No.309 糸島市雷山の笠折神社・雷神社・層增岐神社①
宮原誠一の神社見聞牒(309)
令和8年(2026年)03月26日
雷山は曽増岐山(そそぎやま)といわれ、神功皇后と羽白熊鷲(はしろくまわし)の伝説に関係する地域です。雷山七合目付近に曽増岐神社(層々岐神社)の上宮があり、中宮の雷神社(いかづち)、下宮の笠折神社(かさおり)から構成されます。
下宮の笠折神社は、今の千如寺にありましたが、明治の神仏分離令により、中宮の雷神社に合祀されました。古くから雨請いの祈祷が盛んに行なわれた、とあります。
千如寺は曽増岐神社の神宮寺であり、天竺(インド)から渡来された霊鷲山の僧・清賀上人の開創と伝えられています。
千如寺大悲王院 福岡県糸島市雷山626
神功皇后と羽白熊鷲については、
No.29 第1次羽白熊鷲戦争と小郡市の御勢大霊石神社 2017年10月26日
No.30 大分八幡宮と神功皇后と開化天皇 2017年10月30日
No.31 羽白熊鷲の終焉と寺内の美奈宜神社 2017年11月5日
No.32 林田と寺内の二つの美奈宜神社 2017年11月6日
にふれています。
神功皇后と羽白熊鷲の決戦場が上秋月の愛宕神社前付近の「椿の森」が曽増岐野(千原)と言われ、羽白熊鷲は敗れ、今の寺内ダム付近に後退し、熊鷲軍は矢野竹に陣取り、連合軍は西の小高い山・喰那尾山(くいなをやま・栗尾山)山頂に陣を置きます。
そして、寺内ダム湖付近の荷原(いないばる)で最後の戦闘が行なわれ、羽白熊鷲は戦死。墓は寺内ダムの付属施設「あまぎ水の文化村」の「せせらぎ館」付近に造られました。
羽白熊鷲の塚 福岡県朝倉市矢野竹831
※あまぎ水の文化村・せせらぎ館
矢埜竹神社由来記によれば、羽白熊鷲の遺体は矢野竹村に葬られたと伝えられています。熊鷲塚と呼ばれる大きな古墳であったらしいが、開墾のために周囲から削り取られていき、ついには畑の中の小さな土盛りなってしまっていたという。この塚は「あまぎ水の文化村」建設時に発掘され、平成14年に「せせらぎ館」の前庭に復元されています。
羽白熊鷲の本拠地が糸島の雷山の雷神社あたりと聞いていました。そこが曽増岐であり、関連する寺社が、曽増岐神社、雷神社、千如寺、宇美八幡宮と調べはついていましたが、なかなか訪問できず今日に至りました。二月から三月の二日間を持ってようやく訪問を果たすことができました。
■中宮の雷神社(いかづち じんじゃ)
曽増岐神社(層々岐神社)は、上宮の曽増岐神社、中宮の雷神社、下宮の笠折神社(かさおり)から成り、下宮の笠折神社は今の千如寺にありましたが、明治の神仏分離令により、中宮の雷神社に合祀されました。
中宮・雷神社の前横に樹齢約千年の巨大杉「観音杉」があり、その傍の講堂に、十一面千手千眼観音が千如寺の本尊として安置されていました。十一面千手観音は天照女神の本地です。
※雷山古図
千如寺の十一面千手観音堂(旧講堂)を拝観した折、雷山古図の油絵がおいてありました。現在の千如寺は、宝暦3年(1753年)第6代福岡藩主・黒田継高公によって建立されました。その前時代の雷山古図です。許可を頂いて、一部を写真に収めました。
雷山古図に描かれた情景が、いつ頃かは不明ですが、宝暦3年(1753年)再建の上宮の三石祠が描き込まれていないため、宝暦3年以前の景観となります。
現在の雷神社の横に、広大な二層の堂が見え、これが「講堂」の建物とされ、十一面千手千眼観音が祀られていました。観音杉が描かれていないことから、千年以前と推測できます。雷神社と神宮寺が存在した時代です。
上宮の曽増岐神社には二棟の建物が見え、二基の石祠でないことから、天神七代、地神五代を祀ると思われます。
室町時代から戦国の長い戦乱の中で僧坊は荒廃します。
宝暦3年(1753年)に正殿の瓊々杵尊が6代福岡藩主・黒田継高公によって追祀され、石祠三殿となります。「太宰管内志」に天保12年(1841年)、雷山上宮に瓊々杵尊を祀る、とあります。
雷神社 福岡県糸島市雷山148
大幡主の注連縄です
扁額「雷神宮」雷神の宮?
許黄玉(天照女神)の石塔(灯籠)があります
玉垣の「三巴藤紋」
拝殿に「抱く菊葉に菊」紋があります
神額の下にも「抱く菊葉に菊」紋があります
※「抱く菊葉に菊」紋
朝倉秋月の入り口の目配山の麓に楢原地区があり、その楢原に大国主を主祭神とする奇志神社があります。弥永の大己貴神社の近くです。
奇志神社 福岡県朝倉市楢原664
祭神 大国主、少名彦、神功皇后
楢原地区の東に下渕(したふち)地区があり、ここに大国主一人を祀る老松神社が鎮座です。老松神社の祭神が大国主であれば、祭神は大幡主の置き換えとなります。神功皇后が羽白熊鷲討伐の折、ここでの皇軍の陣地を「御府の森」といった。
この奇志神社の神紋が「抱く菊葉に菊」紋なのです。(No.118)
奇志神社の本殿
百嶋学では、「抱く菊葉に菊紋」は神功皇后の紋章とします。その紋章が雷神社にあるのです。神功皇后と羽白熊鷲討伐の関係で、この紋章が雷神社にあるのでしょうか。「抱く菊葉に菊」紋章は雷神社の主祭神(天照女神)の紋章としか思えません。
奇志神社の境内社に厳島神社があります。奇志神社の本当の祭神は大幡主と天照女神なのではないでしょうか。
雷神社拝殿板書きの祭神
瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、
応神天皇、神功皇后、
久奈戸大神(くなと)、住吉大神
拝殿神額の右手に祭神を記した板書きがあります。
これによると、主祭神は瓊々杵尊です。
驚くことに、富家口伝のクナト神が記載されています。クナト神は千如寺に関係します。
雷神社の祭神はクナト神(大国主)と住吉大神(天照女神)の組み合わせか?
【福岡県神社誌】から
◎層々岐神社(そそぎじんじゃ) 上宮
糸島郡雷山村大字雷山字金原
祭神 瓊々杵命、伊弉諾尊、伊弉冊尊
社格 無格社
◎雷神社(いかづちじんじゃ) 中宮
糸島郡雷山村大字雷山字上西谷
祭神 火雷神、彦火火出見尊、香椎大神、応神天皇
合祀 笠折神社の祭神(級戸辺命・住吉大神・志賀大神)
由緒
昔 大足姫命の事跡にして 将軍家崇敬の履歴且亦勅書等の事共 旧藩に於て撰定の続風土記同く捨遺 筑陽記 扨は太宰管内志等に委曲に記載有 之旧藩主黒田家山林寄附社録等を被寄
祭神 級戸辺命、住吉大神、志賀大神は同大字 字下西谷村 笠折神社として祭祀ありしを 明治43年1月25日合併許可 大正9年3月29日県社に列せらる。
明治5年11月3日村社に定めらる。
又社説に述ぶる所 次の如し、
社記の伝ふる所に依れば人皇第6代孝安天皇より第11代垂仁天皇の御宇に至るまで、異国より我国に襲来せし事数度なりしに、当社の神大雷火となり異賊を降伏せしめ給ふ。垂仁天皇この御神徳を恐み、社殿を建て敵国降伏の神として尊崇せらる。
(中略)
明治維新廃藩置県の制度により御事歴顕著なる神社なるにも拘らず社格制定に際し村社に列せられ、大正8年3月昇格の請願を起し県社に列せらる。
氏子区域及戸数 雷山、高野、戸数60戸
境内神社 天満神社(菅原神)
本 殿
境内社・山神社
境内社「山神社」は正面でなく、本殿に向いています
九州国際大学教養研究第24巻第1号(2017・7)
豊日別宮古文書と古代豊国のキングメーカーの研究(1)(2) 橋本昭雄
によると、「同音異字のまとめ」に
「山 やま」は摩利支天(梵語 Marici) のことと言われる。
山神は摩利支天であり、大幡主ということになります。
また、摩利支天を祀る神社が宗像市東郷に摩利支神社としてあります。(No.284 285)
摩利支神社
福岡県宗像市東郷一丁目6−16
祭神 天之御中主大神(摩利支天)
葛城一言主神(摩利支明神、一言主は天御中主神と同一神)
猪(いのしし)に乗った摩利支天、猪は大幡主(宇佐八幡神)の神使い
※摩利支天
摩利支天は、仏教の守護神である天部の一尊で日天の妃ともいわれる。摩里支菩薩、威光菩薩とも呼ばれる。仏教の摩利支天を連想しますが、ここ摩利支神社では、摩利支大神は天之御中主神です。
※天之御中主神=葛城一言主神=大国魂の大幡主
山神社の祭神・大幡主は、本殿の主祭神に向いて、拝礼されていることになります。
大幡主が拝礼される神様は、天照女神、その御子の瓊々杵尊、彦穂々出見尊です。
※笠折とは
「道しるべする山人(やまと)の笠は重し呉山の雪、鞋(わらじ)は香ばし楚地の花」
道案内する山人(楚人)の笠には呉山(天皇家)という重たい雪が乗っかっている。足取りは重いが、自分たちが履いている鞋(わらじ)は芳しい、自分たちの先祖が住んでいた楚の国の茅草(チガヤ=ズバナ)で織り上げた草履だから。
■雷神社の祭神
雷神社の祭神は、拝殿の板書きからすると、
瓊瓊杵尊、彦火火出見尊(高祖宮)、
神功皇后(聖母宮)、応神天皇(八幡宮)、
久奈戸大神(くなと)、住吉大神
これによると、主祭神は瓊々杵尊です。
社伝では、雷神社は水火雷電神(すいからいでん)を主祭神に、左殿に高祖宮(彦火々出見尊)と聖母宮(神功皇后)と、右殿に住吉三神と八幡宮(応神天皇)を垂仁天皇の勅命により創建。
福岡県神社誌からみると、
火雷神、彦火火出見尊、香椎大神、応神天皇
これによると、主祭神は火雷神です。
下宮の笠折神社の祭神は級戸辺命、住吉大神、志賀大神
上宮の層々岐神社の祭神は
瓊々杵命、伊弉諾尊、伊弉冊尊
これによると、主祭神は瓊々杵尊です。
これらからすると、雷神社の主祭神は、火雷神の瓊々杵尊ということになります。
しかし、火雷神が瓊々杵尊とは考えられません。
また、瓊々杵尊と羽白熊鷲・神功皇后との関係は見出せません。
火雷神とはいかなる神様なのでしょうか。
※火雷神(ほのいかづちのかみ)
神格は雷神、水の神、雨乞いの神、稲作の神
雷神は竜蛇神として姿を現すことが多く、雨や水を掌る神とされる
※ウィキペディアの火雷神
火雷神(ほのいかづちのかみ)、
雷神(いかづちのかみ)、
八種雷神(やくさのいかづちのかみ)、
八雷神(やくさ いかづちのかみ)。
※雷神(いかづちのかみ)には男女神があるようです。
女神 火雷神(ほのいかづちのかみ)
男神 八雷神(やくさ いかづちのかみ)
火雷神は「火の雷神」でなく、「許(ほ)の雷神」とみるとわかりやすいです。
すると、火雷神は、天照女神の「許の雷神」となります。
八雷神は「八」が付くので、大幡主となります。
また、雷神社では、雨請いの祈祷が盛んに行なわれており、祭神は、雨乞いの神様、水神となります。
※貴船神社 雨を司る水神
高龗神(たかおかみ)=大幡主. 雨乞神 黒龍
闇龗神(くらおかみ)=天照女神 雨止神 白龍
また、下宮の笠折神社の祭神は級戸辺命、住吉大神、志賀大神となっています。
これからすると、祭神は「風の神」の天照女神となります。
※風の神
級長津彦神(しなつひこ)=天忍骨命=大幡主
級長戸辺神(しなとべのかみ)=龍田大神・市杵嶋姫=天照女神
■上宮・曽増岐神社(層々岐神社)
雷山七合目付近に上宮の曽増岐神社(層々岐神社)の上宮があります。
三基の石祠から構成されていますが、古昔は木造建築物であったことが「雷山古図」からわかります。
現在の千如寺大悲王院は、宝暦3年(1753年)第6代福岡藩主・黒田継高公によって建立されました。現在の三基石祠構成も、この時の建立です。
登山途中、糸島を見下ろす
左の山が可也山、右奥が志賀島(肉眼ではよく見えました)
雷山国際キャンプ場跡から徒歩で登りましたが、先の砂防ダムまでは軽自動車でいけます、ただし、離合ができませんので途中の計らいが必要です
上宮・雷山の登山口に着きました
上宮の後面に着きました
正殿に瓊々杵尊、左殿(右)に天神七代、右殿(左)に地神五代を祀る
正殿には「山の神」が祀られています
三基の石祠の後面に彫られている銘文(宝暦3年・1753年)は、よく読み取れませんが、正殿に瓊々杵尊、左殿(右)に天神七代、右殿(左)に地神五代と解釈できます。
右殿(左)地神五代
福岡県神社誌での祭神は瓊々杵命、伊弉諾尊、伊弉冊尊となっています。
福岡県神社誌の由緒記では、
人皇第6代孝安天皇より第11代垂仁天皇の御代に、異国より我国に襲来が数度あり、当社の神が大雷火となって異賊を降伏させたと。垂仁天皇は、この御神徳をかしこみて、社殿を建立し敵国降伏の神として尊崇せらる、とあります。
また、筑前国続風土記、筑前国続風土記捨遺、筑陽記、太宰管内志が引用されています。
「筑陽記」によれば、神功皇后の説話に基づき、天神七代、地神五代を祀る上宮の層增岐神社が創建。
「筑前国続風土記」宝永6年(1709年)では、上宮には天神七代、地神五代の総社として二社が鎮斎されていたと。
「太宰管内志」天保12年(1841年)では、雷山上宮は瓊々杵尊を祀ると
宝暦3年・1753年に正殿の瓊々杵尊が6代福岡藩主・黒田継高公によって追祀されたことになります。
※天神七代・地神五代
天神七代
1.国常立尊
2.国狭槌尊
3.豊斟渟尊
4.泥土煮尊・沙土煮尊
5.大戸之道尊・大戸門辺尊
6.面足尊・惶根尊
7.伊弉諾尊・伊弉冉尊
地神五代(三代)
天照大神
天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・彦火々出見尊
鵜草葺不合尊
正殿の石祠には「山の神」が祀られています。
前出の宗像市東郷の摩利支神社の祭神が
天之御中主神=葛城一言主神=大国魂の大幡主
としましたが、
摩利支天は日天の妃とされており、本来は女神です。
日天は大幡主、月天(月姫)は天照女神です。
摩利支天の神格を柔軟に考えると、摩利支天は女神とも男神ともなり得るのか。
摩利支天は女神だったのが、後に、男神に置き換えされたのか。
熊本県八代市の妙見宮(八代神社)の祭神は
天之御中主神、国常立尊(大幡主) です。(No.45)
八代神社の亀蛇の石碑の由来記に妙見由来が彫られています。
妙見神は聖なる北極星・北斗七星の象徴なり。
北斗信仰とは、
北斗とは北斗七星、北辰とは北極星のことで、北斗の神は妙見神で、妙見菩薩とは七曜の星(北斗七星)のことです。北斗の神は大幡主(豊受大神)で、北辰の神は天照女神(天照皇大神)となります。
霊符神社の霊符は、上に太上神仙鎮宅霊符と題し、中央に本尊妙見が亀蛇に駕する像を配置し、その周囲に北斗七星、左右に七十二の秘法を書き、下に霊符釈が記してあります。
総じて、妙見神とは
天之御中主神=菊理姫=白山姫=天照女神
国常立尊=大幡主
の二神となります。
すると、
曽増岐神社の上宮・曽増岐神社、中宮・雷神社、下宮・笠折神社の主祭神は
天照女神
となります。
■曽増岐神社・雷神社の祭祀線
神功皇后と羽白熊鷲の決戦場が、上秋月の愛宕神社前付近の「椿の森」の曽増岐野(千原)と言われ、曽増岐の地名が雷山にも残されていました。
※羽白熊鷲(百嶋先生講演要約)
南九州の熊襲の頭領は建南方(建御名方)ですが、北熊本から肥前東、筑後、朝倉も広い意味で熊襲の領域でした。その熊襲の最頂点の惣領に立つのが大国主でした。
結果、長髄彦の反乱、建南方の乱と一連の騒動のすべての責任を負うことになり、記紀神話でいう国譲り交渉となっていきます。大国主が関東に去られた後、川上猛(かわかみたける)は肥前背振東部を本拠地に、羽白熊鷲は朝倉を本拠地に勢力を張っていくことになります。
建南方の乱の後に続いたのが羽白熊鷲ですが、反乱拠点の第一の場所は福岡県旧甘木市の寺内ダムのところです。もう一つの牙城は、糸島の雷山です。(雷神社あたり)
曽増岐神社(石祠)、雷神社の社殿は東を向いており、社殿向きの祭祀線を調べてみました。
雷神社-熊鷲墓祭祀線1
雷神社-熊鷲墓祭祀線2
雷神社-熊鷲墓祭祀線3
雷神社-熊鷲墓祭祀線4
雷神社-熊鷲塚(E+7.7)祭祀線は、筑紫神社参道、大己貴神社参道を通ります。
上宮-熊鷲塚(E+6.3)祭祀線は、筑紫五郎山古墳を通ります。
筑紫神社 福岡県筑紫野市原田2550
祭神 五十猛命(=大幡主)、玉依姫命、坂上田村麿
辛島氏は五十猛を奉斎し、加羅を経由し、筑前国筑紫神社に五十猛を祀り、次に香春岳で加羅の神を祀り、さらに宇佐郡に入り、小椋山に北辰社を祀った。
大己貴神社
福岡県朝倉郡筑前町弥永697
祭神 大己貴命、天照大神、春日大神
幸神(さいのかみ)と塞神(さいのかみ)は天照女神とクナト神(大国主)です
雷神社-羽白熊鷲塚・祭祀線は、大幡主と羽白熊鷲との結びつきを強くします。羽白熊鷲は大幡主と天照女神の御子か直系子孫と考えられます。
福岡県神社誌による上宮・曽増岐神社の祭神は瓊々杵命、伊弉諾尊、伊弉冊尊となっていますが、伊弉諾尊と伊弉冊尊は大幡主と天照女神の置き換えとしております。祭神の瓊々杵命は羽白熊鷲の置き換えが考えられます。
雷山の祭神の仮説です
下宮の笠折神社(かさおり)の祭神 天照女神
中宮の雷神社(いかづち) の祭神 天照女神 大幡主と羽白熊鷲
上宮の曽増岐神社(そそぎ)の祭神 天照女神 大幡主と羽白熊鷲











































