No.291 阿蘇の神々 宮崎五ヶ瀬町鞍岡の冠八面大明神

 
宮原誠一の神社見聞牒(291)
令和7年(2025年)10月21日
 

「No.290 阿蘇の神々 宮崎五ヶ瀬町鞍岡の神々」からの続きです。
五ヶ瀬町鞍岡に対して、佐賀県神埼市広滝に字は違いますが、「倉岡」があります。
背振山麓に佐賀県神埼市に櫛田神社の本宮とされる須佐之男命・櫛稲田姫を祀る櫛田神社があります。

背振山の城原川(じょうばる)の脊振谷に入ると、大幡主を祀る白角折(おしとり)神社があり、更に登ると、大幡主を祀る八天宮(八天神社) があり、その背後に土器山があります。土器山の「土」は土に「、」が付き、「王器山」となり「おうき山」と読み、大幡に因む山となります。さらに、右手に大山咋神、日本武尊を祀る仁比山(にいやま)神社があります。

さらに、その上の山地に素戔嗚尊を祀る今屋敷の倉岡神社、櫛稲田姫を祀る倉谷の倉谷神社がありましたが、現在、両神社は合祀されて、倉谷の倉岡神社となっています。(No.256)
また、背振山西部の唐津市七山には、古我武禮(こがむれ)神社の祭神・冠八面大明神、すなわち、八面大神(龍神)を祀る馬川神社の合祀社・八面神社があるのです。


佐賀広滝の倉岡神社
佐賀県神埼市脊振町広滝3435
祭神 素盞鳴尊 櫛稲田姫

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素盞鳴命を祭神とする神社です。倉谷地区の倉岡神社と同名の神社ですが、『神埼郡村誌』では、今屋敷の神社を「倉岡神社(素盞鳴尊)」、倉谷地区神社を「倉谷神社(櫛稲田姫命)」と記され、倉谷神社は明治41年に倉谷の倉岡神社に合祀されています。実際には祀られているのは男女神の二体です。


佐賀七山の八面神社 (馬川神社の合祀社)
佐賀県唐津市七山馬川1119

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佐賀県七山馬川の八面神社(右)の由来は、
「馬川川渕に龍神が住み、道行く人に危害を加えていたが、神のお告げにより、社を建て八面の神鏡を作り祭ったところ危害は亡くなったという説話あり」とあり、龍神を祀るのですが、奇しくも、祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫と表記されています。どうして、龍神が素戔嗚尊・奇稲田姫となるのでしょうか?両神は龍神とはなりません。


五ヶ瀬町の祇園神社
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町鞍岡6066

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五ヶ瀬町の祇園神社は、曽男神(楚男神)を祀る二神神社と思われますが、貞観11年(869) 京都の感神院祇園社(八坂神社)より牛頭天王(素盞鳴尊)を勧請し、祇園神社となりました。
祭神は、素盞嗚尊・奇稲田姫、大己貴神・伊弉冊尊が主な祭神で、五ツ瀬命を祀ります。

境内三社

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境内社
生目八幡神社
生目八幡の大幡主(右)、子守(小森)神の天照女神(左)
大山祇神社 (山ノ神)
熊野権現神社
家都御子神 熊野速玉神 熊野夫須美神
古我武禮神社 (冠八面大明神) 闇龗神(八岐大蛇)
妙見社 水波能売神(水神)

※阿蘇神社
本殿右横に摂社の形で境内社・生目八幡神社があるということは、
この祇園社の古宮は阿蘇神社ということです。


※古我武禮神社(こがむれ)
実際の古我武禮神社(冠八面大明神)には、男女二神が祀られており、闇龗神であるため、この社は貴船神社とみます。

 貴船神社 雨を司る水神
 高龗神(たかおかみ)=大幡主 .雨乞神 黒龍神
 闇龗神(くらおかみ)=天照女神 雨止神 白龍神




冠岳麓の古我牟礼神社
祇園神社の五ヶ瀬川対岸の南方に冠岳(かむれだけ)があり、その麓に小社のお堂みたいな古我牟礼神社があります。古我牟礼神社は祇園神社の境内社で古我武禮神社として祀られています。祇園神社由緒では、祭神は冠八面大明神と申し、闇龗神(くらおかみのかみ)の龍神であるという。
「古我武礼神社 こがむれ」は、現代版に翻訳すれば、「古賀村の神社」となります。北西方向に古賀、倉本の地名が谷間にあります。冠を「かむれ」と呼ばれていますので、冠岳は「かの村の山」となります。「か村」は付近に見当たりませんので、「火の村」でしょうか。

 

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社殿から境内正面を見おろします

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古我牟礼神社
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町鞍岡(小切畑)

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闇龗神(左) 高龗神(右)


古我武礼神社
実際の古我武礼神社(冠八面大明神)には、男女二神が祀られており、闇龗神であるため、この社は貴船神社とみます。宗像大宮司家の屋敷神が貴船神社です。

 

 .貴船神社 雨を司る水神
 .高龗神(たかおかみ)=大幡主 .雨乞神 黒龍神
 .闇龗神(くらおかみ)=天照女神 雨止神 白龍神

 

 

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社壁の由来案内版
冠八面大明神の由来
冠八面(かむれやつおもて)大明神とは今の古我武礼神社のことである。
この古我武礼神社の祭神は闇淤加美神(くらおかみ)という。闇とは陽のささぬ谷間のことで、淤加美とは雨を掌る龍神のことである。
鞍岡村としい村名の「くらおか」は、この冠八面大明神の祭神「くらおかみ」を祀った所なので、その名前から言われたという説がある。「くらおか」というのは地名学的には「日蔭の岡」という意味で、闇淤加美神を祀るのには一番適当な所であろう。
八面大明神は既に千年も前に仁和三年(886年)に祭られたという伝説がある。(五ヶ瀬町史59頁冠八面大明神の項より抜粋)
注記 現在 祭礼は毎年中(なか)の九日(10月19日)に行われ、清水寺(清原家)と迫(吉岡家)が交替で座元をつとめている。

 

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水神祭り?

 

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田主丸町巨瀬川筋の水神祭とワラツト、古我武礼神社の水神祭と似ています

 


冠八面を「かむれやつおもて」とよんでいます。
「古我武礼神社の祭礼は毎年10月19日に行われ、清水寺の清原家と迫の吉岡家が交替で座元をつとめている」という。田主丸町の柳瀬に清原家(別名松家)、田主丸町の門ノ上に吉岡家があり、鞍岡の清原家と吉岡家が重なり、さらに両家は高淤加美神(高龗)と闇淤加美神(闇龗)に対応します。

佐賀県の脊振町広滝では、櫛稲田姫を祀る倉谷神社、素戔嗚尊を祀る倉岡神社があり、両神社は合祀されて、倉谷の倉岡神社となっています。
この関係が、そのまま鞍岡に当てはまります。
古賀、倉本の谷間の倉谷(仮)に闇淤加美神(闇龗)を祀り、鞍岡の岡に高淤加美神(曽男神)を祀ります。両神を祀ったのが古我武礼神社です。祇園神社も同様です。
「八」の字がつく祭神名等は、ほとんどが大幡主の神です。




佐賀県七山の馬川神社
馬川神社は、寛永5年(1628)、息長足姫(神功皇后)・応神天皇を如意大明神として勧請し建立されました。明治41年(1908)、神社合祀令により、周辺の神社が合祀されました。そのなかに龍神様を祀る八面神社(素戔嗚尊・奇稲田姫)があります。

合祀神社
祇園社(八坂神社)  素戔嗚尊
八面神社(龍神様)  素戔嗚尊・奇稲田姫 → 高龗神・闇龗神
中山神社(門神社)  豊磐窓命・奇(櫛)磐窓命
笛嶽神社(熊野権現)  速玉男尊・伊弉冊尊・事解男尊


馬川神社(如意大明神)
佐賀県唐津市七山馬川1119

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正面鳥居「祇園社」

 

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正面鳥居「祇園社」

 

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「祇園社」鳥居の裏側から、右に許黄玉の石塔灯籠

 

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拝殿正面前 中山神社(左)、如意大明神(中・馬川神社)、八面神社(右)

 

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拝殿内

 

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馬川神社縁起
祭神 息長足姫(神功皇后)・応神天皇
寛永5年(1628)、馬川区民の懇請により息長足姫(神功皇后)・応神天皇の祭神をお迎えして建立する 明治41年(1908)、神社合祀勧告により合祀を行った
本社 馬川神社 七山村馬川宮ノ前1119番地
合祀社
祇園社(八坂神社)  素戔嗚尊 馬川中村
八面神社(龍神様)  素戔嗚尊・奇稲田姫 馬川下門川渕
※馬川川渕に龍神が住み道行く人に危害を加えていたが、神のお告げにより、社を建て八面の神鏡を作り祭ったところ危害は亡くなったという説話あり
中山神社(門神社)  豊磐窓命・奇磐窓命 馬川松阪
笛嶽神社(権現様)  速玉男尊・伊弉冊尊・事解男尊 馬川笛嶽中腹
馬川民間信仰 毘沙門様、お大師様、薬師様、大日如来、権現様、社日様

 

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本殿内の神殿、向拝には亀蛇の彫刻

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神殿内に馬川神社、祇園社、八面神社、笛嶽神社の四祠があります
八面神社の祠には八面の鏡が納められています
馬川村の祭神は大幡主と天照女神です

 

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合祀境内社・中山神社(門神社 もんがみ)

 

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後方鳥居「笛嶽神社」

 

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社殿後方の藤棚(天照女神と大幡主の藤)


鬼払い祭事 (馬川神社の拝殿内)

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脊振の村の神社の祭事では、餅を悪魔(鬼)の的に仕立てて、鬼を射抜く祭事があります。「餅を鬼の的に仕立てる」のは、豊受大神・保食神(うけもちのかみ)を鬼に仕立てて、鬼を追い払う祭事だったのです。現在では、藁縄の巻御座にした的が使用されています。No.205
どこに行っても、大幡主は鬼に仕立てられ、鬼払いの処遇です。「一鬼」さんは「一木」さんです。

※ここでは保食神を天鈿女命とされていますが、これは後の話で、当初の伊勢外宮の豊受大神・保食神は大幡主で、後に、内宮(女神)と外宮(男神)は入れ替えられ、現在の伊勢外宮は天鈿女命とされています。しかし、実際の神霊はどうなんでしょう。




鞍岡の曽男神
宮崎五ヶ瀬町鞍岡は九州のヘソの山地であり、原始の神社が残されていると思ったのですが、鞍岡の祇園神社でも、貞観11年(869)、京都の感神院祇園社が勧請され、上書きされていました。
救いなのは、まだ、原初の型式が残されていたこと。由緒に当初の祭神である曽男神が表記されていたことは参考になりました。
しかし、由緒では原始の神社が「祇園社」とされており、再勧請の必要はないのですが、やはり、曽男神は素盞鳴尊とは別物なのでしょう。

「曽」は鹿児島の「曽」であっても、「楚」に変わりはなく、曽男神は楚男神であり、古代中国の黎族の派生の白族であり、その代表は、先祖が楚国出身の八幡神・大幡主と思うのです。 すると、大幡主と大日女尊(大日孁尊=天照女神)の出会いは、大伽耶、安羅伽耶、福岡の糸島、福岡の宗像、それとも鹿児島の西海岸が想定されます。そこが天族(あま族)の出発の地となるのでしょう。


祇園社に素戔嗚尊・奇(櫛)稲田姫の祭神はよく見かけますが、これは、日本書紀の八岐大蛇神話の中の世界と思っています。櫛稲田姫の出身は、熊本県山鹿市の旧稲田村高橋とされています。そこに高橋八幡神社があり、

高橋八幡神社
熊本県山鹿市鹿本町高橋413

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境内社に高橋金神社があります。
祭神は
金山彦 → 足名椎命=面足尊(おもだる)
埴安姫 → 手名椎命=惶根尊(かしこね)
とあります。
言い換えれば、祭神は足名椎命=面足尊=大幡主、手名椎命=惶根尊=天照女神 となります。

高橋金神社も高橋神(天照女神)・金神(こんじん 大幡主)の神社と見れます。
さらに、天照女神の若宮神社が境内社としてあります。
本殿の彫刻をみれば、二匹の波ウサギ、波に馬、波に鯉、十字剣の彫刻等、神額は天照女神の型式、欄干は朱の天照女神の型式で、天照女神を祀る所に一位樫(柏)ありで、天照女神と大幡主の祭神を想起させます。(天照女神を祀る神社は正一位神社、正一位若宮神社で一位柏あり)

 

※2017年9月高橋八幡神社を初めて訪問し、「No.120 櫛稲田姫生誕伝説の地」の記事を書いた頃は未熟でした。百嶋神社学に頼り過ぎでした。
社紋は「円天角地に十字剣」とされますが、私には、十字剣は門光(花菱)にみえます。
この高橋八幡神社は、建久2年(1191) 菊池隆定によって宇佐八幡宮から分祀されました。宇佐宮の本来の祭神は天照女神と大幡主です。本殿の向拝は4本柱で本質は高良神社です。金山彦とは関係ありません。


それで、祭神の「素戔嗚尊・櫛稲田姫」の組み合わせは「大幡主・天照女神」の置き換えとみるのです。
すると、佐賀広滝の倉岡神社の祭神も「大幡主・天照女神」となるのです。