No.272 筑後小郡市の天満稲荷神社から更にわかった事

 
宮原誠一の神社見聞牒(272)
令和7年(2025年)03月29日
 

倉稲魂神社 福岡県小郡市松崎704
祭神:倉稲魂命(うかのみたま)

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2025.3.14 撮影

 

 
去年(2024年)の夏、小郡市松崎の天満稲荷神社と月姫稲荷神社を訪問しました。その時、天満神社と倉稲魂神社(稲荷神社)は合併されたにもかかわらず、合併社の天満稲荷神社と倉稲魂神社(稲荷神社)の二社が存在するのが不思議でした。
今年(2025年)3月14日、小郡市三沢の九州歴史資料館の企画展「高良山の仏教美術」を訪問し、その後、再度、松崎の天満稲荷神社を訪問しました。そして、その謎が解けたのでした。

 

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天満稲荷神社と月姫稲荷神社の歴史的経過の復習です。
No.258 259「月姫(かぐや姫)と玉垂命と天照女神」令和6年(2024年)09月03日 から要約

久留米2代藩主有馬忠頼には子がいなかったので、但馬国(兵庫県)出石(いずし)藩主・小出吉重に嫁いだ忠頼の妹の子の豊祐(豊範)を養子として迎えます。その後、忠頼に頼利頼元等の男子が生まれ、寛文8年(1668) 忠頼の死亡後、頼利が跡を継いだので、豊範に松崎1万石が分与され松崎藩主となりました。しかし、貞享元年(1684)、豊範が姉婿の陸奥国窪田藩主(福島県)土方雄隆の家督相続に巻き込まれて、幕府の怒りに触れ、連座して松崎領1万石は没収され、豊範は久留米藩預かりとなり、元禄13年(1700)、53歳で久留米篠山城にて死亡。墓は梅林寺にあります。これより松崎は天領となり、貞亨2年(1685)、松崎城は破却され、江戸より代官服部六左衛門が松崎代官所に赴任します。

倉稲魂神社は、寛文8年(1668)に有馬豊範が松崎藩1万石を分封された際、城の鎮護として京都の伏見稲荷大社から勧請して城北に祀ったことが始まりです。
その後、松崎は天領となり、貞亨2年(1685)、服部六左衛門が松崎代官所に赴任し、元禄2年(1689)、小郡市下岩田念島にあった天満神社を、代官服部が松崎宿の鎮守として、松崎宿の北側筒ヶ池(現在の大添池の東側)字古原に遷しています。

時代は近代に遷り、大正4年(1915)、古原の天満神社は、倉稲魂神社と合併され、天満稲荷神社として、三井高校のすぐ北側の松崎(字城山)704に遷宮です。
しかし、月姫を祀る倉稲魂神社(稲荷神社)は天満稲荷神社の参道横に残っています。合併されたとは言え、天満稲荷神社と倉稲魂神社(稲荷神社)の二社が存在するのです。なぜ二社が存在するのかが不思議でした。

今年3月14日、小郡市三沢の九州歴史資料館の企画展「高良山の仏教美術 山麓寺院調査から見えてくる山の姿」に行ってきました。その後、松崎の天満稲荷神社を再訪問し、意外な光景を目にすることができ、その謎が解けたのでした。

 
 
天満稲荷神社
福岡県小郡市松崎704
祭神:豊受姫命、菅原神(神社由緒表示)

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拝殿 左は月姫稲荷神社の鳥居

 

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本殿の屋根には宮地嶽神社の「三階松紋」と天満社の「梅鉢紋」

前回、紹介していなかった本殿の彫刻です。天照女神の象徴である「鳳凰」と「天女」の彫刻が左右にあります。

 

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下に鳳凰の彫刻 上は力神

 

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縦笛の天女(左)

 

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横笛の天女(右)

 
 
倉稲魂神社
福岡県小郡市松崎704
祭神:倉稲魂命(うかのみたま)

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鳥居の扁額は「松崎稲荷神社」「倉稲魂神社」「正一位稲荷大明神」

 

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宮地嶽神社の三階松紋(三笠松紋)と神額は「倉稲魂神」

 
 
天満稲荷神社の本殿
今回、参拝しましたら、向拝から拝殿奥の本殿を見ますと、本殿の扉が開いており、二殿のご神体が見れるではありませんか。前回は閉まっていたのに。供えの榊は枯れておらず、二週間程経過でしょうか。本殿の扉が開いたままとは、氏子さんが見てくれと言わんばかりに、扉を開いたままにされているのか。それとも、部外者が本殿内を見られて、扉を開いたまま、あわてて退散されたのか。
ここは、織田信長の「是非に及ばず」でしょうか。おかげで、倉稲神(うかのかみ)の実態を見ることができました。

 

※「是非もなし」と「是非に及ばず」
「是非もなし」とは、「良いか悪いかを判断している場合ではない」「仕方がない」諦めようというマイナスなイメージがあります。どうすることもできない物事や状況に直面したときに、良い悪いで判断するのではなく、その状況を受け入れる諦めの気持ちがあります。
「是非に及ばず」とは、「是非に及ばず、ここは撤退するしかありません。しかし、最後まで頑張ろう」というプラスなイメージがあります。織田信長が、明智光秀に襲撃された本能寺の変で、どうしようもない状況に陥った時に言った言葉が「是非に及ばず」。「良いか悪いかを判断している場合ではない。最後まで戦おう!」逆境を乗り越えるために前向きに行動する意味あいがあります。「あと一問、解答しておれば、受かったかもしれないと悔やんでも、不合格に変わりない、是非に及ばず」

 

 

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左が倉稲神(男)、右が天満神(男) 御簾が傷んですたれています

 

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祭神は豊受姫ではありません 左には稲荷社の神爾が置いてありました

 

倉稲魂神社(稲荷神社)に天満神社が合祀とありますが、この状態は天満神社に倉稲魂神社の男神の豊宇賀神(とようかのかみ)を分離して合祀されたということでしようか。
そして、参道横の倉稲魂神社には、月姫の豊宇賀姫(とようかのひめ)が単独で祀られた、と想定しました。

稲荷神社の祭神・倉稲魂神(うかのみたま)
豊宇賀姫(とようかのひめ)=豊受大姫=月姫=天照女神=大日孁貴=ヒミコ=伊勢内宮
豊宇賀神(とようかのかみ)=豊受大神=日神=正八幡大幡主=天御中主の神=伊勢外宮

この構図は、足利伊勢神社と同じです。

足利伊勢神社の神紋
栃木県足利市伊勢町二丁目3-1
天照皇大神と豊受皇大神を祀り、神紋は花菱と三巴紋の組み合わせです。よって、天照皇大神(内宮)は天照女神、豊受皇大神(外宮)は大幡主となります。花菱紋は天照女神の神紋、三巴紋は大幡主の神紋です。

 

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2025年2月6日、小郡市三沢の黒岩稲荷神社の例祭・初午祭があり、行列ひょっとこ踊が奉納され、参拝見学しました。この時は、参拝者が多く、満足に社殿の写真をとることができず、3月14日、この際、近くでもあり、再度訪問しました。(No.267)

 

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黒岩稲荷神社の例祭・初午祭・行列ひょっとこ踊

 
 
黒岩稲荷神社
福岡県小郡市三沢1791 (2025.03.14)

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本殿横左右にある境内社 左・金毘羅宮(大幡主)、右・大神宮?

 
 
西約200mにある黒岩稲荷神社の「奥の院」にも行きます。
 
黒岩稲荷神社の奥の院
福岡県小郡市三沢1792−1

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黒岩稲荷神社・奥の院・黒岩玄光院

 

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本殿の後ろにある「黒岩神社参籠30周年記念」「木曽御嶽教福岡一誠教」とあります
左から・秋山大明神、次(中)・姫子大明神、次の次・亀蛇に乗った正一位妙見菩薩

秋山大明神の実態がわかりません。
「秋山」は、元禄2年(1689) 服部六左衛門が松崎代官所に赴任し、小郡市下岩田念島にあった天満神社を松崎に勧請していますが、その下岩田念島の「秋山」に関係します。
 
下岩田の大神宮
福岡県小郡市下岩田1850

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