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No.59 高良大社に天照女神(玉垂命)の神紋を発見した(改訂)

 
宮原誠一の神社見聞牒(059)
平成30年(2018年)05月10日
令和8年(2026)1月29日(改訂)
 

「No.293 福岡市の飯盛神社」にて、木瓜紋は天照女神の神紋、五瓜五弁唐花紋は祇園社の大幡主の神紋と分かりましたので、「開化天皇」の名を「天照女神」に入れ替えて、文章を修正します。勿論、天照女神の花菱紋は住吉大社の神紋でもあります。
 2026年1月29日 記



高良大社では、平成27年秋から「平成の大修理事業」が行われ、「平成の大修理完了記念」春の奉祝祭が平成30年春のコールデンウィークに開催され、特設会場では各神社の神楽が披露された。
以下、高良大社のHPから、その概要を編集。

 

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高良大社 平成の大修理 御奉賛の御願い
高良山は、自然や歴史的文化遺産が沢山あり、貴重な国の史跡であります。学校の校歌や詩歌の素材にも採り上げられるなど、『川はおふくろ・高良はおやじ』と身近に親しみ《郷土のシンボル・心のふるさと》と仰がれて来ました。
その山腹に筑紫の国魂を祀る高良大社は、御鎮座以来1650年余の永い歴史を有し、式内名神大社、筑後国一の宮と称えられ、御皇室からも尊崇され、普く篤い信仰を集めております。
この度、高良大社では昭和47年に国の指定を受けた重要文化財『高良大社本殿・幣殿・拝殿』の御屋根替え工事をはじめとする保存修理が国庫補助事業として実施されることとなりました。
この機会に御社殿周辺の保護、建造物諸施設の整備・充実を図るべく文化財としての景観と、親しみのある環境づくりを目指して郷土の大切な宝を保存管理して参りたいと計画致しました。
久留米市はもとより筑紫一円に縁ある私たちは、先人の尊い遺産を受け継ぎ、後世に残し伝えていきたいと存じます。つきましては、この趣旨に格別なるご賛同を戴き、切にご支援を賜りますようお願い申し上げます。 平成27年5月吉日


平成29年7月より行っておりました平成の大修理 高良会館の修理工事が、平成29年11月末に完了いたしました。多くの皆様のご協力とご奉賛をもちまして、無事に完遂の運びとなりました。誠に有難うございます。
これを祝しまして、平成30年4月29日から5月4日まで奉祝行事を行います。

 



平成27年11月から社殿を覆っていた素屋根も解体され、平成29年6月屋根葺き替え完了

平成29年7月6日、髙良大社斎館・授与所新築工事 竣工祭

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平成29年10月4日、大神様に修理を了えた御社殿にお還りいただく「本殿遷座祭」を斎行

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高良大社(高良玉垂宮)
福岡県久留米市御井町1番
平成30年5月3日

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参拝を終え、本殿の後ろに廻ると左手に神輿庫があります。
奉祝祭を記念して、扉が開放され、三基の神輿を身近に見ることができました。
左に「住吉大神」中に「高良玉垂命」右に「八幡大神」の神輿が並べられていて、高良玉垂命の神輿の屋根には鳳凰が乗っています。神輿の金の歩揺飾りを見ると色々な紋が打ってあります。近づいて良く見ると、その歩揺に花菱紋が打ってあるではないか。
「花菱紋」は天照女神(高良玉垂命)の神紋です。驚きながら落ち着いて、花菱紋を中心に神輿の各部分を写真に収めた。

上の二段には横一列に花菱紋が並んでいる。中段にも横一列に花菱紋が並んでいる。
「七宝中菱」の中に「花菱紋」があるのは、内野の老松神社 (福岡県飯塚市内野の関屋2876)でも見かけました。明らかに同一紋で、天照女神(玉垂命)の神紋です。

高良大社(高良玉垂宮)に天照女神の神紋が打ってある。
祭神の玉垂命は天照女神です。

日頃から、高良大社を参拝する時には、花菱紋がどこかに打ってはないかと注意していましたが、この年月時期に及んで、やっとのこと巡り会えました。

 

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高良大社(高良玉垂宮)の神輿庫

 

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中央の高良玉垂命の神輿

 

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神輿の金の歩揺飾り

 

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天照女神(玉垂命)の神紋「花菱紋」

 

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高良大社(高良玉垂宮)の神輿に花菱紋が打ってある。
高良大社の祭神は高良命(大幡主)を前面に出し、天照女神を隠し、宮地嶽神社の祭神は天照女神を前面に出し、高良命(大幡主)を隠してある、という。
高良玉垂宮神秘書からすると、

 玉垂命=天照女神=月神

となる。
その他に、十六菊紋は天皇家の紋、六弁唐花紋は大幡主の紋、左三巴紋は八幡大神の紋が付けてあります。住吉大神(天照女神)の紋は正式には五七桐紋と花菱紋です。

 

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内野の老松神社
福岡県飯塚市内野(関屋)2876

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飯塚市内野(関屋)の老松神社の拝殿には「三階松」紋が刺繍された錦旗が置いてあります。三階松紋は九州王朝の紋であり、特に大幡主と宮地嶽神社が使用される。さらに、旗をよく見ると、旗の縁には「花菱紋」がびっしりと打ってあります。花菱紋も天照女神の紋です。

 

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ご神体畳台座の紋・七宝花菱紋

 

高良玉垂宮神秘書
1条 (部分抜粋)
神功皇后の時、日本にイルキが攻めてきた。その時、筑前国四王寺の嶺に登り、祈られた折、東の空に白雲現われ、白雲たちまち四方に開き、光を放ち給い、月神(玉垂命)現われ給う。白雲を四方に開きたるは四天王なり。四つ鉾はその中に打ち交えて見えたり。その白雲に囲まれて、若冠となって四王寺の嶺に現わられる。その所を四王寺ヶ嶺と申すなり。高良大菩薩(玉垂命)のご紋は、このことから言うなり。
異国征伐の時の幕のご紋であり、四方に光を放ち給う故に門光(もんこう)と名付けたり。(後略)

311条 高良の御紋・木瓜(もっこう)のこと
神功皇后が筑前国四王寺の嶺において大鈴を榊の枝に掛け七日間、異国退治を祈られた時、東の空に白雲が現れ、四方に開け、四方に光を放ち、四王寺の嶺に降臨された。四方に開けた白雲は四天王なり。紋の中に四本の鉾を交えているのは四天王の鉾なり。これをそのままとって門光(もんこう)と名付けたり。
異国追伐の時の高良の御紋はこれなり。四方に光を放っている故、門の光と書く。
高良(大菩薩・玉垂命)、四天王に従じて天降られた所を四王寺ヶ嶺と名付けたり。

 

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十字に交わる鉾は四天王の鉾、中心の小さい剣は斜め十字剣。四方に広がるのは白雲といわれる。

 

 

百嶋先生講演「久留米地名研究会」 2011年2月5日
高格式ユダヤ系等の木瓜、剣唐花の紋をお使いになっているのは高良大社、或いは、大善寺玉垂宮です。この紋は神様の紋ではなく、その神様をお守りしたのがユダヤ・イスラエル系の人々ですという意味です。武内宿禰の紋章は天皇家の紋章、五七の桐です。武内宿禰さんは系統的には本物のイスラエル系統です。ところが胤は、九州王朝の系統です。
伊勢皇大神宮の神紋に気づかれた方はいますか?門光です。開化天皇天照女神が四王寺山にお立ちになった時に、まばゆいばかりの光が周囲に散ったのです。現在では、花菱といいます。これが高良神紋であり、住吉神紋です。門光以前の紋章は桐です。男は五七、女は五三の桐です。

(しかし、玉垂命(天照女神)の紋は五七桐紋、高良命(大幡主)の紋は五三桐紋と男女神が入れ替わっています)



【高良大社の神紋】
高良大社の神紋は、案内パンフレットには下記のように載っています。

 

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玉垂命の紋章は五七桐紋、武内宿禰の紋章も五七桐紋、高良大社の祭神について、「高良玉垂命は武内宿禰」という間違った話が一人歩きして来た。
武内宿禰は開化天皇の臣下であり、「記紀」では、神功皇后の臣下として目立った働きをされるが、高良玉垂命が「記紀」から消されているために、結果的にそう見えるだけで、本当は「開化天皇と神功皇后」の臣下として働いておられる。

「記紀」から高良玉垂命の主語が抜けているだけで、「神功皇后」を「玉垂命(天照女神)」と置き換えると、話の展開が現実性を増します。
「高良玉垂宮縁起」では、高良神(大幡主)と玉垂命(天照女神)が共に新羅海戦で戦っておられる姿が描かれています。結果、神功皇后=女傑英雄 のイメージが薄れてきます


話の続きは
No.303 橿日の神・事六帝 三韓を伐つ③
を、ご覧ください。