なぜ【その体験をする必要があった】のか | キエコノ気づき

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2014年11月〜
自分に戻る過程での「気付き」を記したブログ

先週末の講座で

【なぜその体験をする必要があったのか】

その視点から
自分のこれまでの人生を振り返った時

ようやく
自分を受け入れることができた。


それは自分のルーツを受け入れること。



父と母を選んで生まれてきたということ
この体を
この性格を
選んで生まれてきたということ




そして

自分のこれまでを受け入れること。

過去を癒すのでもなく
何かの原因探しでもなく


淡々と「自己受容」することができた。




劇的な変化ではなく。
じわじわと。

 

大型タンカーがゆっくり方向転換するように。




ーーーーー


こんなこと。
2年前の私が言われても、まったくピンとこなかっただろう。

いや、それどころか
ついこの間まで
理屈では、頭では「わかっている」

「わかっている風」だった。




わかっている風、と
わかった、はぜんぜん違う。


本当に違う。






ーーーーーー


わかった風の私は

これであってるの?と
周りを見ながら正解を探し

少しの優劣を比べ

自分の感覚に耳を澄まそうにも

周りの音が耳に入って
聞こえなかった。

瞑想なんかも苦手で
雑念だらけ。





でも

その雑念だらけの瞑想も

それさえ「今の私の感覚そのもの」なのだと

受け入れ始めてから。

 





わかった私は

ちまたでよく言われてきた

「何が起きても大丈夫」
「起こることは全て最善」

を本当に信じられる。


……というか
もう、そうとしか感じられない。




ーーーーー




ほんの二ヶ月前までは


お金がなくなるどうしよう
親の介護が必要になったらどうしよう
このままだと、私は孤独死。
病気になって働けなくなったら一銭も入ってこない
保険入っておかなきゃ
恋愛うまくいかない、どうしよう
結婚しようかなあ、いやできないか





どうしよう、どうしよう。


いや、これホント。
 

どうしようもない。



自分の人生
頭でわかってる部分(5%)で
コントロールなんてできない。

「緩む/委ねる」

って、ずっと言ってきたけど。

本当にただの
わかった風で。

本当にわかったのは
ついつい、ごく最近のこと。





起きることが
全部自分の[この人生の目的]のため。


それがわかればもう怖くない。
 

 

 


環境や、周りの人々、お金。
外部のモノに翻弄されていた自分から

自分が選んでいる
(頭では理解できないもっと大きな部分=潜在意識で)
というコトを信じられた瞬間。






こうやって。

書けば書くほど
今までどこかで読んできた
言葉になってしまうのだけど(^^;

ああ、こういう意味で言っていたんだ……と
ようやくわかる。



ーーーー


数秘は「ココロの体質を知る」ツール。
ココロの遺伝子解析。



それを知って生かすことで、楽に生きられるようになる。

ずっとそう言ってきた。



それならば。

 


なぜ、その
ココロの体質を持って=選んで生まれてきたの?
カラダの体質を持って=選んで生まれてきたの?



数秘で体質を知るだけでなく

自分がそれを【選んで】きたのだという視点で
自分の今までも謎解きができたら。


この「自分」を作り上げるための「体験」だとしたら
今までのたとえネガティブな体験も
全部自分のものになる。




ーーーーーーー


今、辛すぎる状況にいる人は

とてもその「現実」を自分で選んでいるなんて思えないだろう。
私も、思えなかった。

ただ辛くて辛くて。
自分ばっかり損してる気がして。
周りに認められるような形や結果が欲しくて。

頑張った。
頑張った。

 

 

でも、もがけばもがくほど。

自分にはない幸せを望めば望むほど

泥沼にハマって行ったのが今は、よくわかる。



 

ーーーー

 

 

自分の全て経験が「する必要のあったもの」だとして
自分の人生をストーリー仕立てにしてみた。

そしたら見えてくるものがあった。

「ああ、このためにその体験をする必要があったのか!!」

無理やりでなく、自然にそう思える

今の私につながるストーリーができた。




ーーー具体的に書いたら長くなりすぎたのでまたの機会に;




それが、本当に
自分のシナリオ=人生の目的=使命
かどうかなんて

確かめようがない。



都合よく考えてるだけでしょ。

そうかもしれない。




それでも。

今の私が、そう思えて、そのために自分がこの体験を選んできて
そうだったのか〜〜〜って
つらかったことも、寂しかったことも
全てこのためだったのか〜と


爽快に「受け入れること」=「自己受容」できる。


心地よく自己受容できるコトが大切で。


できた風じゃなくて

無理やりするのでもなくて。


本当に心地よくそうなっているのが
大切で。


むしろ、にんまりしてしまうほどに(^^


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今、以前と何が違うかというと。

「変わりたい/変えよう」と思わなくなったことだ。



自分以外の何かになろうとしなくなったことだ。

状況をどうにかしようと思わなくなったコトだ。

 


目の前の問題はダミーというのもよくわかるし

 

気づくもの、目に止まるもの。

 

ひとつひとつ

全部自分が、能動的に選んでるのを(自分の頭では把握しきれないところで)

今は信じられる/わかるから

 


 

自分の「感覚」がすべての始まり。

 

自分を信頼する=自信。

それがようやく溢れる感覚がある。

 

 

 

 

結局は自分。

自分を能動的に生きる。

 

ネガティブな体験でも。
寂しくても悲しくても。
何が起きても。


全部自分。



ようやく。

ようやく自分になった気がしている。