宮原誠一の神社見聞牒(130)
令和2年(2020年)01月01日

   2020年(令和2年) 謹 賀 新 年     


         令和2年・新年明けましておめでとうございます。
         謹んで新年のお慶びを申し上げます。
         皆様にとって良き年でありますように。
         皆様がご健勝でありますように。

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                金印「漢委奴國王」
                  (漢のいな国王)


【金印「漢委奴國王」の続考】

金印「漢委奴國王」を「漢ノ委ノ奴ノ國王(かんのわのなのこくおう)」とする読みかたが今日の代表的な解釈で、「委奴國」を「わのなのくに」と読んでいます。倭国の中の奴国という考えです。
しかし、「委奴国」を「いとこく」とも読めます。また「倭奴国」も「いとこく」と読めるのです。「倭国」は「いこく」であり、「伊国 いこく」なのです。

ところが、熊本県球磨郡あさぎり町では「委奴国」を「いなこ」と読んだようです。
旧球磨郡宮原村(球磨郡あさぎり町岡原北)に明治の合祀以前に鎮座した稲積妙見宮(いなつみ妙見宮)が本来の読み方を教えてくれます。
古くは「稲積」を「委奴積いなつみ」と称しているのです。
「委奴国」は熊本県球磨盆地にあった可能性が出てきました。

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  稲積妙見 久米領稲積山(稲積妙見は宮麓地区内にある旧久米領の飛地でした)
  社人 椎葉久左衛門
  八代郡白木社妙見同體
  草創年紀未考 此社ハ當郡妙見勧請ノ最初ナリ
   ※球磨・人吉地方においての妙見宮勧請の最初となる社です。
  明應五年(1496年)藤原為續公同長輔公 御祈願トソ
   ※藤原為續・相良為続 相良氏第12代当主(父:相良長続)
  代官 最取式部少輔綾(アヤノ)末繼 宮原出雲橘續久 及
  宮守石井太郎兵衛 阿部貞豊等 再興
  天文廿一年(1552年)地頭阿部貞次修造 國郡泰平 藤原晴廣公武運勝利
  并富役藤原長陸 安全ノ願辞アリ
   ※藤原晴廣・相良晴広 相良氏第17代当主
   ※藤原長陸・上村長陸 奥野村地頭(父:上村頼孝)
  「ひろっぷ」さんブログ「旧宮原村古地図と岡原村の神社様」2018-10-21から

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稲積妙見(稲積神社)は「」にあり、「府内」・「府本」の称、外園(字)等が確認出来ます。そもそも・・この「府内」とか「府本」とか、ましてや「外園」とか、この地名は一体何なのだろう・・???と以前から思っていました。
宮原村(みやのはる)字外園・・・・?????
この「府内(馬場田)」は、私が以前ブログで書いたように、家の宮原家の本籍地となり、今は、外園に住んでいますが、父曰く、「本籍地は馬場田から絶対に動かしてはならない!」という掟(おきて?)をきつく言われております。
他、旧岡本村にはもう一社、とても気になる神社様が御鎮座です。
それは斉堂(ときどう)正八幡神宮様であります。
元求麻郷土研究会の会員でいらっしゃった土屋様が会をお辞めになられる時に、長年集めて来られた、旧宮原村・旧岡本村の資料を私に下さいました。
その資料の中に旧岡本村斉堂の正八幡神宮の御神像の御写真もありました。
         「旧宮原村古地図と岡原村の神社様」2018-10-21から抜粋

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稲積妙見宮があった地域を「府内」と呼んでいます。その北西に「別府 びゅう」があり、その西に斎堂(ときどう)があり正八幡大幡主(神皇産霊尊)を祀る正八幡神宮があります。そして、その南南西に神殿原(こうどんばる)の地名があります。そして、その北一帯が面田(面土)であり、その中心に大幡主を祀る岡留熊野座神社があり、その西隣に鍍金された鎏金獣帯鏡出土の才園古墳があります。
稲積妙見宮(府内)・正八幡神宮(斎堂)・神殿原・岡留熊野座神社(面土)を結ぶ東西一帯は球磨盆地の中心であったことがうかがえます。その東西ラインの南が宇閇王(うえおう)に因む旧上(うえ)村です。
この一帯を、私は「委奴国 いなこく」と想定しています。
委奴積いなつみ」の「積」は「祗」の置き換えで、「委奴の神」ということになります。

 委奴の神=大幡主=国常立尊=神皇産霊尊=大地主神 → 奴国王(大若子・塩土老翁)

また、稲積妙見宮は球磨・人吉地方で最初の勧請妙見宮となります。
妙見宮の本宮は現在の熊本県八代市の八代神社で、八代神社(妙見宮)の祭神は天之御中主神(菊理姫)と国常立尊(大幡主)ですが、天之御中主神が前面に出ておられ、国常立尊は裏方となられております。ところが、社殿の造りをみますと国常立尊(大幡主)が主祭神であることが分かります。「当ブログNo.45 八代神社(妙見宮)と霊符神社と竹原神社 ⑥」
よって、稲積妙見宮には国常立尊(大幡主)も祀られていることになります。
すると、先ほどの東西ラインは大幡主(神皇産霊尊)の領域が強い地帯といえます。
委奴国王(いなこくおう)は奴国王(なこくおう)・大幡主となります。