No.271 高良大社神宮寺の本尊・十一面観音を求めて
宮原誠一の神社見聞牒(271)
令和7年(2025年)03月16日
高良山の仏教美術 山麓寺院調査から見えてくる山の姿
九州歴史資料館 企画展 2025/01/22~03/23
福岡県小郡市三沢5208-3
https://butsuzo.mokuren.ne.jp/2025/01/15/korasannobukkyobijyutsu/
右の観音像は慈雲山福聚寺(久留米市合川町)所蔵の高良宮本地仏の十一面観音
古代の高良神官寺は高隆寺でした。式内社調査報告書(筑後国)によれば、「高隆寺縁起」では天武天皇2年(673)、高良神が物部道麿の子・美濃理麿に宣託。神意を受け僧・隆慶(649-721)が、高隆寺を神宮寺として建立された、とされる。高良山に仏教入山以来1200年に及ぶ長い神仏習合の歴史があります。明治2年の神仏分離令で、座主制が廃止され、明治4年、高良玉垂宮は高良神社と改称し国幣中社となります。大正4年国幣大社に昇格。昭和22年、社格が廃止され高良大社となり現在に至ります。
神仏分離令で高隆寺は廃寺となり、高良山の本地仏の十一面観音(玉垂宮本地)阿弥陀如来(八幡宮本地)釈迦如来(住吉宮本地)は久留米市合川町の慈雲山福聚寺に移され、秘仏となります。いずれの三体も行基の作とされます。
十一面観音の垂迹は天照女神ですが、その十一面観音は勢至菩薩像から改造されたと言われています。
■九州歴史資料館企画展「高良山の仏教美術 山麓寺院調査から見えてくる山の姿」
3月14日、月姫さんを伴い、小郡市三沢の九州歴史資料館に、企画展「高良山の仏教美術 山麓寺院調査から見えてくる山の姿」に行ってきました。
初めて見る「高良宮本地仏の十一面観音様」とご対面。
福岡県小郡市の九州歴史資料館で高良山をテーマにした展覧会が開催されています。
高良山は福岡県久留米市にある山岳霊場。その地域の山麓寺院の調査成果を紹介する展覧会です。調査結果を踏まえ神仏習合、神仏分離を経て伝わる約30件の仏像等が紹介されています。
名称 企画展「高良山の仏教美術-山麓寺院調査から見えてくる山の姿-」
会場 九州歴史資料館 第1展示室(近世・近代コーナー)
日程 2025年1月22日(水)~3月23日(日) 9:30~16:30
料金 一般210円 高校・大学生150円 中学生以下無料 土曜日は高校生も無料
. 第2・4展示室は無料、第1・3展示室は有料
仏像 十一面観音立像(室町時代/福聚寺蔵)
. 不動明王立像(鎌倉時代/福聚寺蔵)
. 菩薩形坐像(鎌倉時代/御井寺蔵)
. 鬼大師坐像(宝永5年(1708)/國分寺蔵)等
開館時間 9:30~16:30 ※入館は16:00まで
高良宮本地仏・十一面観音立像(室町時代/福聚寺蔵)
九州歴史資料館正面 館内写真は不可でした
※九州歴史資料館及び関係神社巡り
2025年3月14日 10時 合流
小郡三沢の九州歴史資料館 駐車場
福岡県小郡市三沢5208-3 小郡高校のグランド横から入る
関係する神社巡り
黒岩稲荷神社 福岡県小郡市三沢1791
月姫神社 福岡県小郡市松崎704
福聚寺 福岡県久留米市合川町2−1
御井寺 福岡県久留米市御井町222
厳島神社(高良大社境外社)福岡県久留米市御井町121−1
高良大社(臨時駐車場)福岡県久留米市御井町213
高良大社 同奥宮
熊野神社(山川) 福岡県久留米市山川町341
坂本神社 福岡県久留米市山川町596−1
■慈雲山福聚寺(ふくじゅうじ)
本尊は釈迦如来。合川町隈山の林に囲まれた臨済宗妙心寺派のお寺です。寛延2年(1749) 久留米藩7代藩主有馬頼徸(よりゆき)は、2代藩主忠頼の非業の死に続くたびたびの有馬家断絶の危機は忠頼の非道の犠牲となった人々の障りであるとし、有馬家安泰と追善祈祷の祈願寺建立を発願、臨済宗の僧侶だった日向国佐土原の大光寺住職古月禅師を懇請し開山しました。寺領250石を受け、有馬家ゆかりの寺として受け継がれています。(コトバンク一部参照) 明治の廃仏毀釈により廃寺になった高良山の本地堂の十一面観音立像や愛宕神社の祭神火具土命の本地仏・将軍地蔵菩薩像等も移設安置されています。
※2代藩主有馬忠頼については、小郡市の松崎城跡の月姫稲荷神社に関係します
久留米2代藩主有馬忠頼には子がいなかったので、但馬国(兵庫県)出石(いずし)藩主・小出吉重に嫁いだ忠頼の妹の子の豊祐(豊範)を養子として幕府に届け出た。その後、忠頼に頼利頼元等の男子が生まれ、寛文8年(1668) 忠頼の死亡後、頼利が跡を継いだので、豊範に松崎1万石が分与され松崎藩主となった。
しかし、貞享元年(1684)、豊範が姉婿の陸奥国窪田藩主(福島県)土方雄隆の家督相続に巻き込まれて、幕府の怒りに触れ、連座して松崎領1万石は没収され、豊範は久留米藩に押し込められ、元禄13年(1700)、53歳で篠山城にて死亡。墓は梅林寺にあり。これより松崎は天領となり、貞亨2年(1685)、城は破却され、江戸より代官服部六左衛門が代官所に赴任した。 (松崎城跡案内板)
福聚禅寺 福岡県久留米市合川町2番1号
福聚禅寺入り口 後ろは久留米大学建物
福聚禅寺本堂
福聚禅寺本堂
福聚禅寺本堂正面
本堂屋根鬼瓦の紋は三巴紋でした
福聚禅寺 福岡県久留米市合川町2番1号
■勢至菩薩から十一面観音へ
古代の高良山神官寺は高隆寺でした。明治2年の神仏分離令で高隆寺は廃寺となり、高良山の本地仏の十一面観音(玉垂宮本地)釈迦如来(住吉宮本地)阿弥陀如来(八幡宮本地)は久留米市合川町の慈雲山福聚寺に移され、秘仏となります。いずれの三体も行基の作とされます。十一面観音の垂迹は天照女神ですが、その十一面観音は勢至菩薩像から改造されたと言われています。
勢至菩薩像から十一面観音に改造するには、宝冠を十面観音宝冠に取り換えるだけで可能です。(私の想像です)
『高良社縁起』の付記 (寛永19年.1642写本)高良大社蔵 によれば
左宮 一殿 八幡大菩薩 本地釈迦牟尼仏
中宮 三殿 玉垂宮大菩薩 御本地得大勢至菩薩、或説十一面云々
右宮 二殿 住吉大明神 本地阿弥陀如来、或虚空蔵菩薩
両坂本 左右 本地 不動 毘沙門
『高良社縁起』の付記(寛永19年.1642写本)
坂本神社 福岡県久留米市山川町596−1
高良御子神社(中) 坂本神社(右) 左は蘇鉄
左宮の八幡神は大幡主(釈迦如来)、中宮の玉垂神は天照女神(十一面観音)、右宮の住吉神は大幡主(阿弥陀如来、虚空蔵菩薩)となります。
また、坂本神社の祭神は、不動明王と毘沙門天の大幡主となり、門守社の祭神が大幡主とは驚きです。新しい知見となりました。
No.262 阿蘇の神々 国造神社の神 2024年11月4日 によれば
国造神社(熊本県阿蘇市一の宮町手野2100)の門守社は本殿左右脇にあります。
国造神社の門神社は、左手(西)を蛇の宮といい、右手(東)を鯰(なまず)の宮といいます。
門神社のそれぞれの蛇と鯰は天照女神と大幡主の神使となり
左(西)の門神社を櫛磐窓命(天照女神) → 日吉様
右(東)の門神社を豊磐窓命(大幡主). → 山王様
すると、坂本神社の坂本命は両脇に櫛磐窓命(天照女神)、豊磐窓命(正八幡大幡主)を控えての鎮座です。坂本命の両親とは豊磐窓命(父)、櫛磐窓命を(母)となるのでしょうか。『高良社縁起』の付記の左「九躰王子座位の事」を見ると、北間の主座は坂本命です。
※高良御子神社 福岡県久留米市山川町596-1
. 5.谿上命(たにがみ)釈迦
左間 4.渕志命(ふちし) 文殊
. 6.那男美命(なおみ)観世音
. 2.朝日豊盛命(あさひとよさかり)普賢
中間 1.斯礼賀志命(しれがし) 弥勒
. 3.暮日豊盛命(くれひとよさかり)薬師
. 8.安志奇命(あしき)地蔵
右間 7.坂本命(さかもと)阿弥陀
. 9.安楽応宝秘命(あらおほび)大日
※参考 福津市の宮地嶽神社の祭神は天照女神と大幡主です。No.268
安倍丞相(じょうしょう)→大幡主
息長足比売命 . → 天照女神(勝守大神、勝門姫、勝土姫)
勝村大神(藤助麿) → 朝日豊盛命 → 天照女神(勝村姫)=明けの明星
勝頼大神(藤高麿) → 暮日豊盛命 → 大幡主=宵の明星
さらに、高良山山頂近くには高良玉垂宮の奥宮があり、そこには水分神=天照水神と毘沙門天の大幡主が祀られています。鷂天神社(古宮は高良神社)の祭祀線(向かう先)は高良山の奥院です。
※大己貴神社の祭祀線 福岡県朝倉郡筑前町弥永697
大己貴神社の社殿は次の二社に向かいます。
*鷂天神社 福岡県朝倉市上上浦230(No.103)
鷂天神社の祭祀線は高良山奥院で、
鷂天神社の古宮は高良神社です
*日吉神社 福岡県久留米市草野町矢作773(No.12)
日吉神社の祭祀線は宝満山上宮です
高良大社の奥宮
高良玉垂宮の基層には、天照女神と大幡主が祀られていることが濃厚となりました。
さらに追加しますと
※「式内社調査報告書第24巻西海道」
昭和53年 皇学館大学出版部
1.高良玉垂命神社
「石清水八幡宮記録三十八諸縁起」にある「高隆寺縁起」では天武天皇2年、神の要請で、高隆寺が神宮寺として建立された、とあるが、ともかく、奈良時代の瓦が、本殿の西北二〇〇米の寺跡から出土している。(中略)
長保五年(1003)撰という「高良十講會縁起」(「石清水八幡宮記録三十八諸縁起」のうち)では「山有権現、是古佛垂跡」とあり、また十講會の開設は[奉貫雨宮権現九王子及一切神紙冥道等也]とある。「雨宮権現」は豊比咩神であらう。しかしそれ以上のことにはふれていない。
「石清水八幡宮記録三十八諸縁起」では、高良神(大幡主)を「山有権現」、豊比咩神(天照女神)を「雨宮権現」と考察しています。
高良神=山有権現=大幡主
玉垂神=雨宮権現=天照女神
※共に水神です
前記 No.270 日田市夜明の鶴(天照)と鷹(大幡)を祀る有王社⑤ からすると
蟻王=有王=荒五郎水神=大幡主 となります。
また、玉垂神=豊姫神=天照女神=雨宮姫=安房水神 となります。
すると、高良玉垂神は水神として祀られていることになります。陸上では水神、海では海神の二面性を持つことになります。
さらに、龍神であり、
天照女神=闇龗神(くらおかみ)=白龍神=九頭龍神=八衢比売(やちまたひめ)
大幡主=高龗神(たかおかみ)=黒龍神=八大龍王=八衢比古(やちまたひこ)
色々と神変化です。
国造神社に戻って、国造神社の祭神の雨宮媛は天照女神となります。
拝殿の「北宮」の神額を見れば、両脇の神額は「火宮神と雨宮媛命」「速瓶玉命と高橋神」の夫婦神の二組の神額があります。国造神社は高良玉垂命を祀る高良玉垂神社で、高良神は正八幡大幡主、玉垂神は天照女神です。
当初の玉垂宮大菩薩(玉垂命)の本地は勢至菩薩で、後に十一面観音に改造され入れ替わっています。勢至菩薩は月天子と同体とされ、玉垂命(=天照女神)は月姫となります。(No.258-50)
※神使像めぐり 三本足の烏を持つ「日天」と兎を持つ「月天」
http://shinshizo.com/2019/08/三本足の烏を持つ「日天」と兎を持つ「月天」/
密教の守護神の十二天の中に、日天子(にってんし・日天)と月天子(がってんし・月天)がおられ、日天は太陽(日輪)を神格化した神で、観世音菩薩の化身ともされ、太陽(日)の神使である「三足烏」の日輪を持つ。月天は月やその光明を神格化した神で、勢至(せいし)菩薩の化身ともされ、月の神使の「兎」の月珠を持つ。
神道では、大幡主は日天子、月姫の天照女神は月天子に相当します。
※観世音菩薩
観世音菩薩の起源や性別には定説がない。
『般若心経』の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっている。
※観世音寺 (福岡県太宰府市)
聖観音、十一面観音、馬頭観音、不空羂索観音
天台宗の寺院、山号は清水山、本尊は聖観音(しょうかんのん)、開基は天智天皇。
太宰府観世音寺は天照女神(聖観音、十一面観音)、大幡主(馬頭観音)を祀っています。
※宝満宮 (祭神・鴨玉依姫=天照女神)の本地仏も十一面観音です。
■勢至菩薩 wikiから
https://ja.wikipedia.org/wiki/勢至菩薩
像容
日本では、勢至菩薩が単独で信仰の対象となることはきわめてまれで、多くは阿弥陀三尊の脇侍として造像された。観音菩薩が宝冠の前面に化仏を表すのと対照的に、勢至菩薩の場合は水瓶を付けることが多い。来迎形式の阿弥陀三尊では、観音菩薩が蓮台を捧げ持つのに対して、勢至菩薩は合掌する姿で表される。
中世では、長野の善光寺如来(善光寺式阿弥陀三尊)の摸刻像が盛んに造られるようになるが、この時は、観音と勢至の二菩薩は、胸前で両手を合せる姿で造形される。
■雨宝童子と十一面観音
雨宝童子(うほうどうじ)は、密教と習合した両部神道による神で、天照女神が日向国での16歳の姿とされ、大日如来が化現した姿とされることもあるという。
基本形は天女の姿で、右手に金剛宝棒を持ち、左手に如意宝珠を持ち、頭上に五輪塔を掲げる。金剛證寺(こんごうしょうじ 伊勢市朝熊町岳548)の寺伝によると、空海が当山で修行中、天照女神が日向国での16歳の姿を感得して彫ったと伝える。
また、雨宝童子が水神や水難防除の神とされる点は、天照女神が水神とされることと一致します。
金剛證寺の本尊は虚空蔵菩薩で、その眷属として雨宝童子像が安置されています、とあります。虚空蔵菩薩は大幡主の本地仏であることを考えると、雨宝童子は眷属でなく、大日如来の化身とされる雨宝童子が菩薩の眷属となることはありません。
玉垂神=雨宮権現=天照女神=水神 からすると、
雨宝童子=水神=天照女神=雨宮権現 となり、
「雨宮」が「雨宝」につながるのかもしれません。
雨宝童子を祀る神社が熊本県八代市氷川町と八代市通町にあります。
訪問当時は、雨宝童子と天照女神との関係が分からず、放置となっていましたが、この機会に理解することができました。
◎氷川町早尾の今寺大神宮
今寺太神宮とありますので、普通の太神宮であろうと思って行ってみれば、ご神体は仏像で、仏教の赴きです。12月1日は月次祭の縁日であり、社殿は解放され、ご神体を拝観することができました。
今寺太神宮 熊本県八代市氷川町早尾1647 (2017.12.01)
●十一面観音菩薩(お乳観音)
今寺観音堂の中に十一面観音菩薩があり、俗に「お乳観音」と呼ばれている.右脇仏、不動明王。左脇仏、毘沙門天。赤ちゃんに飲ませる乳の出ない母親が、母乳をさずかるために、遠くは天草・芦北・宇土.松橋から祈願に訪れる。お乳が出ると、そのお礼に、木綿の白布に綿を包みお乳の形のぬいぐるみを作り、二個を結わえて奉納する。この習慣は今もなお残っている。縁日は6月17日と10月18日で早尾地区で旗を立てている。以前は10月には奉納相撲が行われ、宮角力とりが芦北・天草方面から集まっていたと言う。花子を今寺地区八軒で一年ごとに受け持ち、毎月1日、15日、18日に花(榊)とおはっつあん(白飯)を供え祀っている。
●大神宮(お伊勢さん)
祭神は天照皇大神。創立年代は不明。建武・延元の頃(1336年)は、神仏混淆(神道宗教と仏教が混合したもの)の荘厳な社であつたという。種山手永十ヶ荘の雨乞い祈願所であり、毎年6月9日に夏祭り、10月9日に大祭が行われている。
●今寺観音四面仏(町指定文化財)
昭和44年4月1日、町有形文化財に指定。建立は、元禄15年(1697七年)。江崎みつめ氏所有。橋本房雄氏から譲り受けた際、8月24日には手づくりの饅頭を供えて祀るように伝えられ、現在も続けられている。
正面は十一面観音堂 左は太神宮
毘沙門(左=大幡主) 十一面観音(中=天照女神) 不動明王(右=大幡主)
十一面観音(天照女神)
毘沙門(左=大幡主) 不動明王(右=大幡主)
太神宮
祭神は天照皇大神で、雨乞い祈願所であった
雨宝童子(うほうどうし)
正式名は金剛赤精善神雨宝童子
天照女神が神仏習合した姿。右手に金剛宝棒(こんごうほうぼう)を杖のように地面
につき、左手に如意宝珠(にょいほうじゅ)を持ち、岩座に直立する。天照女神が
地上に降り立った天女の姿とされ、頭上に五輪塔を載せています。また、大日如来
の化身ともいわれる。
今寺観音四面仏
今寺大神宮 熊本県八代市氷川町早尾1647
※長谷寺の十一面観音菩薩立像
奈良県桜井市初瀬731-1
脇侍に難陀龍王、雨宝童子を従えている。
左脇侍の難陀龍王は、千手観音の眷属である二十八部衆の一尊、八大龍王また春日大神
右脇侍の雨宝童子は、伊勢神宮内宮の奥の院「金剛證寺」に祀られ天照女神の化身とされる。
金剛證寺(こんごうしょうじ 伊勢市朝熊町岳548)の寺伝によると、空海が当山で修行中、天照女神が日向国での16歳の姿を感得して彫ったと伝える。
一般に天女形といわれる雨宝童子ですが、長谷寺のお像は美豆良(みづら)という男子の髪型で、眉毛の上がったキリっとした表情をされています。
写真は長谷寺HP
https://www.hasedera.or.jp/history/statue.html
※参考資料 「尾田武雄のブログ」
伊勢神宮の鬼門 金剛證寺の雨宝童子と神明社
https://hama-sush-jp.pro/odatakeo/entry-12470147047.html
石川県砺波郡福野町の中心部にある神明社は、祭神が天照皇大神と豊受皇大神で、慶安五年(1652)に創建されたと伝えられている。伊勢神宮から勧請された御霊代が御着きの日、途中で日が暮れたので、町の人々は手に行燈を持って、倶利伽羅峠へ御出迎えしたのが、夜高行燈を御神燈として、町内を練り回る起源と伝えられている。
雨宝童子が水の神や水難防除の神としての勧請も無視できない。
雨宝童子と伊勢信仰
伊勢と志摩の境に朝熊山がある。海抜505mで山頂には勝峰山金剛證寺がある。所在地は伊勢市朝熊町字岳である。ここは伊勢内宮に近く、内宮の鬼門に当たる峰続きであり、昔から俗に「お伊勢参らば朝熊をかけよ。朝熊かけねば片参宮」とうたわれ、神宮に参詣する人々は、併せてこの寺に詣でる慣わしがあった。金剛證寺には平安後期の作といわれる国指定重要文化財の木造雨宝童子像が安置されている。寺伝では弘法大師が当山で修行中、天照大神16歳のお姿で感得して刻み奉ったものとされている。当寺は天長二年(825)に大師が建立されたといわれ、その後明徳三年(1392)仏地禅師が再興し臨済宗となり、現在は同宗南禅寺派に属している。
元来雨宝童子と神宮とは関係がなかったのであるが、密教と習合した両部神道によるものである。その時期は早くても室町時代後期といわれている。そして修験道の思想が入り、山伏の介在が考えられるのである。金剛證寺の本尊は「福威智満虚空蔵菩薩」であり、石動山天平寺のご本尊もやはり虚空蔵菩薩であり、石動山天平寺は金剛證寺の影響化にあったとされている。石田茂作著『仏教美術の基本』によると「天照大神が日向に天振りたまいしときの御姿ともいわれるが、本来は雨を司どる神であろう。天照大神は農業の神だから、農業の必須な雨の神になったのであろう」とされている。富山県内には当然伊勢御師の布教が大であるが、じかに地域の農民に接していた石動山修験の山伏らの影響が強いと思われる。
■八代市通町の大神宮
雨宝童子(天照女神)を祀る大神宮と、あまり知られていないようです。創立の由来が分かりません。境内に大幡主に因む蘇鉄・梟(フクロウ)が置いてありました。
雨宝童子のご神体はきれいに保存されています。
大神宮 熊本県八代市通町5-15
蘇鉄と梟(フクロウ)
■2025年3月14日は月食満月でした
訪問から終えて、小郡市から帰宅途中、満月が東の豊後富士から登る時刻に遭遇しました。残念ながら、上半分は雲のなかです。月が出るのに気づき、車を停めて2分間の勝負でした。カメラを構えた時には上部は雲に入りかけです。それでもよかった!
「オン センダラヤ ソワカ」月天・ご真言
2025年3月14日 18:32:56 右は神代病院の明かり、赤司から東を見る
今年の3月14日の満月は月食も合わせて特殊な満月であるという。
以下、ブログ「In Deep」“2025年のブラッドムーンの行く末は” からの抜粋です。
https://indeep.jp/blood-moon-0314/
2025年のブラッドムーンの行く末は 2025年3月14日
今回の皆既月食は中でも、「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」という。
・地球から見た満月の円盤が最大に見えること → スーパームーン
・1ヶ月のあいだに満月が2回あること → ブルームーン
・皆既月食 → ブラッドムーン(赤い月・血の月)
今年は2回のブラッドムーンがあり、次は 9月8日。
つい最近は、七つの惑星直列という比較的珍しい現象が発生した直後でもあります。
2025年2月28日頃、「土星、水星、海王星、金星、天王星、木星、火星の7つの惑星が一直線に並ぶ」現象が発生。平均で77年に1回の現象。
150年ぶりに「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」が出現する。前回の1866年は江戸時代が消える日本の近代史上最大の転換点の時だった。
2014年から2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ。そして、過去の同じ現象の時に「イスラエルの建国」があった
今日3月14日の皆既月食とイスラエルの祭事が重なる祭事は、
3月14日(金)プーリーム
プーリームは、ユダヤ暦のアダルの月の14日に行われるユダヤ教の祭りである。籤(くじ)の祭りとも呼ばれる。(ユダヤ人虐殺を目論んだハマンから人々を救済したことを記念する。ユダヤ暦アダルの月の14日目に祝われる。)
1948年の「血の月」の後、世界66カ国に散らばっていたイスラエル人は、神が約束した地に戻り、1日のうちに国家を建国した。
1967年の血の月の間、イスラエルはアラブ諸国と六日間戦争(第三次中東戦争)を戦い、最終的に戦争に勝利してエルサレムの西部を奪還した。
新唐人電視台の記事では「中国共産党の終焉」に結びつけていました。
「2025年の“血の月”の到来は、王朝の交代などの不吉な兆候の前兆となるかもしれない」 1949年から1950年にかけて、500年間でまれな「4回の連続した血の月」があった。皆既月食は6か月ごとに発生し、その間に部分月食はなかった。
1949年10月6日、血の月が現れた。ソ連の支援を受けた中国共産党は中国を完全に占領し、中国人は神聖な文化を失った。彼らの生活は今日まで無神論によって荒廃している。
1950年、中国共産党は国家に対して全体主義的な支配を始めた。
2019年7月16日に「血の月」が現れ、同年 10月から新型コロナウイルスが世界中で流行した。
古来より、血の月が現れると、それは非常に悪い前兆を意味する。東洋にも西洋にも、世界に異常なことが起こることを示すさまざまな予言がある。
詳しいことは、ブログ「In Deep」“2025年のブラッドムーンの行く末は”にアクセスください。
また、国内のスピリスト「まーりんさん」も、今年の2月28日から3月14日の月の動きは特殊だといわれる。以下ブログ「まーりんのまりんエッセンス」からの抜粋です。
https://hama-sush-jp.pro/marline358/entry-12889504501.html
乙女座満月・皆既月食と若返りの水 2025年3月14日 19:15:00
東大寺二月堂の修二会は、本尊に小観音を迎えて、本行後半に入りました。
修二会は3/1-3/14とされ、3/15に満行。むかしの暦でいうと朔日(新月)に始まり、15日(満月)で結願満行ということになります。
今はグレゴリオ暦3/1-3/14に奉修され、月の満ち欠けと関係ない日取りなんだけど、今年2025年はたまたま、新月2/28、満月3/14で、月の満ち欠けにシンクロして行が進んでいるのです。
今年は満月の夜に最後の行が行われ、夜明け前に結願上堂、満行下堂。大和に春を呼ぶための、生命を甦らせる修法が完了します。
日本では月食直後の月(満月)が昇ってきます!これは食の暗闇から抜け出た「再生復活を遂げた月」。まさに以下の文脈に沿ったエネルギーをもちます
光が甦る
あなたの内側の光です
いまエネルギーが満ちてきます
新年に汲む若水、月の変若水
どちらも不老不死、若返りにむすびつき
民話伝説はそろって
その力を受けているのが蛇だと
節分過ぎて巳年になり
春分を目前にしたいま。
伝説の条件はそろっています。
■高良大社の神々
高良山神官寺・高隆寺の本地垂迹(神仏習合)から見ると、
左宮の八幡神は大幡主(釈迦如来)、中宮の玉垂神は天照女神(十一面観音、勢至菩薩)、右宮の住吉神は大幡主(阿弥陀如来、虚空蔵菩薩)となります。
すると、八幡神と住吉神は同神の大幡主となり、高良玉垂宮の祭神は「天照女神と大幡主」となります。
高良大社の案内リーフレットには、高良大社の神紋は下記のようにあります。
正殿・高良玉垂命の神紋の木瓜紋は天照女神の神紋となります。
天照女神の神紋としては花菱紋も木瓜紋も同一となります。
よって、次のように簡素化できます。
この花菱紋と左三巴紋は、大阪の住吉大社と同じ神紋です。住吉大社は花菱紋を社紋に、花菱紋と左三巴紋を神紋として使用されています。
一般に、住吉神社の神紋は三巴紋です。
住吉大社 大阪府大阪市住吉区住吉二丁目 9-89
住吉大社の花菱紋は甲斐の武将・武田家の家紋として採用されました。
旗指の紋は武田菱の「四つ割菱」ですが、これは花菱紋の略省紋です。
武田家が家紋として、住吉大社の花菱紋を採用された経緯の記事があります。
ブログ「もののふ日和」
https://sikon.exblog.jp/11607898/
武田菱のふるさと!?住吉大社を訪ねて
2009年 07月27日
住吉大社は、武田信玄公を筆頭とする武田一族の家紋のルーツがある!と、されている神社なのです。武田信玄公の紋章は花菱。または花菱を簡略化した武田菱であったと伝えられています。住吉大社の神紋は、武田家の家紋と同じく花菱です。ゆえに境内にはいたるところに花菱が!武田ファンとしては嬉しい限りです。
『見聞諸家紋』という書物によれば、前九年の役の際、武田信玄公の祖先である源頼義は住吉大社に参拝し、戦勝祈願を行いました。その際に御神託があり、住吉大社から鎧を一領賜っています。これが、後に武田家の家宝となる「盾無の鎧」であり、この鎧には住吉大社の神紋である「花菱」が装飾されていたのだそうです。武田一族は、家宝である鎧に装飾されていた「住吉大社の神紋」を自らの家紋としました。
柳瀬の玉垂宮の神紋 福岡県久留米市田主丸町八幡394
足利伊勢神社の神紋
栃木県足利市伊勢町二丁目3-1
天照皇大神と豊受皇大神を祀り、神紋は花菱と三巴紋の組み合わせです。よって、天照皇大神(内宮)は天照女神、豊受皇大神(外宮)は大幡主となります。
■宮崎県高千穂と五ヶ瀬に伝わる鬼八伝説
雨宝童子の姿は、空海が金剛證寺(伊勢市朝熊町)で修行中、天照女神が日向国での16歳の姿を感得して彫ったと伝える。
天照女神が16歳の時、日向国のどこに居られたのか? 空海(大師)が記録に留めておられたらとつくづく思うのです。雨宝童子の伝説を読んでいる時、頭に入ってきたのが、高千穂と五ヶ瀬に伝わる鬼八伝説。
三毛入野命が鬼八退治の最中に、神呂岐の家に若い女が来て「三毛入野命様はおられます?」と尋ねて来る。興梠古文書・高千穂古伝記での最後の文に
「神呂岐家に御滞在の女神、豊玉姫が御出でになり、三毛入野命をお尋ねになるや否や、穴森神に御姿をそのまま御静まりになる。その姿、形は蛇のごとく御変わりになった。」
とあります。
この「若い女」は豊玉姫であり、穴森神であり、蛇神と文脈からとれるのです。この方とは穴森・宇田伝説の女性。この「若い女性」こそが「16歳姿の雨宝童子」ではないか?と思ったのでした。
※後の記憶メモ
「三毛入野命は今、十社宮御鎮座しておられる。神呂岐の姓、彦穂々出見命の後裔であるという伝えがある。」平井俊徳 高千穂古伝記(興梠古文書より 其の2)
「道しるべする山人(やまと)の笠は重し呉山の雪、鞋(わらじ)は香ばし楚地の花」
道案内する山人(楚人)の笠には呉山(天皇家)という重たい雪が乗っかっている。しかし、自分たちが履いている鞋(わらじ)は芳しい、自分たちの先祖が住んでいた楚の国の茅草(チガヤ=ズバナ)で織り上げた草履だから。(天孫来臨)














































