No.301 香椎宮境外末社・濱男神社と御島神社①
宮原誠一の神社見聞牒(301)
令和8年(2026年)01月07日
香椎宮(かしいぐう)の社説によれば、
元正天皇の養老七年(723年) 神功皇后の神託により、仲哀天皇神祠の側に新に社殿を造営し、皇后の神霊を鎮祭されたのが、聖武天皇の神亀元年(724年)であった。以来、両宮を合わせて香椎廟と称した。
時勢の変遷により、何時しか、神功皇后の神祠のみを香椎宮と称した。仲哀天皇の神祠は古宮の名称の下に摂社とされてきたが、大正四年(1915年)11月、勅旨により古宮より遷座され、皇后と同座に奉斎することになった。
香椎宮 福岡県福岡市東区香椎四丁目16−1
古宮 福岡県福岡市東区香椎三丁目20−19
香椎宮としての社殿が造営されたのは、聖武天皇の神亀元年(724年)であった。この時は、神功皇后のみを祀る社殿でしたが、大正四年(1915年)、境内東の離れにある仲哀廟の古宮が合祀され、現在の香椎宮の姿になったという。
香椎宮の社殿造営は比較的新しく、香椎宮は神功皇后のみを祀る宮であった。仲哀天皇・神功皇后の二霊を並び祀ったのは大正四年(1915年)のことでした。
■弁財天社(香椎宮境内社)と濱男神社と御島神社の祭祀線
ところが、神亀元年(724年)に、香椎宮社殿が造営される前に、すでに同敷地に祀られていた神社がありました。境内に入ってすぐ左手にある弁財天社です。弁財天が習合されたのは室町時代から江戸時代にかけてですので、当時は何社といったのでしょうか。厳島神社、市杵島神社?それとも壱岐島神社?
弁財天社(香椎宮境内社)
弁財天社
祭神 市杵嶋姫
縁日 巳の日
由緒 香椎宮八所のひとつとして香椎宮創始の昔よりお祭りしてあった。
この弁財香椎天社は香椎宮編年記に「嘉永八年(1631)再び宮前の池を穿(うが)ち、また古規の如く弁財天の社を建つ」と見えているように、それ以前から、この中之島に御鎮祭してあった事がわかります。
また、明治の初年、故あって、香椎馬場にお遷りしてあった、昭和32年9月2日に再び、この地に御遷座されました。
さらに、香椎宮頓宮(香椎一丁目23−2)、西鉄香椎宮前駅近くのビルの谷間に濱男神社(はまお)があります。濱男神社の案内板に興味深いことが書いてありました。
古昔、濱男神社は、香椎浜地先の御島にある御島神社の遥拝所であった。御島神社と濱男神社と香椎宮は直線に結ばれることが、案内版の地図から想定されます。
濱男神社
福岡県福岡市東区香椎駅前一丁目4−4
濱男神社は糟屋郡(旧)香椎村大字濱男(はまお)に鎮座です
濱男神社由緒(一部)
浜男町は香椎の西にある町地、ここも香椎村の境内なり。橿日の浦とあるはこの所なり。香椎宮の末社であり、かつては、御島神社の遥拝所であった。
※濱男神社は昔の海岸線の近くにあったことがわかります。祭祀線は当方が記入。
香椎浜地先の御島にある御島神社(みしま)
ところが、御島神社と濱男神社と香椎宮(本殿)の祭祀線をよく調べると、三点は祭祀線に乗らないのです。御島神社と濱男神社と弁財天社(境内社)が祭祀線になるのです。
御島香椎宮祭祀線14-1
御島香椎宮祭祀線14-2
御島神社鳥居・香椎宮一の鳥居・濱男神社・弁財天社(境内社)の祭祀線
香椎宮一の鳥居は、昭和の初めまで楼門前にあったもので、一時期、香椎川沿いの道路に移され、後に、埋め立てが整備された片男佐海岸近くに建てられた、という。
1930年頃(昭和初期)の名島香椎の地図14-2
香椎宮社説によれば、御島神社は綿津見神を祀るという。
濱男神社は御島神社の遥拝所であった。
弁財天社は香椎宮創始の昔より鎮座する古社であった。
弁財天社は白龍(白蛇)の市杵島姫(天照女神)を祀ります。
すると、御島神社の本来の表記は「巳島神社」ではと思うのです。
さらに、三島神社も「巳島神社」ではと思うのです。
市杵嶋姫を祀る弁財天社の縁日は「巳(み)の日」とあります。
※若宮と少宮
若宮を「わかみや」と呼んではいけません、「じゃの宮」。表意は蛇宮(じゃぐう)で、「蛇の宮」です。すると、祭神は天照女神となります。
「日の若宮」(へびの宮)は天照女神であり、「日の少宮」(すくな宮)は大幡主であり、合わせて「日の宮」とよんでいます。
三島神社等の祭神に「大巳貴神と少名彦神」のコンビを見かけます。これも「天照女神と大幡主」の対偶神です。三島神社も「巳島神社」でしょう。
■御島神社(みしま じんじゃ)
都市高速から見る御島神社鳥居と御島(鳥居の上) Google Mapから
香椎宮一の鳥居前から見る御島神社
香椎宮一の鳥居前から見る御島神社鳥居
香椎宮一の鳥居・扁額「香椎宮」
香椎宮一の鳥居は、昭和の初めまで楼門前にあったもので、一時期、香椎川沿いの道路に移され、後に、埋め立てが整備された片男佐海岸近くに建てられた、という。
御島神社について、詳しく書かれたブログ記事がありました。借用しました。
https://hama-sush-jp.pro/kashii-ucchan/entry-12508920542.html
香椎うっちゃんのブログ 香椎浪漫
御島神社祭 (香椎宮末社) 2016-09-19
御島神社祭(みしまじんじゃさい・香椎宮末社)
御島神社祭は旧暦による「中秋の名月」の日に執り行われます
祭神は綿津見大神(わだつみのおおかみ)
御島神社鳥居の近景
昭和初期からの埋め立て以前は、「濱男神社」の裏が香椎潟の波打ち際でした。 昔、香椎宮の神職は毎朝この場所から小船に乗って、「御島神社」へお祈りに行っていました。雨・風が強くて船が出せない時のみ、「濱男神社」からお祈りしていたのです。遥拝所の役割もあったのでしょうか。
以上、「香椎うっちゃんのブログ 香椎浪漫」からでした。
鳥居の扁額は「御島神社」、許黄玉の石塔には「濱男中」とあります。(旧)糟屋郡香椎村の濱男(はまお)の人たちの奉斎です。 鳥居の扁額は対馬の方を向いており、かつ、扁額は濱男神社の方を向いており、濱男神社から遥拝するとなれば、鳥居は石祠の前に取り付けるのが普通ですが、海底の状況によって石祠の横に建てられたのでしょうか。
昔、香椎宮の神職は毎朝、濱男神社から小船に乗って、「御島神社」へ司祭しており、雨風が強くて船が出せない時は、「濱男神社」から司祭していたという。それほどに、この御島神社は香椎宮にとって重要だったのです。
■濱男神社(はまお じんじゃ)
現在の濱男神社はビルの谷間にあるものの、かつては橿日の浦の浜辺にあったという。香椎宮の末社であり、御島神社の遥拝所であった。
1930年頃(昭和初期)の名島香椎の地図21
名島も神功皇后西征所縁の地です
昭和初期(1930年)の地図から見る妙見島付近の現在
濱男神社
福岡県福岡市東区香椎駅前一丁目4−4
境内前から見る花立山(中奥)と三日月山(右前)
濱男神社 香椎宮末社
祭神 一説に綿津見神を祀る
由緒 「浜男町は香椎の西にある町地、此も香椎邑(村)の境内なり。日本書紀に橿日の浦とあるは此所地。いにしえは町なかりしを、筑前中納言(小早川)秀秋の時立ちる。此所に浜男大明神あり。是香椎の末社にして、神功皇后異国退治の時、日本海辺の事を司りし神といふ」筑前国続風土記
「濱男大明神、本宮西八町半許りにあり。此の神、神功皇后西征の時、海上を司り給ひし神なり」香椎宮編年記
香椎宮の末社であり、かつては御島神社の遥拝殿であった演男神社。神功皇后の足跡が残る神域でもあり、神話以来この地に残ります。
当社は、神功皇后が御姿を男装に整えられ、御島神社を遥拝した場所と伝わります。のちに神社とされ、香椎宮の神官が日ごとこの濱男神社へ赴き、船で御島神社へ渡って祀る習わしがあったと云います。現在残ってはいませんが、境内左には小道があり、そこを通って舟に乗り御島神社へ向かいました。その帰路が霧に覆われた時には、境内のエノキの木を目印に戻り着いたと云います。
また海が荒れ御島神社へ行けない時は、その遥拝殿である当社で祭祀が執り行われました。 濱男神社は香椎宮参詣の入口とも伝わります。鬼門である北東にそぴえる立花山を支えに香椎宮参詣の警護の役目も担うと伝わります。 令和7年
祭神は一説に綿津見神とあり、確定していないようです。
神功皇后西征の時、海上を司り給ひし神なり、とあります。
宗像大菩薩縁起に、宗像大菩薩(強石将軍)が新羅海戦の指揮をされたたことが書かれています。赤白二流の旗を「御長手」の竹竿に付けられ、これを軍の前陣に掲げて進まれた。新羅海戦において、宗大臣(宗像大菩薩)が「御長手」を振下ろせば、藤大臣(高良大菩薩)が乾珠を海に入れて潮を引かせ、次に宗大臣が「御長手」を振上げれば、藤大臣が満珠を海に入れて潮が満ちたという。赤白二流の旗をつけた「御長手」の竹竿は、潮の干満の状態を伝達する手段に使用されています。現代艦隊では、旗艦に相当します。
宗像大菩薩(強石将軍)=宗大臣=藤大臣(高良大菩薩)=大国魂大幡主
宗像神社の宗大臣は宗像大菩薩(強石将軍)、高良神社の藤大臣は高良大菩薩で、大幡主と同一人物です。よって、宗像神社の祭神も高良神社の祭神も同一人物で、大幡主です。宗像神社の基底は高良神社です。(No.299)
濱男神社の祭神は藤大臣の大国魂大幡主か?
すると、神功皇后とは誰?となります。
■再び御島神社の祭祀線について
御島神社の鳥居と扁額は濱男神社の方を向いており、濱男神社から遥拝するとなれば、鳥居は石祠の前に取り付けるのが普通ですが、海底の状況によって石祠の横に建てられたのでしょうか。もし、さらに御島神社を通り越して遥拝となれば、その先はどこにいくのでしょうか。
弁財天社(境内社)・濱男神社・御島神社鳥居の祭祀線が、さらに延長したらどこに行くか見てみました。
御島・香椎宮祭祀線14-2
弁財天社(境内社)・濱男神社・香椎宮一の鳥居・御島神社鳥居の祭祀線
祭祀線は対馬の南端を抜け、韓国の全羅南道の光州市付近に達します。古代の百済です。
福岡県福津市の宮地嶽神社の祭祀線と重なります。
※福岡県福津市の宮地嶽神社の祭祀線
宮地嶽神社の参道先は相島を通り、春秋時代の呉の首都・姑蘇(こそ 江蘇省蘇州市)を通り、さらに楚国首都・郢(えい湖北省荊州市荊州区)に至ります。
宮地嶽神社の祭祀線(奥宮→波折神社→楯崎神社)は韓国光州へ、韓国全羅南道の光州市付近一帯には前方後円墳が分布する。(No.251)
山頂祭祀線は、
宮地嶽神社本殿―宮地山―在自山の三点で直線に乗ります。
在自山(あらじやま)→荒地山→安羅山→宮地山→宮地嶽神社→安羅人
現人(あらひと)、荒人(あらひと)と「あらひと」は大幡主 or 天照女神につながるのです。


































