【突然の父の死①】起こることは起こる | キエコノ気づき

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2014年11月〜
自分に戻る過程での「気付き」を記したブログ



コミュニティでは配信していたけれど
こちらではとっても久しぶりになった。

10日前:7月20日(土)
父が突然亡くなった。
80歳:歳はとってきていたけれど
元気そのものだった。

実家で昼食を摂り
仕事に出かけて
そのまま還らぬ人となった。

仕事現場での転落事故だった。
原因はわからない。

64年間の板金職人人生で
初めての事故だった。
仲間が口をそろえて言うくらい
誰よりも慎重な人だった。

奇しくもその日は
祖母(父の母)の命日だった。

数年ぶりに父が命日を思い出して
午前中に祖母の墓参りをしたという。

ーーーー
あまりのも突然の出来事で
初日こそ、気が張っていたが

今回のこの
私の人生最大級の出来事で
自分の感覚の変化を大きく感じた。

どんなに精神世界のことをやっても
スピリチュアルなことをしても
嫌なことが起こらなくなるわけではない。

【起こることは起こる】

今のところ
どんな大切な人でも死ぬ時は死ぬのだ。

今やっている私のコミュニティ🪐
そもそものコンセプトは

【何を感じても大丈夫な自分になる】
だった。

頭でむりやり納得するのではなく
感じることを許可し
感じる力を育てていく。

そのコツコツが育っていたことを
今回、私は実感することができた。

コツコツやってきて
本当に良かったと思った✨

ーーーー
私は人一倍気が小さくて
怖がりで泣き虫で
いつも何か起こらないようにと
ビクビクと生きていた。

20代の頃
【親が死ぬのが怖すぎて】
一晩泣き明かしたことがあるくらいだ。

そのくらい親が死ぬのが嫌だった。
親の介護や死ぬことを考えるのが
重くて重くてずっと目を逸らしていた。

それどころか
実家に帰るのさえ気が重かった。

ワーカーホリックであることで
仕事という大義名分で
そういうことから
逃げ続けていた人生だった。


ーー
【何を感じても大丈夫な自分になる】

それは
こういう時に
思い切り感じることを許可することだ。

頭で納得するのではなく
この現実を拒否するのでもなく

今この瞬間感じている
「寂しさ」「悲しさ」
その時の身体の
ギュっとするカンジ。
盛り上がってくる感覚。

全部を感じていっぱい泣いた。

抵抗せずに
抑えずに
お風呂でいっぱい泣いた。

以前の私は

「なんでこんなことになったの?」
「何が原因?」
「ありえない」
「うそでしょ」
「あの時こうしていれば」
「これからどうなるの?」

後悔(過去)
不安(未来)
抵抗ばかりで

イマココで感じている感覚を
感じることなんてできなかった。

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「泣く」という同じ行為でも

「嫌だ嫌だ!」と
今を否定して泣くのと
「ああ、今私はこうなんだね」と
今を許容して泣くのと。

それでは全く違うことを実感した。

感じることに抵抗しなければ
悲しくても寂しくても
苦しみにはならない。

感覚は感じることを許せば
その場で消えていく。

身体に溜まらない。
だから身体は軽かった。

ただ
私は一人暮らしだし
コツコツここまでやってきたから
これができるけれども

人目や状況を真っ先に考える
大多数の人にはこれはなかなかできないかもと
同時に思った。

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コミュニティでは
リアルタイムで配信していた。

泣きながら配信するのは
私にとっても未知だった。

リアルタイムに包み隠さず
(たとえ後で変わっても)
その時のイマココをシェアできる
コミュニティという場があったことは
本当にありがたかった💖

聴いてくれてありがとう✨

たくさんのDMをもらった。
これは
「私たちにも意味のあること」と
自分ごととして捉えてくれて

親の死への怖れ
死ぬということへの想い
あたりまえの日常のありがたみ

いろんなことを感じてくれた。

【起こることは起こる】

ずっと言い続けていた言葉だけど
(2月の事故の時にも)
これが私を楽にしてくれた。

諦めではなく
事実とたたわない

「現実」とは
事実に対する「解釈」だから。

そして私は
本当に父のコトが大好きだった。

「私はお父さんの泣き虫な娘です」

書いてるだけでまた泣ける😭

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10日経って
まだまだこれから
いろいろあるだろう。
いろいろな書類提出もこれからだ。

でも今ここでのことを
書き残しておきたい。

この出来事を通して感じたことと
人間(左脳)社会との関わりと
身体(右脳)で生きていくことと。

感覚はどんどん変わっていってしまうから。

このタイミングで起こったこの出来事で
私の人生がどう展開していくのか。

長くなるけど
書き残しておきたい。