美しい日本の私
おはようございます![]()
昨日のお約束で早速、
ノーベル文学賞授賞記念講演
川端康成『美しい日本の私』を
あなたと
読んでいきたいと思います![]()
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて冷しかりけり
生涯内大臣源(久我)通親の子・道元
日本における曹洞宗の開祖
鎌倉時代初期
道元禅師の
「本来ノ面目」と題するこの歌と、
本来ノ面目とは、
禅宗でいう、すべての人がもともと
持っている自然のままの心性
国宝「紙本著色明恵上人像」高山寺蔵
父・平重国は高倉上皇の側近
数え9歳で両親を失う
華厳宗中興の祖
雲を出でて我にともなふ冬の月
風や身にしむ雪や冷めたき
明恵(みょうえ)上人のこの歌とを、
私は揮毫(きごう)をもとめられた折りに
書くことがあります。
川端康成
『美しい日本の私 — その序説』の
冒頭です。
川端康成は、700年続く家系
鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の孫・
川端舎人助道政が
川端家初代で、
31代目が康成
けれども
両親は物心つく前に病で死去。
病弱な体質の康成でしたが
15歳までに
祖父母、姉も失ってしまいました。
『美しい日本の私』は
欧米に向けて日本の伝統文化を
伝えるものでした。
明治初期に
日本文化を欧米諸国に知らしめた
岡倉天心『茶の本』を思い出します。
この評論の60年ほど前の1906年
N.Y.で出版された岡倉天心『茶の本』
当時のマンハッタン
1969年ノーベル賞授賞記念講演で
川端は
西洋人の思考とは異なった
日本人の美、心の本質を
はっきりと表し、
「日本人の心は、自然と融合する」
「自然との合一」を明かしました。
古来の日本人が根底につちかっている
春、夏、秋、冬に
第一に愛でる自然の景物の代表として
雪月花に象徴される日本美の伝統、
こまやかな美意識、
万有が自在に通う空、
無尽蔵の心の宇宙、
といった
世界観のありようを示しました。
道元と明恵の歌から自然との合一を
語ってはじまり、
良寛の辞世の歌
形見とて何か残さん春は花
山ほととぎす秋はもみぢ葉
その奥義に迫ります。
ありきたりの事柄とありふれた言葉を、
ためらいもなく、と言うよりも、
ことさらもとめ、連ねて重ねるうちに、
日本の真髄を伝えのだと説いています。
江戸後期に
世俗のならわしから脱して
古代の高雅に通じ、
現代の日本でもその書と詩歌を
はなはだ貴ばれている良寛なのに、
良寛像と自賛和歌
心月輪 木刻
草庵に住み、粗衣をまとい、
野道をさまよい歩いては子供と遊び、
農夫と語り、信教と文学の深さを語らず
自分には
形見となるようなものは
ひとつもないけれども
残せるものがなにかあるとすれば、
自分の死後もなお自然は美しい
それだけだと歌っているのです。
詩僧の「末期の眼」には、
辞世にある、
雪国の自然がなお美しく映っただろうと
川端は述べ
私に
「末期の眼」という随筆がありますが、
ここでの「末期の眼」という言葉は、
芥川龍之介の自殺の遺書から
拾ったもので、
殊に心を惹いた言葉だと語りました。
末期の眼というのは、
死を意識した者の目には
病的な神経の世界にありながら
自然が一層美しく映ると、
芥川龍之介は綴ったのです。
けれども川端は、
太宰治や
死にまさる芸術はないとか、
死ぬることは生きることだとか、
口癖のようだったという前衛画家で
住職の長男として生まれた古賀春江の
自殺を賛美しているのでも
共感しているのでもありません。

『煙火』1927
川端康成記念会蔵
『海』1929
東京国立近代美術館蔵
神奈川県立近代美術館蔵
川端康成 寄贈
ブリヂストン美術館蔵
西日本新聞社蔵
『サアカスの景』1933
神奈川県立近代美術館蔵
川端康成 寄贈
交友があった古賀の死を悼んだ川端
川端は、若い芸術家にあたたかな目を
向けてるんですね。
決して忘れることがないのは
北条民雄です。
川端が推薦した作家ということで
自身の体験に基づくハンセン病の
『いのちの初夜』
読みましたが、これは
絶望をえぐり出した小説で
忘れることなどできないです。
自殺を美化しないと断ったうえで
一休は
後小松天皇の落胤と伝えられ、
母は不詳ですが、後小松天皇の官女で
その父は楠木正成の孫と称する楠木正澄
この一休禅師は、
2度も自殺を企てたと知ったと
語りはじめます。
奈良国立博物館所蔵
朱鞘の大太刀を差し、
風変わりな格好をして街を歩き
鞘に納めていれば豪壮に見えるが、
抜けば木刀でしかないということで、
外面を飾ることにしか興味のない
当時の世相を風刺しました。
また正月に
杖の頭にドクロをしつらえ、
ご用心、ご用心と叫んで歩いたとも。
男色、飲酒・肉食や女犯を行い
盲目の妻と実子もありました。
臨終の際の言葉は「死にとうない」。
名言も多々あります。
釈迦といふ いたづらものが世にいでて
おほくの人をまよはするかな
世の中は起きて箱(糞)して寝て食って
後は死ぬるを待つばかりなり
えりまきの 温かそうな 黒坊主
こいつの法が 天下一なり
本願寺で開祖親鸞の二百回遠忌に、
他宗の僧侶で一人参拝し、書いた文字を
山門の扉に貼って帰りました。
逸脱したエピソードに事欠かない一休は
宗教と人生の根本の疑惑に悩み
神あらば我を救え
神なくんば我を湖底に沈めて、
魚の腹を肥せ
と、湖に身を投げようとして
引きとめられたことがあります。
もう一度は
一休の大徳寺の僧が自殺したために
数人の僧が獄につながれたとき、
責任を感じて、山に入って、食を絶ち、
死を決したことがありました。
このときは、
天皇の説得の親書を受け留まりました。
人間の実存、
生命の本然の復活と確立を志した
一休
その書を、川端は二幅所蔵し、
一幅にはこのように書かれています。
仏界入り易く、魔界入り難し
いかがでしょう、
あなたは
反対では、と思わなかったですか![]()
川端は言います。
究極は真・善・美を目ざす芸術家にも
「魔界入り難し」の願い、
恐れの、
祈りに通う思いが表にあらわれ、
あるいは裏にひそむのは、
運命の必然でありましょう。
魔界なくして仏界はありません。
「魔界」に入る方がむずかしく
心弱くてできることではありません。
一休が
「仏界入り易く、魔界入り難し」
と言ったのは、
ほんとうのさとりは、仏界でなく
魔界の奥に隠ていることを
知っていたからです。
芸術家としての川端は、
魔界へ踏み込む決心と
何があっても
動じない覚悟が定まらなければ
芸術という魔物を
能動することはできない、
働きかけることは不可能だと
この文字に見てとったのです。
禅は
偶像崇拝しない禅堂で
無言で不動で
あらゆる雑念が消え去り
心が澄みきった状態に入ることを
旨とします。
そうして
万有が自在に通う空
無涯無辺
無尽蔵の心の宇宙を
論理でなく、
直接に捉えるのです。
師に指導され、師との問答に啓発され
神の古典を習学しても
思索の主はあくまで自己で
さとりは自分ひとりの力でひらかねば
ならないのです。
真実の自己を発見するには、
自分を惑わせるもの、
権威をもって自分に迫ってくるものは
たとえそれが仏や祖師、父母や親族でも
徹底して否定しなければならないと
臨済宗の開祖・臨済は言いました。
真理は
文字や言葉でなく体験から会得する
=不立文字
白隠慧鶴筆『達磨図』
インドの王子として生まれた
禅宗の始祖・達磨は
「面壁九年」と言い、
少林寺の岩壁に向って九年間座り続け、
沈思黙考の果てに、
さとりに達したと伝えられています。
禅の坐禅は達磨の坐禅からきています。
座り続けて
手足が腐ったという伝説があります![]()
さあ長くなりました。
この続きは次回にしましょう。
苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた
美の理念、
もののあわれ
日本文化の美意識、
価値観に影響を与え
その最高の達成、美の糧となった
『源氏物語』
もののあわれは
しみじみとした情趣、無常観的な哀愁で
表面上は異なって見えても、
根底では通じて流れている
日本人の美意識のかなめです。
あなたと一緒に
易しくほどきたいと思います。
ありがとうございました。
KIMIÉ拝
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本気で美人になることを望むなら
手探りを繰り返すより
その道に精通した人に習うのが
一番の近道です。
健康美でエレガンス
キミエ・メソッド
あなたの美のパートナー
KIMIÉ

















