「世界は自分で創っている」
ならば
この「嫌な現実」も自分で創っているというの?
病気も?
いじめも?
この天気も?
究極。
はい、そうです。
自分の世界にほんのすこしでも触れるものは
全部「自分」。
それが現実。
なんでしょうが。
そうは言われても
そうそう受け入れられるものでもない。
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「嫌な現実」は、なんらかのメッセージ。
そう捉えることは
そこまで難しくないかもしれない。
なんのメッセージかというと。
「自分を生きていない」コトを
知らせるメッセージ。
自分を生きていない
=
偽りの自分を生きている。
自分で気がつかないくらいの偽り。
ごまかしてるコトにさえ気がつかない。
それを、気がつかせるメッセージ。
自分にとって「気持ち悪い/嫌な」出来事。
病気。
事故、怪我。
いじめ。
社会的に「良くない/悪い」とされることであっても
自分にとって、嫌でなければ(気分がよければ)は、「嫌/悪い」にしなくて良い。
もし「そうは言っても、社会的/倫理的/人として」……と思うなら
そこにまた鍵があるかも。
「嫌な出来事」が起こったら。
それはなんのために起こったのか?
それは自分に何を伝えているのか?
自分は何をごまかしているのか?
それを受け取るチャンス。
そして、それを知ったら。
それをやめれば良いだけ。

やりたいことをやって
やりたくないことをやめる。
心屋でも
ただ、それだけを
最初から最後まで、言い続けられているけれど
本当に、本当にそれだけだったりする。
体感している。
でも。
私がそうだったように
「やりたいこと」がわからないヒトは
「やりたくないコト」をやめることから。
さらに、自分をトコトンごまかしてきて
「やりたくないコト」さえもわからなくなっているヒトは
「嫌な現実」にそのヒントが隠れている。
それはなんのために起こったのか?
それは自分に何を伝えているのか?
自分は何をごまかしているのか?
「嫌な現実」
それは、避けたり、変えたりするモノじゃなくて。
チャンス。