午前一時に
七夕の神事は始まりましたが
織女(しょくじょ)と
牽牛(けんぎゅう)の
伝説は、
6世紀の詩文集
文選(もんぜん)が初出です。
『文選』というのは
昭明太子(しょうめいたいし)が編んだ
六朝文化の傑作です。
六朝文化って?
長江の中・下流域に
貴族文化が爛熟し、
仏教が広まって
儒教・道教と融合し
世俗を離れた風流で
高尚な哲学的な
清談(せいだん)が広がりました。
文章は
一句の字数が
四字句か六字句を基本とし
対句を用い、
韻を踏む
華麗な文体の
四六駢儷(しろくべんれい)体が
流行りました。
そして
書画・詩文も栄えたのです。

お母さん、ややこしいこと言ってるNya
へそてん・リアクショ〜〜ン![]()
日本では奈良時代から
貴族の教養書として
必読の対象になりました。
その『文選』の巻二十九に
「古詩十九首」があります。
その十首目が
「迢迢牽牛星」
(ちょうちょうけんぎゅうせい)です。
題名も作者も分からないので、
詩の最初の一句目を
便宜上のタイトルにしています。
詩は
牽牛星(わし座のアルタイル)と
織女星(こと座のベガ)を
愛する伴侶に見立て
歌っていますが、
七月七日には触れられていません。
現代語訳 ![]()
はるか遠い牽牛星。
天の川の織女星は
白く清らかな光を放っている。
しなやかで、ほっそりとした白い手で
糸をあやつり
さっそうと機織りをしている。
けれども
一日中 織っても
模様は出来上がらず
雨のようにすすり泣く。
天の川は澄んでいて浅いのに
私たちはどの位 離れているのだろう。
満ちあふれる水で へだてられて
言葉を交わすこともできない・・・。
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天の川が二人を隔てますが
互いに見つめ合う姿
ロマンティックなエレジーですね![]()
さて
七夕は
乞巧奠(きこうでん)とも申します。
前漢時代、
西京(長安)の
雑事のエピソード、
西京雑記(さいきょうざっき)に
采女(うねめ)が
七月七日に
七針に糸を通す風習が
載っています。
それからのち、
「乞巧奠」に
「織女・牽牛」伝説が
結びついたのです。
日本に伝わったのは
飛鳥時代か奈良時代で、
宮中や貴族の間で流行しました。
そして
織女にあやかって
裁縫の上達を祈りました。
それが民間にも広まっていったのです。
江戸時代、
七夕は五節句の一つとされ
幕府の式日と定められました。
けれども
明治になると五節句は廃止され、
祝日ではなくなりましたが、
家族の衣服を整えるのは
女性の重要な仕事であることには
違いありませんでした。
講演のため、
別の和服を解いて構造を調べて
初めて縫い上げた着物
裁縫の出来栄えは
嫁の評価に繋がっていたのです。
それだけではありません。
宮沢賢治 「春と修羅」
3.11復興祈願で福島を朗読して周った
書、
琴、琵琶など
技芸の上達も願いました。
乞巧奠とは
技巧を乞う奠(=祭り)なのです。
さらなる美を目指す
別嬪(べっぴん)さんは
技芸にもひいでることが
とっても大事![]()
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技芸は身にまとうほどに
人生は豊かになり
楽しみが倍増この上なく
時間を超越して
いつまでも若々しく健康で![]()
張りのある暮らしが
もたらされます![]()
今回は
織女と牽牛が
乞巧奠に結びついた歴史を簡単に
かいつまんで、お伝えしましたが
七夕のお話は尽きないので
次は
来年の七月七日に
もう一度
あなたと
天の川を見上げたいと思います。
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たなばたに
かしつる糸の うちはへて
年の緒ながく
恋ひ やわたらむ
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織女にお供えした糸のように、
長い年月にわたる恋となるのだろうか
古今和歌集
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
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