No.92 驚いた!福岡県那珂川の市ノ瀬・日吉神社は元宮であった

 
宮原誠一の神社見聞牒(092)
平成31年(2019年)01月30日
 

2019年(平成31年)1月20日、大宰府地名研究会主催による新春那珂川神社トレッキングが行われました。福岡県旧那珂川町は平成30年10月1日市制が施行され、「那珂川市」となり、「筑紫郡」が消滅しました。伝統的な地名称が一つ消えたことになります。
ここ那珂川市は倭国の奴の国の奥地に位置し、歴史的価値のある神社が鎮座する「まち」です。巡りました神社は8社、少々急ぎ足のスケジュールで、「じっくり」とはいきませんでしたが、再訪する度に新しいものを発見するものです。

 1.天御中主神社 福岡県 那珂川市 片縄東一丁目5-13
 2.地禄天神社  福岡県 那珂川市 中原六丁目7-8
 3.十六神社   福岡県 那珂川市 片縄北一丁目14-16
 4.現人神社   福岡県 那珂川市 仲三丁目7-8
 5.大山住神社  福岡県 那珂川市 別所687
 6.伏見宮    福岡県 那珂川市 山田879
 7.日吉神社   福岡県 那珂川市 市ノ瀬441
 8.裂田神社   福岡県 那珂川市 安徳11

まず、紹介します神社は、那珂川の奥地の市ノ瀬に鎮座の日吉神社です。
この神社の由緒は百嶋先生が重要視されていたもの、また、鳥居には真鍋大覚氏のお父さんの名前も刻まれています。(古川さん説明)
それに増して、重要なのは、ここ市ノ瀬は「若き開化天皇が住まわれていた猫城(根子城)があった」という伝説が村に残る地域です。

 

福岡よかとこ.COM テーマ『神社・仏閣』日吉神社
那珂川町で蛍や川遊びが出来るスポットとしても親しまれている、中ノ島公園に隣接した日吉神社に行ってきました。那珂川町の水田を開拓する神とし古事記の天孫降臨の条に最初に登場し国津神として語られた猿田彦命(さるたひこのみこと)が祀られている神社としても親しまれています。家と家との間に真っすぐ続く参道の右手には広い水田が広がりカエルの鳴き声が聞こえてきそうな風景、何処となく故郷感あふれたそんな雰囲気に癒されてきました。敷地境内には木々が立ち並び、静かな涼みにも穴場!お勧めなスポットとなっています。また神社には、神前に供える栄木の一種とされる県指定天然記念物のオガタマの御神木が大きくたくましく立っています。拝殿の内部には立派な絵馬が奉納されており、とても古いものだろうと歴史を感じました。是非、のんびり参拝・森林浴などはいかがでしょうか?

(注) オガタマの木は、硬貨一円玉にデザインが採用されています。



 

1.市ノ瀬の日吉神社

那珂川沿いには重要な神社が鎮座されています。
北から川を登っていきますと、天御中主神社、十六神社、現人神社(現人橋)、伏見宮が鎮座され、奥まった市ノ瀬の中ノ島公園の手前に日吉神社が鎮座です。
国道385号の西に入った所に第一の鳥居があり、真っ直ぐな長い参道を進むと第二の鳥居があり境内に入ります。この二の鳥居は真鍋氏が大正15年に奉納されています。

日吉神社 福岡県 那珂川市 市ノ瀬441

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第一の鳥居、第二の鳥居の扁額は「山王宮」と表記されています。
拝殿の神額も「山王宮」と表記されています。
由緒の祭神を見ますと、祀られている神様の多さに驚きます。
これは合祀神社が多いためです。
主祭神は「天御中主神」「大己貴神」「彦火々出見命」の三神(柱)です。
日吉神社というのに、祭神・日吉様(大山咋神 おおやまくい)が見当たりません。

 

主祭神
日吉神社 筑紫郡南畑村大字市ノ瀬字日吉前
 祭 神 天御中主神・大己貴神・彦火々出見命

合祀の神々
大山祇神・八雷神・菅原神・埴安神・宇賀魂神・高淤加美神・闇淤加美神・田心姫命、
迦具土神・手力雄命・表筒男命・底筒男命・中筒男命・須佐之男命・天照大御神
(合祀の神々の詳細)
山社  (大山祇神) 筑紫郡南畑村大字市ノ瀬字大浦及木の実坂
八雷神社(八雷神・菅原神・大山祇神) 大字市ノ瀬字黒
山神社 (大山祇神) 大字市ノ瀬字苗ヶ尾
宇賀神社(宇賀魂神) 大字市の瀬字日吉前
貴船神社(高淤加美神・闇淤加美神) 大字市ノ瀬字大谷
稲荷神社(宇賀神) 大字市ノ瀬字黒木
山神社 (大山祇神・迦具土神) 大字南面里字中の畝
山神社 (大山祇神) 大字南面里字山の口
山神社 (大山祇神・手力雄神) 大字成竹字尾添山
日吉神社(天御中主神・大己貴神・彦火々出見命) 大字成竹字上原
     境内社地禄神社(埴安神)
日吉神社(天御中主神・大己貴神・彦火々出見命・八雷神・表筒男命・底筒男命、
     中筒男命・宇賀魂神・須佐之男命) 大字埋金字埋金
     境内社大神宮(天照大神)
     境内社背振神社(田心姫命)
山神社 (大山祇神・田心姫命) 大字五ヶ山字綱取
     境内社宇賀神社(宇賀魂神)
日吉神社(天御中主神・大己貴神・彦火々出見命) 大字不入道字山中


 

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百嶋先生が重要視された神社の由緒書きがありました。
最初に「猿田彦」の由来が書かれています。

「猿田」とは今も対馬と種子島に僅に保存されている陸稲の一品種「赤米」を栽培する田のことでした。「春に浅瀬の多い川を止めて湖を作り、それに苗を植え夏の日照時に水を引いて秋の収穫まで干し上げる古式栽培のこと」とあります。
「猿田彦」の名は、「赤米」を栽培する猿田から採られました。
さらに、一年を三季に分ける珍らしい暦法の名残が農耕と祭日に残されて、縄文時代の冬のない亜熱帯気候の風土であったと記されています。

 

猿田彦を祭神とする社は、伊勢二見の興玉神社で、夏至に駿河冨士の朝日を拝するところから、伊勢暦の編纂をもあつかった神であります。本社の拝殿の天井に描かれた十二月十二支に方位月日の神としての一面をうかがうことが出来るかもしれません。
 

猿田彦大神は、伊勢暦の編纂をもあつかった神とあります。
もともと、真鍋家は古代からの暦法家でもありました。
終わりの部分に最も重要な記述があります。

 

伝教大師最澄は、延暦24年(805)、唐から帰朝の折に筑紫で最初の天台派寺院たる背振山東門寺を開基いたしました。そして、これを比叡山延暦寺に移した時に、その守護神として、ここの山王神 猿田彦命を勧請して、彼の地に日枝神社を創建したと言う
 

伝教大師・最澄は、延暦24年(805)、唐から帰朝の折、筑紫で最初の天台派寺院たる「背振山東門寺」を開基した、とあります。
そして、この東門寺を比叡山延暦寺に移された時、その守護神として、ここの山王神猿田彦命を勧請して、かの地に「日枝神社」を創建した、と書かれています。
山王宮日吉神社は当初、「日枝神社 ひえじんじゃ」といったのです。
滋賀県大津市の坂本山王宮日枝神社(日吉大社)の元宮は、ここ那珂川の山王宮日吉神社だったのです。


猿田彦は「山幸彦」「彦火々出見命」です。
山幸彦が「日吉神社」「日枝神社」の祭神であったとは、驚きです。
山幸彦に目が開き、目が覚めました。豊玉姫にももっと目を開こう!
那珂川市、春日市、大野城市、早良区の神社の洗い直し。

 

日吉大社 (Wikipedia)
滋賀県大津市坂本にある神社
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。社殿は西本宮と東本宮に分かれ、社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、戦後は「ひよし」を正式の読みとしている
西本宮祭神:大己貴神(大国主神に同じ)
東本宮祭神:大山咋神
日枝の山(ひえのやま)とは後の比叡山のことで、日吉大社は、崇神天皇7年に日枝山の山頂から現在の地に移されたという。
西本宮の祭神・大己貴神については、大津京遷都の翌年である天智天皇7年(668年)、大津京鎮護のため大神神社の神が勧請されたという。以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。
平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになった。
最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。      Wikipediaより抜粋


 

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脊振山東門寺跡
清谷山 万徳寺

福岡県福岡市早良区脇山1810
『筑前國続風土記』に「椎原、板屋、小笠木、西村、脇山、内野、石龜、曲渕、凡8村をすべて脇山郷と云。昔 背振山東門寺の別院此村にありしかば、8村すべて脇山院内とも云り。」とある。
池田大日堂
福岡県福岡市早良区脇山1678
旧早良郡脇山村池田にある大日堂は、背振山東門寺の別院跡に、大村兵庫助、多々良興景という士によって天文年間(1532~1555)に建立された。
本地域は、かつては「脊振山上宮領筑前国脇山院」と呼ばれた脊振山の支配地域で、本像のある所は脊振山東門寺の別院跡と伝えられている。
脊振山東門寺跡 背振神社上宮
佐賀県神埼市脊振町服巻

 


日吉大社の東本宮祭神・大山咋神が主祭神ですが、那珂川の日吉神社の由緒からすると、
日吉神社、日枝神社の祭神は「猿田彦大神」となります。猿田彦は「山幸彦」「彦火々出見命」です。日吉大社の祭神が、「猿田彦神」から「大山咋神」へと、どうして摩り替わったのでしょうか。祭神が、「猿田彦神」から「大山咋神」へと摩り替わったのは、日吉神社だけではありません。
門神様(もんがみ)「山王宮」も「猿田彦神」から「大山咋神」へと摩り替わっています。

 

日吉神社由緒記(神社境内掲示板)
猿田彦命は古事記の天孫降臨の条に最初に現われる国津神であります。天照大神から授けられた斎庭の稲穂を育てるべき水田を開拓して待ち給うた神と語られます。
「さるた」とは今も対馬と種子島に僅に保存されている陸稲の一品種なる赤米のことであります。春に浅瀬の多い川を止めて湖を作り、それに苗を植え夏の日照時に水を引いて秋の収穫まで干し上げる古式栽培のことでもありました。
弥生より後の氏神の鎮守の社は部落を見わたす高台にあるのが普通でありますが、本社が低い川原にあるのは、日夜田廻りに生きてきた古代の農耕の本質を今に伝えているからであります。祭日は4月30日の水籠、8月31日の風籠、12月31日の大晦がありました。氏子一同が神前で会食する式例で一年を三季に分ける珍らしい暦法の名残でありますが、縄文時代の冬のない亜熱帯気候の風土もよくしのばせます。これに1月1日の年始祭、7月31日の輪越祭、11月23日の注連縄祭が加えられております。
猿田彦を祭神とする社は、伊勢二見の興玉神社で、夏至に駿河冨士の朝日を拝するところから、伊勢暦の編纂をもあつかった神であります。本社の拝殿の天井に描かれた十二月十二支に方位月日の神としての一面をうかがうことが出来るかもしれません。
伝教大師最澄は、延暦24年(805)、唐から帰朝の折に筑紫で最初の天台派寺院たる背振山東門寺を開基いたしました。そして、これを比叡山延暦寺に移した時に、その守護神として、ここの山王神猿田彦命を勧請して彼の地に日枝神社を創建したと言う伝説が残っております。
昭和52年7月25日

(注) 猿田彦は別名「山幸彦」「彦火々出見命」です。



 

2.開化天皇の猫城(根子城)

市ノ瀬は「若き開化天皇が住まわれていた猫城(根子城)があった」という伝説が村に残る地域です。日吉神社から下流北に下った所の西(左岸)に小高い山が見えます。
開化天皇が住まわれていた猫城(根子城)の山です。
(トレッキング時、中島さんに案内して頂きました)

その後、開化天皇は筑紫野市二日市の四王寺山の王城(おうのしろ)に移られ、(贈)仲哀帝の戦死後、神功皇后との会見の地となります。
当時、旧那珂川町、春日市、大野城市、筑紫野市一帯は、開化天皇の支配下にあり、仲哀神功皇后軍が現在の御笠を通過出来る状況ではなかったのです。

 

筑紫野を神功軍が通過時、「旋風がにわかに吹いて皇后の御笠が吹きとばされ、時の人はそこを名づけて御笠(みかさ)という」との故事があります。これにより、現在の大野城市の国道3号沿いの御笠がその地名に当てられています。
しかし、神功皇后時代には、「御笠」は今の阿志岐(芦城)を中心にした地名です。
地名大辞典には「御笠の中心は阿志岐にある」とあります。当時、阿志岐、山家を裾に置く「宮地嶽」を「御笠山」とも言った。

No.28 神功皇后が戦勝祈願した筑穂内野の大根地神社
No.29 第1次羽白熊鷲戦争と小郡市の御勢大霊石神社
No.30 大分八幡宮と神功皇后と開化天皇

 

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春日神社について 百嶋先生講演 2011年4月23日
旧那珂川町の山田に伏見神社があります。ここは京都伏見大社の原点です。
次は、那珂川町に市ノ瀬という所があって、そこに猫(根子)城があります。
誰を意味しているかというとワカヤマトネコヒコ(稚倭根子彦、別名、開化天皇となる前のお名前)、ここに御所があった。ワカヤマトネコヒコは太宰府四王寺山であるものを渡され、正式の天皇、開化天皇となられたのです。そのあと開化天皇は高良大社に移られて、神武を除いて、最初の人皇の天皇となられたのが開化天皇です。
高良玉垂宮神秘書をごらんになったら、私が申し上げていることを、そっくり、本当の日本の歴史が書いてある。そして、この本当の日本の歴史を頭から踏みにじったのが古事記です。そして、日本書紀になると、少しは本当のことも書かんといかんばいとなった。ほとんど操られた記紀以前の日本の姿が高良玉垂宮神秘書に書かれています。
四王寺山に於いて、ワカヤマトネコヒコ(稚倭根子彦、開化天皇)に三種の神器をお渡し(返上)したのは誰か、ウガヤフキアエズノミコト(鵜草葺不合命)です。この人は本当は格式が低いが、お母さんである豊玉姫が格式が高い、お父さんは猿田彦(山幸彦)です。

 

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参考資料 福岡県神社誌
日吉神社
所在地
 筑紫郡南畑村大字市ノ瀬字日吉前
祭 神 天御中主神、大己貴神、彦火々出見命
大山祇神、八雷神、菅原神、埴安神、宇賀魂神、高淤加美神、闇淤加美神、田心姫命、
迦具土神、手力雄命、表筒男命、底筒男命、中筒男命、須佐之男命、天照大御神
由 緒 不詳
正徳3年10月神殿拝殿改造明治5年11月3日村社に定めらる。
祭神大山祇神は字大浦及木の実坂に無格社山社として祭祀ありしを明治42年9月28日合祀許可。
八雷神、菅原神、大山祇神は同大字字黒に無格社八雷神社として、大山祇神は同大字字苗ヶ尾に無格社山神社として、宇賀魂神は同市の瀬字日吉前無格社宇賀神社として、高淤加美神、闇淤加美神は同大字字大谷無格社貴船神社として、宇賀神は同大字字黒木に無格社稲荷神社として祭祀ありしを明治44年4月18日合祀許可。
大山祇神、迦具土神は大字南面里字中の畝に村社山神社として、大山祇神は大字南面里字山の口無格社山神社として、大山祇神、手力雄神は大字成竹字尾添山に無格社山神社として、天御中主神、大己貴神、彦火々出見命は大字成竹上原に村社日吉神社として、埴安神は大字成行竹字上原日吉神社境内神社地禄神社として、天御中主神、大己貴神、彦火々出見命、八雷神、表筒男命、底筒男命、中筒男命、宇賀魂神、須佐之男命は大字埋金字埋金村社日吉神社として、天照大神は同社境内神社大神宮として、田心姫命は同背振神社として、大山祇神、田心姫命は大字五ヶ山字綱取村社山神社として、宇賀魂神は同境内神社宇賀神社として、天御中主神、大己貴神、彦火々出見命は大字不入道字山中に村社日吉神社として、祭祀ありしを大正4年8月21日合祀許可。
例祭日 10月15日
神饌幣帛料供進指定 大正10年4月7日
主なる建造物 本殿、幣殿、拝殿、社務所、神饌所、絵馬殿
氏子区域及戸数 南畑村一円 340戸


参考資料 福岡県神社誌 中巻

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3.二人の門神様

福岡県久留米市山川町阿志岐に「高良御子神社」社殿の右に坂本神社があり、坂本命と二人の門神様が祀られています。
古昔、JR九大線御井駅付近の栗林に東西両坂本神社があったという。
山川校区郷土研究会説明板によれば、
「明治43年9月26日 郡役所の勧誘により、王子山596-1高良御子神社境内に、全末社とも移転遷座す。現在、王子宮境内に祭祀してある坂本神社の社殿は一つだが、正面祭壇上に素木の厨子が二つ並んでいる。それが東西坂本社のご神体である。中央に不明のご神体一柱あり。」とあります。

山川の坂本神社 福岡県久留米市山川町字王子山596番地1

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坂本神社の祭神は次の通りです。

 坂本本社 坂本命
 東坂本社 櫛岩窓命(くしいわまど)
 西坂本社 豊岩窓命(とよいわまど)

山川校区郷土研究会の設明板には「両祭神は、太玉命の御子で「殿(みかど)」を守衛(まも)る神、即ち高良参道入口の守護神である。」と書かれています。
東西両祭神は門神様ですが、両祭神は太玉命(豊玉彦)の御子ではありません。

「寛文十年(1670)久留米藩社方開基」では、「御井郡阿志岐村坂本山王三社」と記載されています。坂本山王社の二社の神殿は萱葺き九尺と二間と御堂みたいな社殿です。これが門神様を祀る東西両坂本社と考えられます。また、もう一社神殿なきござそうろう、とあり、これが坂本本社であったと想定します。
ご神体は大山咋にて比叡山日吉山王といっている。
一般的に「坂本山王社」といえば、「比叡山坂本山王宮日吉社」を思い浮かべますが、門神様としては合っていますが、大山咋=坂本命 ではありません。

阿志岐の坂本命を祀る「坂本神社」と大山咋を祀る「坂本山王宮日吉社」がゴッチャになっています。どうして、このようになったのでしょうか。
それは、阿志岐の坂本命を祀る「坂本神社」の祭神の配祀にあります。

 坂本本社 坂本命
 西坂本社 櫛岩窓命 → 日吉様 → 天照女神 ← 西本宮祭神:大己貴神
 東坂本社 豊岩窓命 → 山王様 → 大幡主  ← 東本宮祭神:天御中主


櫛岩窓命は天照女神の流れ、豊岩窓命は大幡主の流れの名称になります。
西坂本社の櫛岩窓命は天照女神であり、この神様を中心に坂本神社の大幡主を無視して考えると(実際に無視されています)、比叡山の日吉大社は「坂本山王宮日吉社」となるのです。



 

4.大善寺玉垂宮楼門の門神様

福岡県久留米市大善寺宮本に大善寺玉垂宮が鎮座です。
祭神は高良玉垂命(開化天皇)です。
境内の参道を進みますと、楼門の前に門神様としての東西坂本社が向き合って鎮座です。
本宮の高良大社にも門神様が祀られていました。社殿の登り口、三の鳥居の両側に坂本社の分霊が祀られていましたが、現在は本殿内の御客座に遷座されています。

大善寺玉垂宮 福岡県久留米市大善寺宮本1463

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本殿の奥の右に狭野神社が鎮座です。
祭神は狭野命で、神武天皇の幼名です。
本殿の奥に鎮座ということは、狭野神社が上格社ということでしょうか。
その左横には、陰陽の自然石をご神体とした「幸の神」が鎮座です。神徳は「安産」「子宝授与」となっています。初めての方は「びっくり」かもしれません。


境内社・狭野神社

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境内に入ってすぐ右奥に「生目八幡神社」が鎮座です。祭神は「平景清公」です。
生目八幡は阿蘇神社の境内社によく見かけますが、玉垂神社の境内社は珍しいです。
平景清公の息女「景清姫」は熊本県球磨郡あさぎり町(宮原)で亡くなられており、景清公の母君は切畑大明神(切畑神社)に、鎌倉時代合祀されています。
何の因縁でしょうか。

 

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