No.230 宝満宮と玉依姫と桜紋
宮原誠一の神社見聞牒(230)
令和5年(2023年)08月28日
筑紫野市山家の山家宝満宮の北西の太宰府市内山に宝満宮竈門神社が鎮座。大宰府政庁(都府楼跡)の鬼門に当る宝満山に大宰府鎮護のために祀られたと云う。
創立に二つの由来があります。(宝満宮竈門神社HP)
1.天智天皇の御代(662-)、今から1300年以上も昔、九州一円を統治する大宰府政庁が現在の都府楼跡の地に遷された時、鬼門に当る竈門山(宝満山)に、西の都大宰府鎮護のために祀られた。
2.天武天皇白鳳二年(652)には、心蓮上人が、この山に籠って修行中に玉依姫命が現われ、朝廷によって上宮が建てられて、これが竈門神社の創建となっている。
寳満宮(ほうまんぐう)竈門神社 福岡県太宰府市内山883
祭神 玉依姫命、配祀 神功皇后、応神天皇
拝殿の向拝は四本柱です。高良神社を想起します
本殿屋根には平削ぎの女千木、鰹木五本、女神が主祭神です。上宮は外削ぎの男千木、鰹木五本で祭神は男神です。
福岡県神社誌
竈門神社 筑紫郡太宰府町大字内山
祭神 玉依姫命、相殿 神功皇后(左)応神天皇(右)
由緒 玉依姫命を中央主祭の神とし、神功皇后八幡大神を左右に配祀せしは、宇佐神宮三座の神と御同神にして玉依姫命は同神宮の比売大神と御同体に座すなり。
(中略)
天智天皇の御時、都府楼を太宰府に建て給ふ際、竈門山は鬼門に当れるを以て、勅使を御山に遣し厳に御祭儀を仕へ奉らせ給へり。次で天武天皇白鳳二年有司に命じ給ひて神殿を創設せられたり、是当竈門神社(宝満山)創立されたり。(中略)
明治維新後は神仏の混合を解かれ、全山の社殿仏舎は全部破焼せられ、只一宇の社殿のみ残されて村社に列した。
末社 五穀社(豊受大神=大幡主)、須佐社、夢想権之助神社、式部稲荷社(宇迦御霊神)
大宰府政庁の鬼門に当る竈門山(宝満山)に、大宰府鎮護のため宝満宮竈門神社を創立したという。どこから勧請されたのでしょう。福岡県神社誌によれば、主祭神は玉依姫、相殿に神功皇后(左)、応神天皇(右)を配祀とあります。そして宇佐神宮三座の神と同神にして、玉依姫命は同神宮の比売大神と同体であり、宇佐神宮からの勧請と想定できます。すると、主祭神・玉依姫は比売大神=天照女神となります。(由来1)
白鳳二年(652)、心蓮上人が、この山に籠って修行中に玉依姫命が現われ、朝廷によって上宮が建てられ、これが竈門神社の創建となっています。宝満山上宮の祭神は玉依姫となります。しかし宝満山上宮の祭神は男神の大幡主です。(由来2)
これらの由来から修正想定すると、
宝満宮竈門神社(下宮)の祭神は天照女神、
宝満山上宮の祭神は大幡主、
となります。
竈門神社上宮(竈門神社HPから)
下宮の神紋は「桜」紋です。
桜紋を使用される神様は、
木花咲耶姫、鴨玉依姫、天照女神、大神宮大幡主です。
すると、神紋桜紋は鴨玉依姫=天照女神と大幡主で一致します。
神名「玉依姫」は天照女神を隠すために利用された、とみます。
宝満山は別名を御笠山(みかさやま)とも言われます。
すると、福岡空港東の丘の老松神社(空港前三丁目)の社紋は御笠松紋と三階松紋がありましたが、大幡主の神紋としては御笠松紋が当たっているといえます。
宝満宮の元宮
宝満宮の元宮は筑紫野市山家(やまえ)の宝満宮です。その祭神は宝満宮(中)、八幡宮(左)、神功皇后(右)と、元宮ながら曖昧になっています。その分祀である筑前町二(ふた)の宝満宮の祭神は玉依姫です。よって、宝満宮の祭神は桜紋の鴨玉依姫となります。
馬見神社(福岡県嘉麻市馬見)
「No.227 嘉穂の馬見神社と荒穂神社 2023年7月25日」では、木花咲哉姫は天照女神を隠すために利用されました。
宝満山上宮の祭神・大幡主は筑前町の大己貴神社の祭祀線からも繋がります。
「No.229 大己貴神社と大神神社 2023年8月20日」から
大己貴神社の祭祀線(社殿の向き) →
鷂天神社の大神社 (埴安命=大幡主と大日霊貴尊 福岡県朝倉市上上浦230) →
日吉神社の御魂社 (大国魂神(大幡主)と大日霊貴尊 福岡県久留米市草野町矢作773) →
宝満山上宮 (大幡主)へと向かいます。
また、大己貴神社の参拝線は飯塚市立岩の熊野神社になります。熊野神社の主祭神は大幡主です。
古賀の扇祇神社の祭祀線
福岡県筑紫野市古賀(字)舟木738
祭神 綾惶根命(本当は大幡主)
拝殿は内山の竈門神社下宮を、本殿は竈門神社上宮を向いています。
記紀のイザナギ・イザナミの国産み神話は、大幡主と大日霊貴尊(天照女神)の置き換えです。
「イザナギ・イザナミ」の名は「大幡主と天照女神」を隠すために利用されました。
「イザナミ」「木花咲耶姫」「市杵嶋姫」「玉依姫」の名は天照女神を隠すために利用されました。
「イザナギ」「大国主」「大山咋神」「大山祗神」「事代主」の名は大幡主を隠すために利用されました。
末社 式部稲荷社 五穀社(大幡主)
末社 夢想権之助社 須佐社
■玉依姫、豊玉姫は天照女神を隠す
北野町赤司の八幡神社の「止誉比咩神社本跡縁記」(豊姫縁起)によると、竈門神社を創建したのは水沼君と記してあります。
誉田別尊の誕生の翌年、豊姫命を道主貴(みちぬしむち)の神形代(みかたしろ)となし、右衛を竃門山に築き、左衛を山田(山川)の高牟礼(高良山)に築き、中瀛宮(なかつみや)を西海鎮護となす。豊姫命が中瀛宮に居ますことにより、世の人、道主貴を止誉比咩神社(とよひめじんじゃ)という。(中略)
竈門の嶺に神廟を起て、蚊田の渟名井の水を酌みて益影井に遷し、これを祭る。筑前国竈門神社、これなり。後の人、大城の川上に遷しまつりて、これを祭る。今の日比生宝満宮、これなり。
応神天皇9年4月、武内宿祢を筑紫に遣わし、左衛に居ませ、百姓を監察せしめる。後の人、神廟を起て、蚊田の渟名井(かだのぬない)の水を酌みて、浅水間の井(あさづまのい)に移し、これを祭る。高良玉垂命神社、これなり。
※道主貴の貴(むち)は宗廟の尊称、
道主貴は大日孁貴(おおひるめのむち)=天照女神=豊姫命
田心姫(たごりひめ)=豊玉姫
現在での祭神表示では道主貴=宗像三女神となっています。
「日本書紀」神代上 第六段一書第三
即ち日神の生れませる三の女神を以ては、葦原中国の宇佐嶋に降り居さしむ。今、海の北の道の中に存す。号けて道主貴と曰す。此筑紫の水沼君等が祭る神、是也。
※宗廟神社が御井の高良にあった時は九州を「筑紫嶋」と言った。
宗廟神社が宇佐に移って以降は九州を「宇佐嶋」と言った。
よって、筑紫嶋も宇佐嶋も九州即ち西海道を指す。
「海の北の道の中」
北野町の赤司八幡神社の「止誉比咩神社本跡縁記」では、当時、有明海が筑後川中流域まで及び、赤司がある大城を「中瀛海(なかつうみ)の北の浜」と呼んだ。
単に、「海北」とあるは、宗像の玄界灘を指すのではなく、中瀛海の北浜を言います。
その地が西海道(九州)の中央にあるという、よって道主貴の中津宮を「中央宮」と言った。
野口治七郎氏は豊姫縁起(大城村郷土読本 野口治七郎著 昭和28年)において、
「豊姫命を道主貴の神形代となし、右衛を竃門山に築き、左衛を山田の高牟礼築き、中瀛宮を西海鎮護となす。」の部分を次のように解釈されています。
「神功皇后は妹の豊姫命を「筑紫中津宮」に留め、西海の鎮護にあたらせました。」
「豊姫命」という神様の実態が理解できなかったのか、豊姫命を神功皇后の妹とされていて、人と神が混同されています。豊姫命は「豊姫」という神様であり、道主貴であり、天照女神なのです。
「豊姫命(天照女神)を筑紫中津宮の祭神とし、西海道(九州)の守護神となす」と解釈になります。
天疎向津媛命(あまさかるむこうずひめ)は道主貴(みちぬしのむち)の幽(かくれ)名なり。よって、中瀛宮(なかつみや)に祭り鎮まり給う。
道中(みちなか)の中瀛宮(なかつみや)の田心姫は、筑紫水沼君が祭る神、筑後国御井郡河北庄止誉比咩神社、今の赤司八幡神社これなり。
遠瀛宮(おきつみや)の市杵嶋姫は、筑紫胸肩君が祭る神、筑前国宗像郡宗像神社これなり。
海濱宮(へつみや)の湍津姫は葦原中国の宇佐嶋に降居され、豊前国宇佐郡の宇佐宮八幡比咩神社これなり。
三女神は、それぞれ別の所、宇佐・宗像・道中(大城)の三ヶ所に降られ、降居の事跡は三所各別であり、一所とあるは、日本書記の脱簡混文なり。
水沼君は豊姫命を祀る中瀛宮を竈門の嶺に起て、筑前国竈門神社を創立しています。後に、この竈門神社を改めて大城の日比生に移し、日比生宝満宮としています。現在の豊姫神社です。祭神は豊玉姫命となっていますが、由来からして、豊姫命=大日孁貴=天照女神です。
豊姫神社の本殿の神殿の扉には、天照女神の「十六菊紋」が打ってあります。
(No.174 2021年6月1日)
結果、祭神「豊玉姫」「玉依姫」の名は天照女神を隠すために利用されました。
日比生の豊姫神社 福岡県久留米市北野町大城字日比生1115
祭神 豊玉姫
神殿の十六菊紋とかえる股の輪宝紋(舵輪紋)
■宝満山中の益影の井
北野町赤司の八幡神社の豊姫縁起に、竈門神社創建の記録があります。
竈門の嶺に神廟を起て、蚊田の渟名井の水を酌みて益影井に遷し、これを祭る。筑前国竈門神社、これなり。
水沼君は豊姫命を祀る中瀛宮(なかつのみや)を竈門(かまど)の嶺にたて、蚊田の渟名井(ぬない)の水を酌みて益影井(ますかげのい)に遷し、筑前国竈門神社を創立しています。
その益影井が宝満山の八合目付近にありました。
私は宝満山に登ったことはありませんが、宝満山の益影井を紹介されたブログがありました。
「福岡九州の神さまと仏さまと街歩き」そらみど
https://hama-sush-jp.pro/tentebe/entry-12716921706.html
宝満宮竈門神社(3)上宮までの道② 2022-01-20
益影の井
宝満山中には、五所秘水といって霊水が湧き出る泉があり、その中で一番神聖な泉が益影の井です。筑前国続風土記に「人がこの水に影を写すと、老顔も〈益々〉若く少壮の如くうつるので益影の井と名づけられた」とまた「応神天皇が粕屋郡宇美町でご誕生の折にこの水をわかして産湯にされた」などその外、雨乞いの祈祷水など昔より信仰と伝説に富んだ、霊験あらたかな若返りの泉であります。
昭和61年11月文化の日 筑紫野市むさしヶ丘保育園
竈門神社上宮 外削ぎの男千木、鰹木五本
益影の井(蚊田の渟名井)は旧三井郡北野町大城の大城小学校校庭にあります。現在、井戸の水は枯れていますが、遺跡として保存されています。
「そらみど」様のお陰で、宝満山中に益影井が存在することがわかり、水沼君が筑前国竈門神社を創立したことが現実味となりました。
No.60 水沼君の「潟の渟名井」と丹後の「與佐の真名井」2018年5月13日
水沼君が豊姫命を祀る中瀛宮を竈門の嶺に祭って竈門神社を創立されたことから、竈門神社上宮下宮には天照女神と大幡主が祀られることになります。上宮は大幡主が主祭神、下宮は天照女神が主祭神となります。大幡主は下宮の境内社・五穀社に五穀神として祀られ、須佐社、式部稲荷社にも祀られています。
■豊姫神社は天照女神を祀る神社
豊姫(とよひめ)といえば、豊玉姫、鴨玉依姫、豊姫(ゆたひめ)の総称としてきましたが、豊姫は天照女神の隠し名でした。
豊姫命(とよのひめ)は豊宇賀神(とよのうかのかみ)と対応します。豊宇賀神は豊の大神宮大幡主です。豊姫命と豊宇賀神は夫婦神です。
以前の記事、「No.175 暗示をほのめかす久留米市上津の天満神社と豊姫神社 2021年6月21日」にて、上津(本山)天満神社と豊姫神社を紹介しています。上津天満神社が天満神社でありながら、大幡主と仁徳天皇を祀るのか、理解できました。境内の豊姫神社の豊姫宮の祭神は豊姫(とよひめ)です。天神社(左)、豊姫宮(中)、若宮八幡宮(右)、と三社の石祠が並んでいます。それぞれの祭神が、大幡主、天照女神、仁徳天皇と理解できます。境内社の北原神社の祭神は大名持命です。
また、仁徳天皇を祀る神社が佐賀県神埼市千代田町境原に若宮神社としてあります。元は旧脊振村広滝の鷹取山にありました。佐賀藩により現在地に移されました。主祭神は仁徳天皇で、脇神は大巳貴、厳島姫となっています。この神様が誰に相当するのか、色々わかってきました。
上津天満宮 福岡県久留米市上津町2077
豊姫神社(上津天満宮境内)
豊姫神社三社
天神社(左)・豊姫宮(中)・若宮八幡宮(右)
正一位若宮神社 佐賀県神埼市千代田町境原852-1(No.99)
拝殿前に犬槙と蘇鉄が植えてあります
三保の天女(三穂津姫)=天照女神 https://www.pinterest.jp/
宝満宮竈門神社創立は天智天皇の御代(662-)で、祭神は豊姫(天照女神)ですが、八幡神の大幡主が祀られるのは、延長2年(924)以降と考えられます。赤司の豊比咩神社に八幡大神が石清水八幡宮より勧請され合祀れるのが、延長2年(924)です。
豊姫縁起(止誉比咩神社本跡縁記)
後醍醐天皇の平安時代延長2年(924)、河北惣大宮司水間君守季(もりすえ)は、豊比咩神社の相殿に山城国(現京都府)の石清水八幡宮より八幡大神・高良大神・住吉大神を勧請し「御井郡惣廟」として合祀。
高良玉垂宮神秘書281条には「天平勝宝元年749年、宇佐八幡社造立ありて、九州の宗廟の司を譲り給う」とあります。九州の宗廟神社が高良玉垂宮から宇佐八幡宮に749年移ったと解釈できます。
八幡神合祀の延長2年(924)以後も、豊比咩神社の社号は続いたと、宮司は言われる。八幡神社に社号を変更したのは、戦国時代末の大友宗麟(1530-1587年)と当社社人との荒荘の後と言われる。この時、社人の水沼姓を藤原姓に変えたと伝えられています。
赤司八幡宮
豊比咩神社に八幡大神が合祀となりますが、社号は豊比咩神社のままです。
赤司の八幡神社の創建は、「止誉比咩神社本跡縁記(豊姫縁記)」によると、平安時代の延長2年(924)に創建で、山城国(現京都府八幡市やわたし)男山の石清水八幡宮より八幡神が勧請されています。八幡神の勧請は宇佐八幡宮ではなく、寛文十年(1670)「久留米藩社方開基」を読むと、石清水八幡宮からの勧請であることが解ります。
「久留米藩社方開基」によれば、「御井郡惣廟川北庄赤司村屋わた八幡宮」と記されており、ご神体「屋わた八幡神」は石清水八幡宮の主祭神であり、宇佐八幡宮の八幡神とは異なります。
(No.213)
一座 二座 三座
(左) 輿止比咩命 高良大神
(中) 道主貴 止譽比咩命 八幡大神
(右) 息長足姫尊 住吉大神
平成12年(2000)の祭神は、主祭神・応神天皇、配神・高良大神、住吉大神でした。
元石清水八幡宮 奈良県奈良市東九条町字宮ノ森1316 Wikipedia (No.223)
入唐した大安寺の僧侶行教が帰朝の途次に豊前国宇佐八幡宮に参籠してその神影を奉戴、大同2年(807)8月7日に大安寺東室第七院の石清水房に鎮座したのが起源である。後に社を造営して遷座し、「石清水八幡宮」と号して大安寺の鎮守神とされた。しかし、貞観元年(859)に神託によって山城国男山へ遷座したために、平城天皇の勅命により改めてその跡に祀ったのが創祀であるとする。
大同2年(807)創立時の勧請先の宇佐宮八幡神は大幡主の時代です。
宇佐神宮の概暦 (No.157 161)
539年 欽明天皇即位
545年 八幡古表神社創建
571年 八幡神が宇佐の地に現れる。大神比義らが祀る。(八幡神の霊験は不正確)
649年 酒井泉社建立。辛島勝乙咩により宇佐大神が勧請された。
663年 白村江の戦い
706年 稲積六神社(稲積神社)創建、稲積山に鎮座
712年 辛島乙目が鷹居社を造り八幡神を初めて祀る
716年 辛島氏は鷹居社から八幡神を小山田社に移す
725年 宇佐亀山に一之殿が造営
729年 宇佐亀山に二之殿が造営
749年 九州の宗廟神社となる
807年 元石清水八幡宮創立
823年 宇佐亀山に三之殿が造営
薦神社 大分県中津市大字大貞209
欽明天皇32年(571)、八幡神霊が赤司八幡宮の三股池に現われ、膳夫池辺菱磨に神告があり。同日同時に、肥後の菱形八幡宮の菱形池、宇佐の薦八幡宮の三角池にも神託があり。元明天皇は和銅5年(712)、宇佐宮(鷹居社)に八幡大神を祭祀。八幡大神は正八幡・大幡主です。
鷹居神社 大分県宇佐市上田1435
元明天皇和銅5年(712)、辛島(勝)乙目が鷹居社を創建。
正八幡大神の御社を最初に宇佐に奉建した霊地である。
辛嶋氏伝承では、八幡大神は、欽明天皇の御代、宇佐郡辛国宇豆高島(稲積山)に天降りし、宇佐郡馬城嶺(御許山)に現われ、乙咩社、泉社、瀬社、鷹居社、小山田社、宇佐宮の地へと移ったとする。この八幡大神は正八幡大幡主です。
■神埼市の櫛田神社と櫛稲田姫と瀬織津姫
瀬織津姫(せおりつひめ)は大祓詞に登場する神様で、百嶋学では祓戸大神の瀬織津姫は櫛稲田姫(くしなだひめ)とされます。瀬織津姫は天照大神ですが、どうして、櫛稲田姫が瀬織津姫になるのかのヒントが佐賀県神埼市の櫛田神社にありました。(No.121)
若い時、ある用事を兼ねて神埼市街の家々を訪問したことがあります。その記憶から、この地が櫛田神社の発祥の地ではないかと感じていました。しかし、この櫛田神社の祭神は櫛稲田姫命と須佐之男命で、祭神の在り方に理解が出来ませんでした。
櫛田神社 佐賀県神埼市神埼町神埼419
近くの吉野ヶ里町の田手神社(田手大神宮)を訪問した時、その思いは強くなりました。田手神社は「撞賢木厳之御魂天疎向津媛」すなわち、天照女神を祀るのです。(No.57)
神埼の櫛田神社の神額は「櫛山櫛田宮」、本殿の屋根の千木は外削ぎの男千木で、主祭神は女神でなく男神です。本殿と並び規模も変わらない祇園社。厳島神社を祀る広い弁財天の池。本殿の後に、「神埼発症の地、櫛山(くしざん)」の案内板があります。「この地は櫛田大神を最初にお祭りになった場所で櫛山と称して諸人拝み奉る神霊鎮護の神聖なる旧蹟と伝えています。」櫛山櫛田宮が櫛田大神(大幡主)を祀る創建神社であると。
やっと理解できました。
ここでも、「大幡主と天照女神」隠しが行なわれていました。
「大幡主と天照女神」は「須佐之男命と櫛稲田姫」に置き換えられていました。
それで、祓戸大神の瀬織津姫が天照女神から櫛稲田姫となるのです。
宇佐市安心院の妻垣神社を訪問した時、素戔嗚尊が櫛稲田姫と暮らす場所を求め、出雲の根之堅洲国の須賀の地を称えた歌
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」
私は妻垣神社(安心院盆地)に立って、この歌は本来、安心院を舞台にした歌ではないか、と錯覚にとらわれました。(No.151)
今でも、この歌は大幡主が天照女神を称えた歌と思っています。
No.175 暗示をほのめかす久留米市上津の天満神社と豊姫神社 2021年6月21日」追記
■追記修正 2023-08-24
高良玉垂命神社(高良玉垂宮)の見方が、
「No.206 高良下宮社と川上姫(ヨド姫)を祀るお堂 2022年10月25日」
の記事から大幅に変っています。
また、
「No.213 素盞嗚(祇園)神社は高良下宮社へと続く 2023年1月20日」
の記事から高良玉垂宮の見方がさらに変っています。
豊姫宮、玉垂宮、高良宮はそれぞれ独立の扱いです。
さらに、
豊姫宮の見方が
「No.230 宝満宮と玉依姫と桜紋 2023年8月28日」
の記事から大幅に変っています。
宝満宮竈門神社(下宮)の祭神は天照女神と大幡主となり、宝満山上宮の祭神も同様です。
よって、豊姫は「とよ姫」で、「ゆた姫」ではありません。豊姫は天照女神となります。
高良宮の祭神は正八幡大幡主です。
上津(本山)天満神社には上津荒木氏(山本氏)がからんでおられ、紋章は本字紋と三柏紋であり、上津荒木(コウダラキ)、本字紋と三柏紋は大幡主に関係します。三柏紋は恵比須宮の社紋で、本字紋は徳満宮の社紋です。それぞれの祭神は大幡主です。
「上津荒木」は太郎原の日吉神社の由緒略記にも見られ、
「南北朝期に見える村名(草野文書) 北朝観応三年 南朝正平七年 1352年 足利直冬が上津荒木五郎次郎に勲功地として太郎原村の地頭職を命ぜられ、荒野を開拓し、比叡山山王宮の分霊を奉祀したものと推定」とあります。
太郎原の日吉神社の祭神は大山咋神とされますが、日吉神社の本来の祭神は天照女神と大幡主と彦火々出見尊です。古宮の土之御祖神も大幡主です。足利家も大幡主奉祭です。
上津天満宮境内の豊姫神社に祠群があり、毘沙門天、観世音菩薩、山の神、水天宮、淡島神社、水神社、国津御魂神社、月讀神社は大幡主に関係します。特に、国津御魂神社、天神社は大幡主を祀ります。
上津天満宮の本殿には大幡主の彫刻群、神殿扉には木瓜紋の形跡が残っています。木瓜紋は高良神社の神紋です。
これらを総合的に考慮しますと、上津天満宮の祭神は大幡主となります。
しかし、仁徳天皇も無縁ではありません。仁徳天皇は大幡主に関係してきます。
上津天満宮の社殿の色彩は仁徳天皇に関係し、仁徳天皇祭神も完全には捨てきれません。
高良宮の木瓜紋は彦火々出見尊ですが、仁徳天皇の置き換えの可能性が強いのです。
それで、神殿左横の天満宮が大幡主で、本神殿の祭神が仁徳天皇ととれるのです。
すると、上津天満宮の祭神は大幡主と仁徳天皇となります。
上津天満宮は大幡主と仁徳天皇、境内の豊姫神社は大幡主と天照女神と仁徳天皇を祀るとみるのです。
今後、大善寺玉垂宮の見方が大幅に変わり、
さらに、柳瀬の玉垂神社の見方も大幅に変わります。


















