ヴィパッサナー瞑想⑨「コース中の変化」 | キエコノ気づき

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2014年11月〜
自分に戻る過程での「気付き」を記したブログ

※この投稿は私の備忘録です
ヴィパッサナー瞑想は、人それぞれの「経験/体験」。
行くつもりの方は読まないほうが良いかと思います。
人の体験が前提になり、結果、妨げになるかも。

 

ーーーやるかやらないかーーー

 

1分も呼吸に集中できなかった
初日から

後半になると
かなり変化を感じてきた。

帰りたくなったあの夜から
「変化する自分」を
ただただあたりまえに
受け入れるコトが
できるようになったのもあって


「やればでできるんだ」
「変化していくんだ」

それを、身をもって
体感していった。



誰でもできる。

ただ、やるかやらないか
ただそれだけ。

 

それがこの「修行」だ。






ーーー感覚に「気づく」ーーー

これが

今回の瞑想コースでの
私のもっとも大きな
変化
だと思う。


特に、これを
求めにいった
ワケではなかった。



私は
思考の強い人間で
直感も皆無で
頭でっかちな自覚は
あったけれども。

どうにかしようと
思ったことはなかった。

だって、46年間
これがフツーだったもの。

この感じ方しか
できないと思っていたもの。






だから
宇宙と繋がってる人や
何か視える人が
とても羨ましかった!

自分にもそんな
【特殊能力】があれば良いのに!

……って思っていた。




ーーーーーーー




正確には
私だって
感じていないわけでは
なかったのだ。


感覚を感じて
それに
無自覚に反応している。


しかし、自分では
気づいていなかった。

「気づいていない」という
自覚もなかったけれど。





ーーーーーーー


今回。

瞑想で
感覚に「気づく」能力を培った。





非常に地道に。


回路と回路を
繋いでいく感じ。

感覚に意識を向けて、流す。

その繰り返し。




平静に。
地道に。
忍耐強く。


 

ミラクルなコト
不思議なことは何もない。


非常に現実的に。
本当に地道に。




体に意識を巡らし
その部分の感覚に気づくこと

 


頭頂

頭蓋骨



(両)肩



手のひら

指先








背中上半分

背中下半分

腰回り

(両)太腿



足首

足裏

足先

そして今度は、下から。

その繰り返し。




感覚に気づき
かつ
平静でいること。






すると、いつの間にか
回路が繋がっていく。

自分の感覚に気づくように
なっていく。




この、思考(マインド)で
すべて鈍らせていた私が!!



ーーーーー

 



誰でも自転車に
乗れるようになるように。

誰でも。



自分の感覚に気づいたコトで。

私はようやく
自分と繋がった
感じがしている。




同時に
どれだけ感覚に
無自覚だったか
……がわかった。



感覚に気づく前に
「反応」だけしていた。



子供の頃
潜在意識に刻まれた
決まった
反応を返していた。


不快感覚を感じたら
嫌悪して
避けるために
行動する。


快い感覚を感じたら
もっともっとと
渇望する。




その一方で

感性で、感覚でやるような

絵や、ダンスは
「こういうものでしょ」という
思考でやってた。

そりゃ、楽しむどころじゃない。
いつも、頭がフル回転
疲れるはずだよ。



私は
アーティストではなく
イラストレーターです!

と、名乗り続けていたのも
これが理由だった。

感性でなく
思考で描いているのは
わかってはいたんだよね。




私のようなタイプとは逆に
感覚に敏感で、揺らされてしまう人は
コントロールの仕方がわかるようになる。



どちらのタイプにしろ


「感覚」に気づき、客観視し

「これは消え去っていくモノ(アニッチャー)」と
体感的に理解し
反応しない。


平静でいる。



嫌なコト(感覚)が
起こらないわけじゃない。
それが起こっても
平静で
苦しみを生む反応しない

それが、苦悩を生まないということ。


それが、この
ヴィパッサナー瞑想だ。







これ、本当は
納得したくなかった。


この論法?自体は
よく聞くこと。
捉え方次第だって。




だけどこれって
「ごまかし」みたいじゃない?

本当は
良いことが起こって
悪いことが起こらなければ
それでいい!

それが無理だから
そうやって
「心持ち次第」とか
上手いこと言ってるんじゃないの!

問題があるのに
見て見ぬ振りしてるだけじゃないの?


……って、本気で
反発してた。



でも、それが
体感としてわかってしまうと

問題は、あることにしてた
私の「幻想」でしかないと
体感してしまうと。

問題作るのが馬鹿らしくなる。


自分を苦しめているのは
自分でしかない。




そんなことを感じる以前に。

私は、私の感覚に気づいて
私の体と初めて繋がった。

私は、自分と繋がった。

そして、かつてない
「安心」がわかった。

自分の感覚を信頼する

自信

 

がわかった。
これは、本当に大きな変化で。


コース終了後
一週間経った今でも
さらなる変化を実感している。







ーーーゴエンカさんの声ーーー


初日から
指導のゴエンカさんの音声が
ダメだった。

そのうち慣れるかなあ
……と思っていたけれど。



4-5日目あたりからは
本気でツラくなってきて

ゴエンカさんの詠唱も
女性の声の講話も
耳栓しながら聞いていた。
(それでも十分聞こえる)




ヴィパッサナー瞑想になって
自分の感覚を意識することで
気がついたことは

まず、私は
他の感覚に比べて
「聴覚:音」に対して
ジャッジが多い



そして

いくら指導者のモノとはいえ
私は、ゴエンカさんの声が苦手だ。

イイモノに違いないと
ごまかして慣れるんじゃなくて
不快だ!


と、認識した上で
客観視。

「ああ、あるのね」
「これもずっとあるものじゃない
 変わっていくもの」

アニッチャ(無常)

不快だけど「嫌悪=おしのける」
しないことにした。



するとどうだろう。

翌日から
ゴエンカさんの音声が
普通に(耳栓なしで)
聞けるようになったのだ!!





ーーー症状:後鼻漏ーーー

 

私は
30年来の花粉症が悪化して
3年前に後鼻漏になって

鼻水が、前から出ず
喉に落ち
喉が常に絡んで
口の中もネバネバで不快

……という症状がある。

2年前には
東京の専門医にもかかったけど
1年経っても改善が見られず
半ば諦め気味だった。

喉が詰まって
苦しい感じはするけど
鼻呼吸は問題ないし

口の中がネバネバで
不快なカンジはするけど
ものが食べられないわけじゃない

とりあえず
死ぬわけじゃない。

だから、半ば諦めていた。
めっちゃ不快だけど
それも、3年も経てば慣れてきた。


ーーーーー


ヴィパッサナー瞑想で
体に意識を向け始めて
3日目(全体で7日目)

体の感覚に敏感になったせいか
喉の詰まりが
よりひどくなった気がしてきた。


症状緩和のための
漢方薬を
コース中は飲んで
いないからかもしれない。

口の中にも
液体がいつもよりも溢れ
ゴクリと飲み込まずにはいられない。

静かな瞑想ホールの中
私のゴクリという音が
響いている気がする。

不快が増している。


鼻から喉は
頭に近いせいか
とても客観視できない。




どうしたもんじゃ……と
ATに質問。

「コース中に不快な症状が出てくるのは
ラッキーなコトです。
(私、そういう意味でラッキー続きらしい^^;)
それは、変化していきます。

なかなか変化しないように
感じるかもしれません。

症状(不快な感覚)は
ろうそくの炎のようなものです。

ろうそくに
今までずっと「不快」という燃料を
注いでいました。

その燃料で炎(症状)が燃えています。
でも、今から(反応せず、平静でいることで)
その燃料を注ぐのをやめていけば
いつかは、燃料はなくなります。




燃料が少なくなり始めても
炎はしばらく変わりません。

最後の最後、燃料がすっかりなくなった時に
初めて、「ジュっ!」と、炎が消えるのです。

その燃料がどのくらいあるかは
誰にもわからないけれども
新しい燃料を注がないことで
それは、いつか無くなります。
そして、炎は、変化します。

なので、客観視してください。
平静に。
お医者さんが、ただ
患者さんの症状を診るみたいに」




このキャンドルの話に
えらく納得した私は

諦めないで
客観視をやってみることにした。

そう、これは修行だもの


症状が変わらなくても
不快でも
のけようとせず
ああ、あるんだ……とだけ
思い続けることにした。

嫌悪しない。

逆に
「よくなると良いな〜」
という渇望があったけど。



ーーーーーー


で、1日半。

この、鼻・口・喉の
不快をただある……
ある……と
瞑想の度に見続け

その翌朝(9日目朝)

ここ数年
こんなに
爽やかな口で
ご飯食べたことない!
……という体験をした。


嘘みたいだった。



それから
一週間以上経った今も
症状は軽い。

ただ、私が
この症状を以前ほど
不快に感じてないだけで
もしかしたら
症状自体は変わってないのかもしれない。

……とも思ったけど
いや、そんなコトないな。

漢方薬も
あれから一回も飲んでいない。
それなのに。

確実に変化している。


これは、想定外に
ありがたいことだ!
 

 

(つづく)