世界は騒がしく動いていて
うおー、へー、と思いながらジッとしていて
さりとて全く何もしてないわけでもなく
4月。
暖かくなってきた。
桜も咲く。
昨日は4月の教室。
なんと昨日からヴァイオリンに移行。
Amatiのカタチを選んでみた。
おおーー、振り返ると2年ほど
基本の等音面に取り組んでいた。
家で彫らなかったしまあきっと超遅だろうけど
地味に超緩やかに続けていた。
毎週何度かwebもじにも取り組み続けてきたことは
セットして考えていいことだろうなと思う。
そういうこと。
いよいよヴァイオリン、とか言っても
ヴァイオリン制作だなんて
まあとても言えない。
ヴァイオリン制作という名を借りた、
「貴重な経験」であり「在り方のおけいこ」
みたいな感じに自分では思っている。
作業が目的思考じゃない、と、
あるべき姿勢みたいに言えなくもないけど
それはたまたまの状況であって
なんというか、ワタシ、
制作意欲というものがほんとなくて
ちょっと恐縮ですらあったりする。
けどまあそれもよし。
最初はどんな作業もすごくおっかなびっくりで
慎重すぎて大胆にできなかったり
そんなことも如実に顕れるものであって
面白い。
ワタシは、「ものづくり」みたいなもんに
こどもの頃からずっと苦手意識があったし
とにかくかなりどんくさいしセンスもないし
だから元々上手くできるとまるで思っていないので
色々できなくても別にがっかりはしなくって。
むしろきっとむちゃくちゃ初歩的なことに
いちいち、ほほーっ、なるほどそうかー
とか感嘆があって
手を動かして自分でもそれなりに進められてる
という喜びがある。
作業に没頭するひととき
もなんか嬉しい。
まああんま先のこと考えてないっていうか。![]()
そしてなんと言っても
「境目に居る」ということのおけいこである
ということかな。
自分はこんなだけど
たとえば、ものづくりや音を聴いて削ることに
比較的得意な感覚がある人にとっては
できたりできなかったりその微細な変化に対して
焦りや苦しさが生じ易いということも
あるのかもと思う。
そりゃそうだよね。
ワタシも何かもう少し最初からできるはずと
感じる分野においてだったら
そうなるかもしれない。
(とは言えそれってなんだろう。
)
もしかしたらこれから続けていった先には
苦しいことも起こるかもしれない、
よくわからない。
なんにせよ人が思い悩むことは
それはそれでとてもすばらしい。
苦しみっていうかトラブルも
輝くスパークだったりもする。
それは大抵、本人にとっては後からしか
わからないことだけど。
すべからく、豊かな行為の中には
なんだか人の世のもろもろが内包されていて
それに氣づく時どきにはいつも
ハッとするし、それが好物。
そして
フォノグラムを
理を
知りたいというのがもちろんある。
幾度も果てしない時を経て、今回こそは、と、
果敢にそれを思い出し切り拓く人々を魂たちを
できるならそっと見届けてみたい
という思いがある。
そんなことは人生のこのシーズンの
ご褒美だなあと思っています。
味わいながらまあぼちぼちで。



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