

真実をみることを愛しています。

 

 

 

美と醜とは

 

反対のものです。

 

 

反対のものなので、それらは2つのもの

 

2つのものなら、それぞれ1つのもの

 

 

 

哲学ってこんなふうに

 

七面倒な物言いをして

 

細かく細かく見ていくので

 

ごめんなさい

 

それでもなるべくわかりやすく

 

話しますので

 

どうぞ最後までお付き合いください

 

 

 

 

正と不正

 

善と悪

 

 

というように

 

すべての実際のありさまについても

 

同じことが言えますよね。

 

 

ということは

 

それぞれは

 

それ自体は一つのものだけれど

 

 

いろいろの行為と結びつき、

 

物体と結びついて

 

いたるところに姿を現すので、

 

それぞれが多くのものとして現れます。

 

 

 

 

見物付きの人、技芸の愛好者・実践家

 

それと

 

哲学者は区別され、

 

 

 

前者は、

 

 

美しい声とか、美しい色・形

 

そうしたものによって作られた作品に

 

愛着を寄せます。

 

 

けれども美そのものの本性を見極めて

 

愛着を寄せる精神をもとうとしません。

 

 

 

 

他方、美そのものに到達して

 

それ自体を見ることができる人は

 

稀ではないでしょうか?

 

 

 

わたしもそこへ到達したいと

 

願って鍛錬する者です。

 

 

 

ところで

 

 

 

バラ

 

 

 

いろいろの美しい事物は認めるけれども

 

美それ自体の認識には、

 

 

導いてくれる人がいても

 

ついていくことができないような人は

 

 

 

夢を見ながら生きているのでしょうか?

 

目を覚まして生きているのでしょうか?

 

 

 

眠っているときでも、起きているときでも

 

何かに似ているものを似像と思わず

 

実物と思い違いをしてしまいます。

 

 

 

 

こうした思惑しているだけの人が

 

 

あなたのように

 

本当の美を知っている人に対して

 

 

腹を立て、反論してきたら

 

 

 

健全な精神状態ではないと

 

あからさまに言わず、

 

なだめ、穏やかに説得できるでしょうか?

 

 

 

 

プラトン哲学では

 

「知識」と「無知」の中間に「思惑」を

 

置くのも特長のひとつです。

 

 

 

 

能力というのは、

 

目で見ることのできる特定の色とか

 

形かと

 

そういった性質を持っていません。

 

 

 

能力は、それがいかなる対象に関わるか

 

何を成し遂げるかということに

 

着目するしかありませんよね。

 

 

 

さて

 

 

多くの美しいものの中に、

 

醜く現れることの

 

決してないようなものが一つでも

 

あるでしょうか?

 

 

 

数々の正しいものの中に、

 

決して不正に見えることがないものが

 

あるでしょうか?

 

 

 

数々の敬虔なものの中に

 

決して不敬虔に見えることがないものが

 

あるでしょうか?

 

 

 

 

多くの2倍の分量があるものはどうでしょう

 

 

それらは2倍のものであると同時に

 

半分のものであるともみなされることは

 

絶対にないでしょうか?

 

 

 

 

さらには

 

大きいとか小さいとか

 

軽いとか重いとか

 

言われるものにしても

 

 

それと反対に言われることが決してない

 

とは、 言えません。

 

 

 

 

男であっても男でないもの=去勢された男が

 

木であって木でないもの=葦の上に

 

立っている鳥でないもの=コウモリを、

 

 

見て見ずに=よく見ないで、

 

石でないもの=軽石を

 

投げつけて投げつかなかった

=投げたが当たらなかった

 

 

 

 

美、その他について

 

多くの人がもつ雑多な考えというものは

 

 

純粋に「あるもの」と

 

純粋に「あらぬもの」との中間のあたりを

 

彷徨っているのではないでしょうか。

 

 

 

多くの美しいものは見るけれど

 

美そのものを見ることなく、

 

 

 

他者がそこへ導こうとしても

 

ついていくことができない人

 

 

多くの正しいものは見るけれど

 

正そのものを見ることができない人

 

 

 

その他すべてにつけ同様の人は

 

万事を思惑していて、

 

本当に知っているのではない思惑愛好者

 

と言えないでしょうか

 

 

一方

 

 

恒常不変に同一のあり方を保つ人は

 

 

それぞれのものについて

 

それ自体としてあるところのものに

 

愛着を寄せる人こそは

 

 

愛知者=哲学者と

 

呼ばれるべき人

 

 

と。

 

 

 

プラトン著『国家』より

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

これはプラトン哲学の中心思想の

 

イデア論です。

 

 

 

それは

 

真理、真実と言ってもいいと思いますが

 

そこへの到達

 

追求を意味するようですね。

 

 

 

最後までお付き合いくださいまして

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

あなたの一日に

 

幸せがもたらされますように

 

 

 

赤いバラ

 

 

 

KIMIÉ拝