ようやく。
私は【自分の感覚】が信じられるようになってきた。
これが「自分を生きる」ということだと
体感している。
ココロの勉強を始めてからも
長いあいだ
自分の「本当の望み」がわからなかった私。
当時
自分の「感覚」が完全にわからなくなっていた。
感情≒思考
感情も思考も、コロコロ変わり、すぐに裏切る。
そして、自分をどんどん信じられなくなっていく。
そのスパイラル。
そこで、次に私のしたことは
ココロからカラダに
フォーカスを移すことだった。
感覚≒カラダ
体は正直だ。
体の声を聞くことから
一気に視界が開けたと今は思っている。
医療にちっとも詳しくないし
人一倍、体に無頓着だった私が
医療関係者が多く参加するようなセミナーに出席するようになり。
思うことは。
ココロとカラダ/意識と現実が
あまりにも見事にリンクしているというコトだ。
ココロが変わればカラダが変わる(逆も然り)
意識が変われば現実が変わる(こっちは意識が先)
それも、とてもとてもわかりやすく。
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今まで学んだ
心屋も
数秘も
潜在意識も
全部「自分に戻る」ためのモノ。
しかし、当時
私の鈍りきった「感覚」は
ココロに聞いても全然わからなかった。
でも
布ナプキンを使い
後鼻漏になることで、花粉症と貧血と向き合うコトになり
言葉と病気の関係を学ぶことで
自分の体を
女性としての体を受け入れ
愛おしく思えるようになり
体からのメッセージを受け取るようになり
自分の体の感覚に、敏感になり。
自分の感覚に、ダメだしばかりしていた状態から
自分の感覚に、感じていいよと許可を出し
自分の感覚を、ようやくフラットに受け止められるようになった。
自分がホントは
何が食べたいのか
何が気持ちいいのか
何が好きなのか
何がしたいのか
誰と過ごしたいのか
どこに居たいのか
ホントはどうしたいのか?
それを一つ一つ
まずは、カラダに聞いた。
それは
カレーを食べながら
「私、このカレー好きなんでしょうか?」
(好きって感じたほうがいいのかな?)
それを、誰かに聞いていたような状態から
「私、このカレー好き!
でも、納豆入れたらもっと美味しいよね!」
って、言えるようになったくらいの感覚。
(感覚の例です……納豆カレーが好きなわけじゃ^^;)
一般的に良いとされるようなモノが好きと思えない
自分の好きは「常識」から外れてるんじゃないか
おかしいと思われるんじゃないか
つまらないと思われるんじゃないか
気持ち悪いと思われるんじゃないか
他人にどう思われるかで
ダメだしばかりしていた自分の感覚を。
あ、コレが私だ!
……って、ようやく取り戻した。
前回の投稿「私、子供を授かってもいい。」も
以前の私だったら言えなかったなあ。
ーーーーー
先日こんな場面に出くわした。
何か「権威」のありそうな
「知ってそうな」「わかってそうな」Aさんに
「巷では〇〇と言われてるけど、本当は××だから。
私は〇〇は違うと思う」
と言われた時に
一緒にいたBさんが
「え……私〇〇だと思ってたから
嬉しかったんだけど、違ったんだ……がっかり。」
あれ?違和感。
以前だったらきっと、Bさんと同じ反応していただろう私。
自分の感覚は間違いだと思ってた自分だったら。
一生懸命、学んだ「正解」を
「実は本当は〇〇なんだよね」と言われると
もう、何を信じていいかわからなくなる。
その不安。
闇の中を手探りで進めと言ってるような。
誰かの声がなければ時間も方向もわからず
動けず。
だから「誰かの声」をいつも求めていた時の。
その不安はよく分かる。
でも、今、私には違和感だ。
Aさんにとっての「正しさ」はそれでいい。
Bさんは「嬉しかったそれ」を、なかったコトにする必要はない。
自分の感覚の上に誰かを置かなくていい。
感じちゃった(^^コトをなかったことにしない。
これ、ホント……無自覚にやってたよね。
そして、逆に
自分の「正しさ」を人に押し付けることもきっとしてた。
今、人を見て気がつく。
違和感を感じる。
この「違和感」をかんじられるようになったコトが嬉しい。
「誰かの声」は必要ない。
「自分の声」を聞く。
その時。
カラダの声のほうが、ココロの声より、素直だ。
一番の変化は
わけのわからない「もやもや」や「不安」が
劇的に減ったこと。
外的要因に揺らされる不安な世界に生きているのではなく
自分が主体的に自分の感覚で生きている。
腕時計の地板を使ったディスプレイ。コインが降ってきてるみたい。
前々から
あの人、ホント、好きだなー
✨
と、思う人と。
今、会いたい人は誰?
という、質問で浮かんだ人と。
何気なく、数秘で調べてみたら
数字がBまで丸かぶりだった。
LPとのLLかぶりまで!
これって
✨
「感覚」と「数秘」が重なると嬉しい。
まるで、自分の「感覚」の答えあわせ。
応援されている気持ちになる。
この
「数秘」を信頼して「応援されている」感覚も
私の感覚。
きっと
まだまだ研ぎ澄ますことができる。
自分を生きることの気持ち良さ(^.^)
