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昨日は秋分の日でした。

 

 

前回は、

 

パーフェクトな植物食は赤飯

 

ということで、

 

お話と料理をさせて頂いたのですが

 

 

昨朝のことです。

 

そうそう今日は秋分の日だったわと

思い出したのでした。

 

彼岸の中日で

 

おはぎをご先祖様に

 

召し上がっていただく日でしたね。

 

 

おはぎ

 

あら

 

 

餅米、ごま、あずき

 

これまたパーフェクトな

 

タンパク質たっぷりの

 

植物食ではありませんか。

 

 

 

それでは早速こしらえましょうと

 

 

鍋にたっぷりの水をはり、

 

 

沖縄の波照間(はてるま)島の黒糖で

 

 

ゆっくり2時間ほど煮たのです。

 

 

 

黒糖は

 

ビフィズス菌を増やして

腸内環境を整えるそうです。

 

 

肌にはうるおいを与え、

 

シミやそばかす防止の

 

効果があるといわれています。

 

 

血圧を下げ、むくみの予防や解消にも

 

有効だそうです。

 

 

また

 

さとうきびのミネラルやビタミンが

そのまま含まれています。

 

 

わずかな苦味や渋み、こくのある風味は

 

年が増すにつれ好むようになりました。

 

 

 

さあそろそろ

 

煮えたかどうだか食べてみよ

 

と、蓋を開けると

 

すっかり水分を吸収して

煮詰まってます。

 

 

あずきは冷ましてから

ミキサーで攪拌して餡に。

 

できた餡を

もう一度、鍋に移し

 

弱火で練って、

 

余分な水分を飛ばしました。

 

 

 

それから餅米を炊きました。

 

 

前回の赤飯で余った食材、

 

全部応用できます。

 

 

おはぎ

 

 

すり鉢で

ごまと黒糖をすり合わせ

 

ごまのおはぎ

 

 

わらび餅についてて使ってない

きな粉きもあったので

 

きな粉のおはぎ

 

 

三種のおはぎが、できました。

 

 

たくさん作ったので

 

数軒先の一人暮らしの佐藤さんにも

おすそ分け。

 

 

ご先祖様に、

 

手づくりおはぎ

召し上がっていただきました。

 

 

 

 

わたしは

 

秋分の日と言いますと、

 

折口信夫(しのぶ)の

『死者の書』を思い出します。

 

 

折口信夫

1940年頃

 

能楽師の観世銕之丞さんは

一番好きな本と仰っていました。

 

 

この本は、

中将姫へのオマージュです。

 

 

 

中将姫伝説

 

 

藤原鎌足のひ孫・豊成とその妻は、

 

聡明で美しい中将姫を授かりました。

 

 

けれども早くに母を失い、

 

継母に、美貌と才能を憎まれます。

 

継母は、姫の殺害を、家臣に命じます。

 

姫は命乞いをしませんでした。

 

 

亡き実母への供養に専念する姫は

 

極楽浄土へ召されることをのみ祈り

 

読経を続けたのです。

 

 

こうした姫を、家臣は、

殺めることはできませんでした。

 

 

その後、

 

淳仁天皇に後宮へ入るよう望まれますが

 

當麻寺(たいまでら)で尼となります。

 

 

そして

 

仏行に励み、徳を積み、仏の助力を得て

 

一夜で蓮糸で

 

当麻曼荼羅を織ったと

伝えられています。

 

 

当麻曼荼羅

当麻曼荼羅(根本曼荼羅)部分 8世紀 国宝

 

 

二九歳の時、

 

阿弥陀如来をはじめとする

 

二十五菩薩が来迎(らいごう)して、

 

生きたまま

 

西方極楽浄土へ向かいました。

 

 

 

 

折口信夫は、この画に

 

インスピレーションを受けて

 

『死者の書』を書きました。

 

重山越阿弥陀図 冷泉為恭 大倉集古館蔵

重要美術品 冷泉為恭「山越阿弥陀図」

江戸・文久3年(1863) 大倉集古館蔵

 

 

 

折口はどう言う人だったかというと

 

前回ブログに書かせて頂いた

 

柳田國男の高弟です。

 

 

 

昭和天皇や今上天皇・皇后の

 

和歌の指南役を務めた岡野弘彦は

 

折口の内弟子にあたります。

 

 

俗な話ですが

 

折口は同性愛者でした。

 

それを柳田は理解できませんでした。

 

 

 

わたしは岡野先生の話を聞く機会が

幾度かありましたが

 

 

岡野さんは、内弟子になるにあたって

 

ひたすらに純粋に

 

何があってもと

 

覚悟をして入門されたそうです。

 

 

けれど

 

想像するようなことは

 

起こりませんでした。

 

あくまで師と弟子の関係でした。

 

 

 

先生は仰いました。

 

 

だから自分は

 

突き抜けられなかったと

申しますか、

 

それ以上の深み

 

ここで言っているのは学問の

 

歌の深みですが

 

そこに到達できなかったのだと

 

心奥を吐露してくださいました。

 

 

 

『死者の書』といえば

 

古代エジプトの死後の世界を描いた

 

書を思い出します。

 

 

タイトルがとっても怖いでしょ。

 

でも内容は

 

どこにも怖さなど見当たりません。

 

なんだかとても日常的、

 

というのも変ですが、そんな印象です。

 

 

 

折口の『死者の書』は

 

古代へのあこがれを

 

古代というものの実感を

 

如実に現代にあらわし得た

 

無類の書で、

 

 

大津皇子伝承や

中将姫伝説がのこる

 

二上山が、舞台です。

 

その麓に、當麻寺があります。

 

 

 

ものがたりは

 

 

した した した ー

 

謀反の罪を着せられて葬られた死者、

 

大津皇子(滋賀津彦 天武天皇の皇子)が

 

塚穴の岩床に垂れる太古の雫の音で

 

目をさまし、

 

闇の中で朧げに

 

記憶を呼び戻すところから始まります。

 

 

そして

 

藤原鎌足の娘で

 

大友皇子の妃である

 

耳面刀自(みみものとじ)に

 

語りかけるのです。

 

 

あの世とこの世の境界をたゆたう

 

記憶の

 

かけらが浮き出して、

 

黒く濃い靄の中に

 

月光とも思える薄明かりが

 

さしこみます。

 

 

 

それは

 

奈良の時代、

 

彼岸中日のことでした。

 

 

月は依然として照っていました。

 

 

 

こう こう こう ー

 

 

と九人の行者の声が

 

山々にこだましました。

 

 

それは

 

お出でなされ。

 

郎女(いらつめ 娘)の御魂。

 

こんな山奥で迷っているものではない

 

と言う叫びでした。

 

 

 

郎女は

 

 

春分の日の夕暮れに

 

気高いおもかげ人を

 

二上山の峰の間に見て、

 

 

阿弥陀経の写経を

 

発願し、

 

 

とうとう秋分の日に

 

千部の写経をはたして

 

二上山に落ちる日輪に、

 

魂がひき寄せられたのです。

 

 

 

郎女がたどり着いたのは

 

女人禁制の

万法蔵院(當麻寺)。

 

 

そこで、語り部の姥(うば)は

 

昔々の

大津皇子と耳面刀自の話を語り

 

 

郎女は

 

耳面刀自の血筋であることを

 

聞かされるのでした。

 

 

死者・大津皇子は

郎女を

 

耳面刀自と思っているのです。

 

 

こうして

大津皇子と郎女の

 

交感がなされたです。

 

 

 

郎女は

 

何もまとわずによみがえった

 

おもかげ人の肌をおおうため、

 

織機で蓮糸を織り始めました。

 

 

そうして

 

郎女は

 

絵の具で織物におもかげ人の絵を描き

 

これであの方は寒い思いをしないですむ

 

と、にこやかな笑みをおとして

 

筆を置きました。

 

 

その画面には

 

菩薩の姿が浮き出たのですが、

 

それは

 

白昼夢の類だったのかもしれません。

 

 

 

夢幻能のようなこの物語は

 

感官と霊性が研ぎ澄まされる

 

魔力を持った作品です。

 

 

30年も前に當麻寺へは

仕事で行ったきりですが

 

忘れていた思い出が蘇りました。

 

 

 

大津皇子の無念の歌は

 

万葉集にいくつも編まれています。

 

 

 

 

天武天皇は

大海人皇子の時代、

 

大田皇女

(天智天皇の第一皇女)

 

と

 

鸕野讚良皇女

(天智天皇の第二皇女 後の持統天皇)の

 

姉妹を

 

 

妻として

 

同時に迎えました。

 

 

大田皇女は、大津皇子の母。

 

鸕野讚良皇女は、草壁皇子の母。

 

 

 

大田皇女は

 

早くに亡くなったため、

 

 

草壁皇子を天皇にしたい

 

鸕野讚良皇女は、

 

 

大津皇子に

 

謀略をめぐらしたのです。

 

 

 

大津皇子と同腹の姉の

 

大伯皇女(おおくのひめみこ)は、

 

斎宮として伊勢で13年間奉仕しましたが

 

 

二上山に弟を葬ったときに詠んだ歌を

 

 

最後にご紹介して終わりましょう。

 

 

 

うつそみの 人にある我や 明日よりは

 

二上山を弟背(いろせ)と 我が見む

 

 

この世に生きている私は

 

明日からは

二上山を

 

弟と思って見るのだろうか

 

 

 

彼岸には

 

仏教思想に触れて

 

迷いを洗い、

 

 

日本の心とおもかげに気づく

 

特別な日なんですね。

 



最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

 

 




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ー オードリー・ヘップバーン ー