【自分ビジネスブログ:21日目】
雨しとしとの休日。
二日間ブログを書かずに
何をしていたかというと
「般若心経」の暗記。
先週末、ふと見た動画で
思考を手放す方法として
「祝詞やお経を唱える」
というのがあり
それには暗唱して
一心不乱に唱えることが大事……とあった。
文字を読みながら唱えると、読むことに意識が行ってしまう。
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「瞑想」は
思考を手放す方法として
一番メジャーかもしれない。
今も
毎朝、瞑想しているけど
むしろその時間
より多くの思考の海に飲み込まれる。
ヴィパッサナー瞑想は
体の感覚に意識を集中し
思考を止めるんだけど
なかなか
体の感覚に
意識を集中することが
最近は難しい。
(やっぱり合宿中のようにはいかない)
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そもそも
なぜ、思考を手放す必要があるか
というと
「思考を使うと感度が鈍くなる」
これは
子宮委員長はるちゃんが
「愛と恋の進化論」に書いているけど
私の実体験からも
まったく同意。
思考
=
自分のものではない価値観
世間体
普通こうでしょ
常識
人の目
過去、いっぱい学んできた価値観。
それこそ、自分を守るためにね。
体に我慢させて
頑張ってきた。
そうすると
自分が何を感じているか
わからなくなる。
自分がなにをやりたいのか
わからなくなる。
私も、つい最近(昨年)まで
そのただ中にいて
迷子だった。
思考を手放して
体感覚を感じられるようになって
初めて
自分を信頼
=
自信が持てるようになった。
だから
思考→体感覚
に意識を向けさせる
ヴィパッサナー瞑想が
とても有効なのはよくわかるし
それを実際体感もしたのだけど
日常生活でその感覚を
持ち続けるのが難しい。
毎朝
グループ瞑想で
その時間を作っても
思考がめぐりめぐってしまう最近。
そこで
般若心経を
取り入れてみようと思った。
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以下は私と般若心経の思い出。
書いたら私が癒されたので
そのまま残すけど長いです。
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般若心経
15歳の頃
大好きだった祖母が
65歳で癌で亡くなった。
祖母は抗がん剤で
(当時は、QOLなんで考えはなく
治る見込みがなくても、延命で、とにかく抗がん剤だった)
苦しみながら逝ったので
前の晩から、付き添いで疲れ切っていた
祖父や母に代わって
私が一晩、不寝番を買って出た。
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その時
母の実家で
床の間の掛け軸が
「般若心経」だった。
いま振り返ると
それを掛けた
祖父の気持ちを思い
泣けてくる。
みんなが眠っている静寂の中で
祖母の棺桶の隣で。
いまのように
携帯電話やスマホもなかった時代。
夜中にはTV放映もないし。
読書にも飽きた私は
ふと
掛け軸の般若心経を
書写し始めた。
特に意味はない。
ただ、静かに書写し続けた。
意味もわからないまま。
意味もなく。
ただ、その夜のことは
その静かな空気のことは
今も、肌感覚で覚えている。
2月13日……厳冬。
私のとって
初めて、人の死に触れた日。
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その後
父方の祖母/祖父が亡くなり
最後に
母方の祖父が亡くなった時
(4人中3人がん)
祖父が亡くなる時
たまたま、帰省していた私は
(祖父の弟に
「あんたが帰ってきたら、安心してしんじゃったんじゃあ〜」
と 恨みごとともなんとも言えないことを言われるくらい
ジャストなタイミングで帰省した)
妹と二人で
祖父が「息をひきとる」のを
場面に立ち会った。
本当に
「息をひきとるんだ」
そう思った。
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母の実家が檀家になってる寺に
金銭トラブルがあり
ご近所のみなさんが
その和尚を呼ぶかどうか……とか
喧々囂々となっていた。
祖父は、信心深く
その檀家になってる寺にも良く出向いていた。
亡くなる前に認知症になり
話が通じなくなっていたが
その時には
隣町の和尚のことをよく話していた。
「草越の和尚」
話はよく通じなかったけど
その言葉はよく覚えていた。
この頃
葬儀は、家ではなく
葬儀場で行うの主流になり始めた頃で
結局、檀家寺の和尚を呼び
その和尚親子にお経をあげてもらっていた。
すると
突然、一人の和尚が葬儀場に訪ねてきた。
その人こそ「草越の和尚」
多分、誰も呼んでないのに。
そして
何事もないように
檀家寺和尚親子と一緒に
三人で
お経を上げる。
その「般若心経」の
合唱が素晴らしくて。
こんなに即興で
しかも、宗派を超えて(檀家寺:浄土宗/草越:曹洞宗)
合唱できてしまうのが素晴らしくて。
感動した。
それも、深く覚えている。
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昨年
「般若心経絵本」というモノを読んだ。
これを描けるってすごい!って
そこに嫉妬したけど(そこか!)
般若心経って
こういう意味だったのか!
初めて知った。

すべては
現れては消えていく波のようなもの。
この世は
「幻想」と良く言われるけど
「現実」はあるように見える。
「海」は確かにあって
「波」もある。
ただそれは
現れては消える。
現れては消える。
内容は、ぜひ
「般若心経絵本」を読んで欲しいけど
とにかく
なんだかんだで
「般若心経」には縁があった。
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そして
不意に、最初に書いた理由から
「般若心経」暗唱できるようになろう!
と思い立ったのが
先週の日曜日6/9
その翌週の日曜日。
明日6/16
参加予定のイベントの中にで
なぜか、たまたま
般若心経10回読むっていう
ワークショップ
がある!
以前も
このイベント参加したことあるけど
般若心経、読むなんてなかったよ!
なんだか
このシンクロに
調子に乗りまして。
せっかくだったら
イベントまでに
般若心経暗記したい!
と火がついたのが
木曜日。
先週の日曜に覚えようと思い立って
よく月曜から
徐々に初めてはいたものの。
木曜の時点で半分くらいまで。
しかもつっかえつっかえ。
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しかしながら
この「暗記」という作業が
久しぶりすぎて
なんか、新鮮で面白いのだ。
聞いただけでも
文字を見ただけでも
全然頭に入ってこなくて
書いて初めて覚えられる。
書くと、その文字が
私の中でクッキリする感覚。
私の物になる。
そして
私がその中に入っていく。
イメージとしては
草むらの中に分け入って行く感じだ。
側(はた)から見ていると
一面の緑にしか見えない
草むらに
分け入って行くと
そこには、物語が見える。
その物語が私の物語になる。
そんなカンジ。
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視覚/聴覚/体感覚
で、どれが優位かお案が得た時に
聞くではダメで
聴覚優位
文字起こし……というところで
視覚優位かと思ったが
見ただけも覚えられないので
もしかしたら
私は、意外なことに
体感覚優位なのかもしれない
これはメモ。
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さらに
覚えた直後より
一晩、経ったほうが
確実に定着している。
さらに、口に出すカンジが
そのつながりが
面白いほどに滑らかになっていく。
なんか
こんな風に
「身についていく」というのを
長らくやっていなかったので
すごく新鮮。
自分なりの感覚が
わかるようになってから
初めてこういうことをしたので
自分の感覚が
研ぎ澄まされていくのを感じた。
面白くて、一晩、まるまる
般若心経暗記してた。
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本日、土曜朝。
とりあえず
全部、憶えた。
しかし、すらすらとはいかない。
動画でキッサコさんのを聞きながら
合わせたりしてるけど
途中で
どこやってるのか
見失うともうあたふた。
まだまだ「暗唱」まではいってない。
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完全に
何も考えずに
暗唱できる
車の運転が
今では何も考えずにできるように
そんな日が来るのは
遠くはないだろうけど
もう少し先だ。
思考を手放した瞑想のために
始めた試みだったけど
今は
般若心経を
唱える自体が面白い。
新しい自分に出会えるようで。
瞑想もそうだけど
こんな
直接
お金に繋がりそうもないこと
(誰にも評価されないこと)
自分だけのためのこと
昔の私だったら
絶対しなかった。
でも、今
自分の感覚がどんなに大切か
知ってるから。
自分を研ぎすまそう。
続けてみよう。