宮原誠一の神社見聞牒(134)
令和2年(2020年)02月14日
令和5年(2023年)08月06日
No.134 農具の鍬を持った春日様を祀る三川の八幡神社(修正)
福岡県三井郡大刀洗町三川(みかわ)に「農具の鍬(くわ)を持たれた武葉槌命(春日様)」を祀る八幡神社が鎮座です。この八幡神社は今では「八幡神社」と称されていますが、本来は「正八幡神社」です。
祭神は「白鬚大神」を中に、右に「武葉槌命」、左に「武甕槌命(たけみかつちのみこと)」を祀る静かな田舎の普通の村神社です。
主祭神の白鬚大神は一般に「彦火々出見命」でが、八幡社ですので大幡主です。
武甕槌命は別名、春日大神です。
右のご神体の武葉槌命が「農具の鍬(くわ)」を持っておられるのです。
農具の鍬を持つ女神、当初、目にした時は、このご神像が理解できませんでした。
理解できないまま、そのまま長い間放置していました。
ところが、あるブログのきっかけで、その意味を知るようになったのです。
「天然の力」2020-02-10 に登場する大甕神社(おおみか)の祭神・武葉槌命(たけはづちのみこと)という織物の女神様を知ることができました。実は、その以前のブロク「茨城の神社」2019-02-06 で、大甕神社の武葉槌命は存じておりました。
が、星神・天香香背男(あめのかがせお)こと、天津甕星(あまつみかぼし)を封じ込めた武葉槌命=倭文神(しずりのかみ) とも呼ばれる織物の女神様(天鈿女命)、程度の認識でした。
※天香香背男を詳しく知りたい方は、当ブログ「No.017 長髄彦の乱と鬼門」をご覧ください。
武葉槌命(たけはづちのみこと)
武葉槌命は織物の神様で、倭文神(しずりのかみ)とも呼ばれており、倭文は織物のことを指します。この神様は女性で天鈿女命、鹿島神宮の祭神「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」とともに常陸国を平定したとされる。地主神は天津甕星(あまつみかぼし)という星の神様で、別名が天香香背男(あめのかがせお)という男性の神様です。スサノオノミコトの子息です。
倭文(しずり)とは
カジノキや麻などを赤や青に染め
縞模様や乱れ模様を織り出した日本古来の織物のこと
静神社と建葉槌命
静神社(しずじんじゃ)は、茨城県那珂市静にある神社で常陸国二宮。
旧社格は県社。神紋は「丸に桜」。
『常陸国風土記』久慈郡の条には「静織(しどり)の里」とあり、上古に綾を織る機を知る人がここで初めて織ったので、その由来となったと見える。また、『和名類聚抄』には常陸国久慈郡に「倭文郷(しどりごう)」の記載があり、これらの「シドリ」が縮まり「静(しず)」の地名・社名となったと推測される。
主祭神の建葉槌命について、『古語拾遺』には「天羽槌雄神」と記載され、倭文(しずり)の遠祖であり、文布を織って天照大神に仕えたとある。また、『日本書紀』神代には「倭文神建葉槌命」とあり、武甕槌神、経津主神(彦火々出見命)は葦原中国平定で従わなかった星神香香背男を平定したという。 Wikipediaから抜粋
静神社の宮司さんによると、この辺りは阿波斎部氏が昔から住み、古くは麻織物が盛んに作られた土地だったという事で、綾織が伝わっていたという。
大甕神社のまとめ(おおみかじんじゃ 茨城県日立市大みか町六丁目16-1)
主祭神 武葉槌命(たけはづちのみこと)=天鈿女命(あめのうずめ)
■祭神一柱目は「武葉槌命」という織物の女神様です。
「倭文神(しずりのかみ)」とも呼ばれ、神社名の由来となる。倭文と言うのは「織物」のことを指します。鹿島神宮のご祭神である「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」と共に常陸国(ひたちのくに)を平定された。
二柱目の祭神は「天津甕星(あまつみかぼし)」という星の神様です。
別名を「天香香背男(あめのかがせお)」とも呼ばれる男神で、スサノオノミコトの子息です。倭国大乱を始めた神様です。
■大甕神社にまつわる逸話
香香背男は暴れん坊神様だったので、武葉槌命によって、ここ大甕の地に香香背男の荒魂を岩山に封じ込めたという。その香香背男を封じ込めた岩山を「宿魂石(しゅくこんせき)」と言い、香々背男が石に化したものと伝えられている。その宿魂石の上に建葉槌命を祀る奥宮を鎮座させ、香香背男を抑えている神社が「大甕神社」であるという。
素戔嗚尊の子息は長髄彦ですが、名を天津甕星(あまつみかほし)といい、又の名を天香香背男(あめのかがせお)と申します。倭国大乱を始めた神様です。
天忍穂耳命(海幸彦)の妃は素戔嗚尊の娘さんの瀛津世襲足姫(おきつよそたらしひめ)です。さらに、長髄彦の妃は伊香賀色謎命(いかがしこめのみこと)で、伊香賀色雄(いかがしこお)=猿田彦(山幸彦)の妹さんとなります。
天鈿女命も素戔嗚尊と罔象女神(みづはのめのかみ)の姫(春日様)であり、長髄彦は異母兄となります。素戔嗚尊を父として長髄彦の異母姉妹は、市杵島姫、瀛津世襲足姫(実妹)、天鈿女命となり、妹達で長髄彦を押さえられたのは天鈿女命だったのでしょう。
倭国大乱の激戦地は佐賀県の「吉野ヶ里」ですが、海幸彦、山幸彦も長髄彦と姻戚関係にあり、長髄彦による倭国大乱は姻戚内の骨肉の争いとなったのです。その中で独自性を発揮出来たのが大国主となります。大国主は長髄彦と存分に戦えたのです。
吉野ヶ里の周辺は伊香賀色謎命のゆかりの地となるためか、吉野ヶ里の周辺には今でも「伊香賀」さんが多く住んでおられます。
床島の八幡神社 福岡県三井郡大刀洗町三川(床島)1545
福岡県三井郡大刀洗町三川には、床島村、高食村(こうじき)、鳥飼村があり、それぞれの村に八幡神社、若宮八幡神社、印鑰神社が村神社として鎮座し、それぞれの主祭神は「正八幡大幡主」、「仁徳天皇」、「宇多能大禰奈(うだのおおねな)」となっています。
宇多能大禰奈と印鑰神社(いんにゃくじんじゃ)
筑後国御井郡鳥飼村が、今でも鳥飼村として、北野町大城の近くの三井郡大刀洗町三川に存在する。その北に菅野・菅野村も存在する。鳥飼川、菅野川の名は存在しないが、同じ地域に佐田川と安川(小石原川・甘木川)が流れる。
身狭村主青(むさのすぐりあお)の鵝(がちょう)が犬に食べられた所に八幡神社を祀ったとある。この八幡神社の祭神は宇佐八幡神でなく、男山石清水八幡神です。
後に、その宮は筑前国の早良郡に遷座し、今の福岡市中央区鳥飼3丁目3-5に鎮座する埴安神社の境内社・左脇の八幡神社となっています。この八幡神社は、福岡市中央区今川2丁目1-17に鎮座する鳥飼八幡宮の元宮とされる。
福岡県三井郡大刀洗町三川の鳥飼には、現在、印鑰神社が鎮座する。明治時代までは印若神社と称していたが、大正の時代に「印鑰神社」と改めている。江戸時代までは、南鳥飼には玉垂神社と印鑰神社があり、鳥飼村統合時に玉垂神社はなくなっている。
今の印鑰神社の社殿様式は、南北朝時代に新田義信によって建立され、その建築様式が引き継がれている。
印鑰神社の祭神・宇多能大禰奈(うだのおおねな)は初代伊勢大物忌(おおものいみ)であり、大物忌の祖は「丹波の道主」別名「水沼の道主」と言い、丹後の與佐の真名井に係わる氏族であるという。宇多能大禰奈が近くの三井郡大刀洗町鳥飼に祀られている。
※印鑰神社の祭神は本来、大幡主です
宇多能大禰奈(うだのおおねな)
天照大神の祭祀所を求める役を豊鋤入姫から引き継いだ倭姫は、宇多秋志野宮から旅立つ際に「我が心ざして往く処(ところ)、吉(よき)こと有れば、未嫁夫童女に相(逢)へ」と祈祷した。その倭姫の前に現れたのが、童女・宇太乃大称奈。倭姫は宇太乃大称奈を初代の伊勢大物忌(おおものいみ)と定める。大物忌の祖は「丹波の道主」別名「水沼の道主」と言い、與佐の真名井を守り、水沼君と同族とされる。
「No.62 水沼君と身狭村主青と鳥飼」2018-06-01 より
印鑰神社 福岡県三井郡大刀洗町三川(鳥飼)102
高食の若宮八幡神社 福岡県三井郡大刀洗町三川(高食)1355
西原の箱崎八幡神社 福岡県三井郡大刀洗町西原604-1
誉田別尊の胞衣を埋めた所は西原八幡宮、この神社の印の松苗が筑前の箱崎の浜に遷座して、筥崎八幡宮の「筥松」となっている。(No.67 豊姫縁起からみる誉田別尊と八幡大神)
福岡県三井郡大刀洗町三川の床島村には、池田家(姫姓=紀姓)、重松家(豊玉彦系)、二宮家(越智系)がおられます。それぞれの家系から床島の正八幡神社の存在と三柱の祭神の繋がりが理解できます。
右の武葉槌命のご神体が「農具の鍬(くわ)」を持っておられます。
農具の鍬を持つ女神、当初、目にした時は、このご神像が理解できませんでした。
床島村は筑後川そばの微高地にあり、水田でなく畑が広がります。戦後間もない頃までは、その畑で桑の栽培と養蚕が行われていました。絹糸の元になる蚕の繭玉の生産が盛んでした。私の父の実家(床島の池田家)でも桑の栽培と養蚕が行われ、小学生の時、その作業を見ることができました。
それで、武葉槌命のご神体が「農具の鍬(くわ)」を持っておられるのは、桑の栽培と桑の手入れを象徴したものだと理解したのです。
武葉槌命は七夕姫(たなばたひめ)でした。「糸巻き」を持つ姿が本来の姿でしょうが、この神社では桑の栽培の神様として祀られていました。
近くの小郡市大崎には媛社神社(ひめこそじんじゃ)があり、二組のタナバタ神が祀られています。
1.主祭神 媛社(ひめこそ)神=棚機姫・天鈿女命
磐船大明神=饒速日命(彦火々出見命) 天鈿女命の夫
2.七夕姫=市杵嶋姫
犬飼神=海幸彦 市杵嶋姫の夫
床島の八幡神社のご神像
武甕槌命(春日大神) 武葉槌命(春日様)
父・鹿夫(しかお)と私
私の父は鹿夫(しかお)と申します。動物の「鹿」が付く珍しい名前です。
名前の由来を聞こうと日頃思っていましたが、とうとう聞かずじまいです。
私の祖父母には一男三女の子がおりましたが、長男は昭和の初期に亡くし、次女の母が婿養子を迎えました。その父が大刀洗町三川の床島の池田家の鹿夫です。
祖父の妹さんが床島の二宮家に嫁ぎ、私の娘は小郡市の重松家に嫁いでいます。
私にとって、池田家、重松家、二宮家が住されている三川の床島は縁の深い土地となります。
武葉槌命をきっかけに、父の故郷・床島とその氏神神社を紹介できましたことを、春日様に感謝申し上げます。
大刀洗町北部は小郡市と接し、そこに松崎(上岩田井上)があり、開化天皇を祀る老松神社が鎮座です。その由緒に「得川 とくがわ」が出てまいります。
小郡市を流れる宝満川は、かつて「得(とく)川」と呼ばれていました。それはまた「徳川」とも書かれていましたが、江戸時代に、この表記は使われなくなった、という。
「三川」「得川」「松崎」と言えば、江戸時代の「徳川家」を思い出します。
「江戸」という地名も三川の西にあります。
もしかしたら、江戸時代の「徳川家」「松平家」は、大刀洗町三川と縁があるのでは、と想像するのです。徳川家の家紋は「三つ葉葵」ですが、その以前は「立ち葵」紋を使用していました。「立ち葵」紋は豊玉彦、罔象女神、木花開耶姫、天鈿女命が使用されます。
「三川」「得川」「江戸」「立ち葵」紋、武葉槌命(天鈿女命)と春日に坂本命を奉斎する物部氏が居られ、徳川家と関連は偶然の一致でしょうか。徳川家の古いご先祖様は、この大刀洗町に関係があるのではと思った次第です。
2023.08.06 追記
武甕槌命(春日大神)は大幡主
武葉槌命(春日様)は天照女神
ではないか
長髄彦、名を天津甕星(あまつみかほし)といい、又の名を天香香背男(あめのかがせお)と申します。
長髄彦の倭国大乱をしずめたのは、天照女神と大幡主です。
また、古典七夕神も天照女神と大幡主です。
参考資料 全国の倭文(しずり)神社
倭文神社(岩手県遠野市土渕町土渕18地割174)
静神社 (茨城県那珂市静2)
大甕神社(茨城県日立市大みか町六丁目16-1)
倭文神社(山梨県韮崎市穂坂町3195)
倭文神社(群馬県伊勢崎市東上之宮町甲380)
倭文神社(静岡県富士宮市星山字坊地1)
倭文神社(現 鍬戸神社(静岡県三島市長伏1))
倭文神社(現 加佐登神社(三重県鈴鹿市加佐登町2010)に合祀)
倭文神社(京都府舞鶴市今田1010)
倭文神社(京都府与謝郡与謝野町字三河内1453)
倭文神社(奈良県奈良市西九条町二丁目14-2)
倭文神社(兵庫県朝来市新井93)
倭文神社(兵庫県南あわじ市倭文委文793)
倭文神社(岡山県津山市油木北332)
倭文神社(鳥取県鳥取市倭文548-1)
倭文神社(鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754)
倭文神社(鳥取県倉吉市志津209)








