今朝の東京は雨です。
でもわたし、雨も好き。
それはね、
大好きなゲーテがこう言ったから
雨は水の肯定
考えてみれば、そうですよね。
私たちが生きていくのに
水は本当に重要ですよ。
この雨で、大地がうるおされ、
恵みの産物がすくすく育つのですもの。
さて、
「色の白いは七難隠す」
と昔から言われますが![]()
日本のお化粧の起源は
いつ頃だと思いますか![]()
ひろい解釈では
今から6~7千年前だったそうです!
福井県の貝塚から
赤色漆塗りの木櫛が出土しました![]()
また
中国の歴史書『三国志』の
「魏志倭人伝」(ぎしわじんでん)には
「男子は大人子供の区別なく、
皆、顔と体に入れ墨をしている」
「赤い顔料を体に塗るが、それは
中国で白粉を使うようなものだ」
「女王(卑弥呼)国から
四千里(東京⇆沖縄 くらい)に、
小人の国(裸国、歯黒国)がある」
とあります。
日本についての最も古い記述は
この「魏志倭人伝」です。
日本の3世紀ころの政治や風俗を
うかがうことのできる貴重な資料です。
弥生時代には
すでに化粧はあったんですね![]()
ただ
現在とおなじような
美意識にもとづいた化粧となると
それは
隋(ずい)・唐から
紅、白粉、髪油、香など化粧品の製法を
仏教文化とともに導入した飛鳥時代で
6世紀後半以降になります。
白粉(おしろい)は、
『日本書紀』に
高明な僧侶の観成(かんじょう)さんが
唐の製法で作り、
持統天皇に献上し、
たくさんのご褒美を賜りました。
『古事記』にも
大根のように
みずみずしく透き通る
白いかいな(腕)は美しいと
あるように、
色白は美人の象徴だったんですね。
では
奈良時代の色白さん、見てみましょう。
唐風の動的なお化粧がトレンドでした。
こんな感じ
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
高松塚古墳の壁画 一部
正倉院「鳥毛立女屏風」
(とりげりゅうじょのびょうぶ)
髪や服に鳥の羽毛が貼ってありました。
樹の下という構図はインドの影響
薬師寺「吉祥天女画像」
豊麗で美しいですね。
以前は
もしかしてブス?
と思ってました。
でも歳を重ねた今、見ると、
ふくいくとした香りが匂い立ち
そのゆとりと恵みが
わたしの
貧しい心を抱擁してくれます ![]()
さて
我が国
日本のお化粧文化が
大陸の影響を抜け
ほとんど白粉のみの
静的なお化粧に
移っていったのは、
平安時代中期以降のことでした。
でもそれは
上流社会の男女のことでした。
水銀や鉛で白粉を作り、
紅は、べに花で抽出しました![]()
『源氏物語』第五十章–あずまや 12世紀 徳川美術館
眉は額に描きましたが、
眉って感情があらわれやすいので
それを隠していたみたい
髪は、身長よりも長くしていたのよ![]()
紫式部 画・土佐光起
それでも
美しくなりたいという欲求は
本能なので、
庶民の間でも それなりの
手作り製法によるお化粧があったと
考えられています。
大昔から現代まで
色白は美人の代名詞なんですね、
なのですが、、
西欧では
美白への関心は
ほとんどないないらしいので
びっくりです![]()
富の象徴のひとつにバカンスがあり、
日焼けをした健康的な肌が自慢で
それを美肌と捉えているようです。
ほんとですか~
真逆じゃないですか。
人は
無いものねだりなんですね〜
心理って、ほんと複雑。
今日は
白粉で白い肌を求めた
お化粧の歴史を
あなたとともに、考察いたしました。
こうした事柄
図書館で借りてきた
『都風俗化粧伝』の解説にも
載ってるのですが、
初版は、
江戸時代の文化十年(1813年)で
100年続いた
ロングセラーだったそうです。
美容、化粧の知恵を
大いに学べるので、
次回は
少しご一緒に見ていきたいと思います。
それでは
あなたにとって
楽しく有意義な一週間になりますように![]()
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