宮原誠一の神社見聞牒(107)
令和元年(2019年)05月10日
No.107 月読神社は誰を祀る.大山祗か?大国主か?それとも
全国に存在する月読神社は数少ないですが、祭神は月読命(ツクヨミ)=大山祗となります。しかし、最近、月読神社に立ちますと、そうでもないような気がするのです。
複数の男女神が祀られているようなのです。
まずは、大山祗、月読命の解説からです。
1.八岐大蛇(やまたのおろち)神話に因む長髄彦と大国主命
古事記神話に三貴子(みはしらのうずのみこ)の神様がおられる。
伊邪那岐命(イザナギ)が黄泉国から帰って、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊祓をし、その時、右目から生まれた神様が、月読命です。左目から生まれた神様が天照大神、鼻から生まれた神様が須佐之男命(素盞鳴尊)で、この三柱を三貴子とします。
祓詞(はらえことば)
「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢 有らむをば
祓へ給ひ 清め給へと白す事を 聞こし食せと 恐み恐みも白す」
三光神社(さんこうじんじゃ)の祭神は天照大神、月読尊、素戔嗚尊とされますが、三光とは太陽、月、星の光を指します。
太陽=天照大神
月=月読尊
星=素戔嗚尊、又は、その子・長髄彦(ながすねひこ)
となります。
天照大神、月読尊、素戔嗚尊は、記紀が言うように姉兄弟の関係ではありません。全く別個の家系関係です。
祓戸の大神(はらえどのおおかみ)は次のようになります。
①気吹戸主(いぶきどぬし)
速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して
根の国・底の国に息吹を放つ
②瀬織津比売(せおりつひめ)
もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
③速佐須良比売(はやさすらひめ)
根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う
④速開都比売(はやあきつひめ)
海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
祓戸の大神の通称名は次のようになります。
① 気吹戸主(金山彦)
② 瀬織津比売(櫛稲田姫)
③ 速佐須良比売(鴨玉依姫=神直日)
④ 速開都比売(万幡豊秋津姫)
長髄彦と天津甕星
日本書紀における「長髄彦 ながすねひこ」の記述が「神代下」第九段一書第二にあります。
「天に悪しき神あり。名を天津甕星(あまつみかほし)という。又の名は天香香背男(あめのかがせお)。請う、まずこの神を誅(ほろぼ)して、その後に下りて葦原中国を撥(おさ)めよう。」
長髄彦は「天の悪しき神。名を天津甕星」という。又の名は「天香香背男」という。甕星は金星。香香背男は蛇。キリスト教聖書に出てくる「落ちた天使、明けの明星」金星と蛇のルシュファーと同じ表現になっています。
三光の星は金星、そうであれば、星神は長髄彦となります。
長髄彦と倭国大乱
呉の系統の神武天皇およびそのお姉さんである天照大神、その呉の系統の一番尊い方々に次ぐ尊いお方が素戔鳴尊です。それで、素戔鳴尊のご一統がどこにどのようにして住んでいらっしゃるかの一部を申し上げます。日本にもたくさん素戔鳴尊の子孫がいらっしゃいます。その証拠に、一番派手に、スサノヲ・スサノヲをやってる一番派手なお祭りは何処のお祭りですか?京都の祇園祭、博多の櫛田神社の祇園祭。博多の方が古いです。
最初に日本で天皇家に逆らったとてつもない有名人は、神武天皇とけんかなさった方、素戔鳴尊のお子さん長髄彦です。長髄彦が反を起こされた。その後、僅かの時間をおいて、狗奴国の乱が起こった。この二つの反と乱でもって魏志倭人伝にいう「倭国大いに乱る」となった。この乱の終結の事務処理をしたのが、春日大神となっている。
倭国大いに乱れるの時、神武天皇が福岡の方から避難して、宮崎の方、鹿児島の方に移動なさって(姫城 ひめぎ の名で残っている)、そこでなんとか話をまとめて、いつの間にか、ありもしない「ヤマタイ国」ができあがった。「ヤマタイ国」はありませんよ。しかし、ヤマタイ連合はありますよ。
その倭国大乱の前の九州王朝初期の頃、大山祗と金山彦との百年戦争がありました。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の説話は大山祗と金山彦との争いを説話化したものと云われています。大山祗と金山彦との百年戦争と言われ、八岐大蛇の説話の材料にされ、金山彦夫妻が足名椎(あしなつち)夫妻、大山祗はオロチに例えられる。その争いを仲裁したのが素戔嗚尊ということです。
結果、大山祗は金山彦の妻・埴安姫を奪取、素戔嗚は金山彦の娘・櫛稲田姫と大山祗の娘・罔象女を得ることになります。
八岐大蛇の舞台は熊本県の菊池川(肥の川)が流れる山家地方と推定しています。
大山祗と埴安姫との間に誕生されたのが、罔象女神、大国主、木花開耶姫となります。
八岐大蛇と月読命
八岐大蛇問題で、えーコンチクショウと怒った人物がいました。えーコンチクショウと言われたのは長髄彦とその親父である素戔鳴尊です。怒った人物は誰かというと「武蔵大国魂」です。通称「大国主命」です。この方が活躍なさったのは出雲の国と勘違いさています。この方が活躍された場所は決して出雲ではありません。この方が、武蔵大国魂として活躍なさった場所は武蔵国です。
この後の喧嘩があって少し格下げて、月読命は大山祇の神と名乗ってらっしゃいます。
月(大国主命)と星(長髄彦)は夜に光を相争う関係ですから、月読尊と素戔鳴尊の仲が悪いのは当然かもしれません。太陽(天照大神)は月と星に勝りますが、天照大神がオオヒルメムチの若い頃は素戔鳴尊の父伊弉諾尊の家来でした。福岡県那珂川から福岡市檜原(ひばる)におられた時のことです。それだけ伊弉諾尊の出自は良かったのです。
狗奴国の乱により、月読命は大山祇の神と名乗られ、四国へ配転。
大国主命は狗奴国の乱の張本人・大山祇(月読命)の息子であり、その張本人と同じ責任を取らないといけない立場にあった。大国主命は「国譲り」の形で責任を取られます。
2.月読神社と月読命
全国に存在する月読神社は数少なく、九州の月読神社は秘密の神社とされ、その実態がよく分りません。九州北部で有名な月読神社があります。
二田の月読神社
福岡県久留米市田主丸町益生田(二田)
祭神:月夜見命
壱岐の月読神社
長崎県壱岐市芦辺町国分東触464
祭神:月読命・月夜見命・月弓命
鎮座 鎮座年数は不詳であるが、顕宗天皇3年(487年)にはすでに存在していた。
縁起 顕宗天皇3年(487年)阿閉臣事代という官吏が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那
に使いにでる。その際に人に月の神が神がかりしまして「土地を月の神に奉納せよ、そう
すればよい事があろう」という託宣があった。それを朝廷に奏したところ、これを受けた
朝廷は壱岐の県主の押見宿禰に命じて壱岐の月読神社から分霊させ京都に祀らせた。
月読神社関連の名前のつく神社は全国で80社余り、境内社を含めると100超えると想定されます。三重県の伊勢神宮の内宮の月読神社、外宮にある月夜見神社、長崎県壱岐の月読神社、京都府の松尾大社の横500m程に摂社月読神社があります。松尾大社摂社月読神社は壱岐の月読神社の分霊です。壱岐の月読神社は、壱岐の豪族・壱岐氏が航海の安全を祈るため祭祀しています。
壱岐の月読神社、福岡県田主丸町二田の月読神社共に詳しい創立が不明であり、月読神社の創起は謎に包まれています。
(1) 二田の月読神社
二田の月読神社の由緒はありませんが、明治に二田の月読神社を勧請した田主丸町東町の月読神社の由緒に二田の月読神社の由緒が書かれています。
由緒(案内板)
天文3年正月(1534年)(御原郡高橋城主)三原三河守長種の弟・次郎三郎が城内の月読神社を、竹野郡二田村(現:久留米市田主丸町石垣)に創建す。明治13年6月(1880年)篤志家により当地へ勧請す。開運眼病平癒の神様として崇敬者多く三夜様と敬稱す。
二田の月読神社の創立に、御原郡高橋城主三原三河守長種の弟・次郎三郎が関わったとありますが、長種の弟・次郎三郎は実在しません。筑後大蔵高橋氏及び同族の原田氏は大山祗系の流れではないのです。よって、月読神社と所縁がありません。
そもそも、田主丸町二田は古代、二田郷と呼ばれ、二田物部(トルコ系匈奴)の地でありました。二田の地に二田物部氏が奉斎する月読神社が古くから存在してもおかしくないのです。(当ブログ「No.7 田主丸町・月読神社 考」参照)
二田・月読神社 福岡県久留米市田主丸町益生田(二田)
祭神:月夜見命
(2) 壱岐の月読神社
壱岐の月読神社の祭神には、月読命(右)・月夜見命(中)・月弓命(左)と月読三神が祀られています。月夜見命が中殿ですので主祭神でしょう。二田の月読神社も主祭神が月夜見命なのです。
一般に、月読は新月、月弓は三日月、月夜見は満月と言われます。
「考察と妄想族」Misasan blog 2019-01-29
イザナギとイザナミ&山幸彦と豊玉&牽牛と織姫の共通したエピソードは、離婚、別居、年一婚(笑)。要は訳あって離れているということ!
で、イザナギとイザナミの結びをやり直さなければならない。など語る宗教家もいますが!
misasanの場合、要は、女神不在の時代の幕開けを危惧した神話ではないかと、そのくらいに思っています。そして、スサノオがヒミコとの誓約(うけい)の対決は、いつも上手く行かなかったのではないかと。
そして、ツクヨミの三貴子(みはしらのうずのみこ)と言えば、月弓命は三日月、月読命は新月、月夜見命は満月で国外退去?!
月夜見と満月にイメージがぴったりの女神が大山祗ご一統におられるのです。「かぐや姫」といわれた木花開耶姫です。木花開耶姫は二田と同じ水縄連山の麓、田主丸町竹野の神社に多く祀られています。熊本県球磨では木花開耶姫は月読二十三夜姫と言われています。
さらに、月神といえば、超大物の神様がおられます。月神の物部保連(やすつら)こと玉垂命=開化天皇です。紋章の一つが三日月。これに相当する大山祗ご一統の神様が大国主命です。
すると、自然に、月読命は大山祗神、月弓命は大国主命、月夜見命は木花開耶姫という構図が出来上がるのです。
(3) 東町の月読神社
二田の月読神社を何度も訪れると、祭神が一柱でないようなのです。
主祭神は月夜見命ですが、もう一柱の月読命が祀られているようです。
東町の月読神社の祭神は月読命で、二田の月読神社から勧請されています。二田の月読神社の祭神が月夜見命と月読命であれば説明がつくのです。
田主丸町の二社の月読神社には、「うさぎ」がシンボルとして置かれています。
私は昔、この神社の「うさぎ」は満月の中の影に関連するものとみていました。
しかし、「大国主命と白うさぎ」の古事記神話(稲羽の素兎)を考えますと、月読神社→月弓命=「大国主命と白うさぎ」であってもいいのです。「満月の中のうさぎ」「大国主命と白うさぎ」は月読神社の共通「うさぎ」でもよいのです。
東町・月読神社 福岡県久留米市田主丸町田主丸546-1(東町)
祭神:月読命
月読神社は月読命(大山祗神)、月弓命(大国主命)、月夜見命(木花開耶姫)を祀る神社とみました。月読神社は男女神を祀る神社です。同様に、田主丸町竹野の神社には大山祗神、大国主命、木花開耶姫の三柱を祀る神社があります。
東町・月読神社 神鉾神社(田主丸町竹野の富本)
東町・月読神社の扁額の額縁の模様は神鉾神社(祭神:八千矛神=大国主命)と同じ半菊が四方に打ってあります。菊紋は大国主命の紋章であることを考えますと大国主命は月読の神の一柱とみてよいようです。
(4) 京都の月読神社が松尾大社の摂社になれるのか?
月読神社が松尾大社の摂社になるとは普通考えられません。
松尾大社の祭神は大山咋神(おおやまくい)です。
大山咋神は大国主の養子、市杵島姫の連れ子です。市杵島姫にとって大国主は二番目の夫となるのです。
もし、月読神社が大国主を祭神として祀ってあれば、大国主は義理の父として関連づけがとれるのです。大山咋神は別名・大物主であり、大国主は義理の大物主となります。
よって、大国主を月読神社の一祭神と前提にすれば、月読神社が松尾大社の摂社となりうるのです
月読神社(松尾大社の摂社)の鳥居 扁額の額縁はクマソ物部を表わす
「とっておきの京都プロジェクト」
https://totteoki-kyoto.jp/9540/から借用しました
京都の月読神社の扁額額縁は熊本県球磨郡の岡原霧島神社(あさぎり町岡原南)と王宮神社(多良木町黒肥地)の額縁と同じです。この球磨の二社は月読関係の祭神が主祭神でしょうか?大山祗神、大国主命、木花開耶姫が基底にあると考えられます。
3.仁徳天皇を祀らない若宮神社
若宮神社の祭神は「仁徳天皇」で、開化天皇の「若宮」という意味です。
ところが、仁徳天皇を祀らない若宮神社が存在するのです。
大山祗ご一統の月読命、木花咲耶姫を祀る神社で若宮神社があるのです。
Misasan blog「滋賀巡り」2019-04-13 にて、
滋賀県甲賀市の若宮神社を紹介して頂きました。拝読して驚きました。
この若宮神社は橘族が関連する神社で、祭神は月読命、神紋は橘です。
若宮神社 滋賀県甲賀市土山大河原1092
祭神 月読命
Misasan blog「滋賀巡り」2019-04-13 から
社伝によれば、奈良時代初期の養老2年(718年)に創立。
この神社の特徴は、神主が氏子の中から毎年選ばれて奉祀されます。当番の神主は厳しいしきたりを守りながら一年間奉祀されます。奈良時代から千数百年続けられています。
例祭日は10月15日
10月15日の大祭には、拝殿前にて御湯(みゆ)式が行われ、この神事は巫女さんが拝殿前で熱湯に笹の葉を浸し、身に振りかけて五穀豊穣と無病息災を祈念して舞を奉納されます。
境内には橘紋付き「馬」の銅像があります。
祭神の月読命とは誰でしょうか。大山祗(月読命)は橘紋を使用されません。
大山祗の若宮(子)とすれば、罔象女神、大国主、木花開耶姫となります。木花開耶姫の紋章は桜紋です。木花開耶姫と瓊瓊杵尊との間に姫君の古計牟須姫(こけむすひめ)がおられます。古計牟須姫の紋章は橘紋で、「古計牟須橘紋」と言われます。橘紋の始まりでしょうか?「若宮」とは木花開耶姫の子・古計牟須姫を指すのでしょうか。
甲賀の若宮神社は祭神を隠されているようです。
清流と緑と紅葉の郷「大河原」へようこそ
http://www.ac-koka.jp/~mrd03201/
http://ookawara.shiga-saku.net/e1200578.html
拝殿前の御湯(みゆ)式
福岡県糸島市にも同様の若宮神社があります。
若宮神社 福岡県糸島市志摩船越292
福岡県神社誌に記載なし
糸島市志摩船越桜谷に鎮座で、かつては桜谷神社と称した。
祭神は、苔牟須売神(こけむすめ)、木花開耶姫(このはなのさくやひめ)。
なお、祭神の苔牟須売神とは地元では盤長姫命(いわながひめ)と伝承されている。
糸島郡誌に「寛永元年(1624)11月5日、浦の漁人仲西市平の妻に神告ありて、
初めて勧請せしという。文政六年再建せり。」とあり。
若宮神社 福岡県糸島市志摩津和崎300
祭神 木花開耶姫
古計牟須姫(こけむすひめ)は木花開耶姫と瓊瓊杵尊との姫君で、古計牟須姫の紋章は橘紋です。親子で祀られていることになります。古計牟須姫が主祭神のようです。
北隣の引津神社の祭神は御年神で古計牟須姫とは夫婦で、社が夫婦並んで祀られていることになります。その子が「武国凝別命」で筑紫水沼君の祖となります。
橘族は女系が主流となります。日本の歴史は男系表示ですが、それでは本当の歴史はわかりません。すべての人に父母(男女)があるように、日本の歴史は男系女系同時に見る必要があります。女系橘族が歴史の表舞台に出られたのが孝謙天皇(女帝)です。孝謙天皇の祖母が「県犬養三千代」で、元明天皇から橘姓を賜っています。
月読命の若宮と言えば大国主となりますが、月読命と木花開耶姫が「若宮」の関係になるのか不明です。おそらく、木花開耶姫・瓊瓊杵尊の若宮が古計牟須姫でしょう。
志摩船越の若宮神社の神額、京都の月読神社の神額、壱岐の月読神社の神額、球磨郡の岡原霧島神社の神額の額縁はそれぞれ皆同じなのです。共通する祭神は木花開耶姫となります。
月読神社の主祭神が月夜見命であることを考えると、
月読神社の主祭神=月夜見命=木花開耶姫
という構図が浮き上がるのです。
月読命は男性説、女性説あり、月読命は男性神ですが、女性説も根強くあります。
木花開耶姫が「かぐや姫」といわれるように、月夜見と満月にイメージがぴったりの女神です。月読神社の祭神が、月読命(大山祗)のみならず、大国主(月弓)、木花開耶姫(月夜見)がおられるのかも知れません。月読神社は謎の多い神社です。








