No.21 老松神社シリーズ ③ 筑紫の飛鳥・上岩田井上の老松神社
宮原誠一の神社見聞牒(021)
平成29年(2017年)09月06日
上岩田の老松神社は、「住吉神社」を隠す操作がなされていました。
古宮は本来の「住吉神社」そのものでした。
1.筑紫の飛鳥
古田武彦先生は、その著「壬申大乱」において、「飛鳥」の地を福岡県小郡市に比定され、その研究を基に、「日本書記」や万葉歌、遺跡や現地の地勢・地名等から「明日香・飛鳥(アスカ)」は、本来は筑紫小郡の地名であるとされている。
古田史学会報103号2011年4月5日
正木裕著『筑紫なる飛鳥宮』を探る において、詳しく追加論証されている。
遺跡に見る小郡
現在『書紀』の「筑紫小郡」に比定されているのは福岡県小郡市だ。ここには、「小郡官衙遺跡」「下高橋遺跡」「上岩田遺跡」「薬師堂遺跡」等、概ね七~八世紀と見られる大型遺跡が集中し、「正倉院」跡まで発見されている。
特に、小郡市井上地区一帯(現在の岩田地区を含む旧御原郡)には井上廃寺・井上薬師堂遺跡等の大規模遺跡がある。わけても上岩田遺跡(I期)は、約12万平米の規模を持ち、東西約18m、南北約15m、高さ約1m強の基壇と、その上の瓦葺き建物や、柵に囲まれた大型の建物群が確認されており、単なる官衙(評衙)とは考え難い。
遺跡には筑紫大地震(678)によると見られる亀裂倒壊の跡がある事から、七世紀中盤から後半にかけ存在した施設と考えられる。
また、「井上廃寺跡(井上山福田寺跡)」(小郡市大字井上字村囲)からは九州最古の白鳳前期とされる「山田寺瓦」が出土し、かつて方二町程度の寺院域と七堂伽藍を有した大寺があったと推定され、小郡は重要な儀典が開催された場所との『書紀』の記述は考古学上も確認される。
権力が消し去る「地名表記」
古田氏は次の通り宝満川を例にとり、地名の変遷について次の通り言う。
小郡市を流れる宝満川は、かつて「得(とく)川」と呼ばれていた。それはまた「徳川」とも書かれていたけれど、江戸時代においてはこの表記は"使われなく"なった、という(小郡市史編さん室、黒岩弘氏による)。
これも「当代の政治権力」がそれまでの「地名表記」を"消し去った"事例である。「地名」は絶えず、そのような「権力の干渉」の中で生き抜き、そして変容させられてきたのである。
ここ小郡市松崎・井上一帯は奈良県明日香に相当する政治文化の中心であった時期があった。
井上区の村の西半分は井上廃寺があった所で飛鳥寺相当の大伽藍があったとされる。
その地形は東西に大分自動車道と甘木鉄道が貫通し、古代の地勢を想像しにくくしています。大分自動車道井上PAと国道500号の間に上岩田・井上の老松神社が鎮座されています。
大崎媛社神社・稲吉老松神社・下岩田大神宮・下高橋官衙遺跡が東西に並ぶ
大分自動車道を挟んで上が井上区、下が上岩田区
老松神社 福岡県小郡市上岩田1374-1
2.上岩田・井上の老松神社
国道500号北にこんもりとした杜があり、境内は昼間でも薄暗い中に、西向きに神社は鎮座する。敷地内には北側に老松神社古墳(上岩田古墳群)2基があり、小郡市指定無形文化財の「上岩田注連ねり」の注連縄をつけた石塔が散在する。2基の鳥居をくぐると社殿の入口の石垣は約1m高さの玉石組みとなっていて、物部一族が係わった建造物とみます。
案内板では、祭神が菅原眷属神、高良玉垂命、住吉大神となっていますが、実際には中央殿に高良玉垂命、左殿(右)に住吉大神 右殿(左)に菅原眷属神が鎮座されています。
神社案内板による由緒
この老松宮はもと、上岩田、井上、下岩田の氏神であり、この神の鎮座地を昔は神磐戸と称していた。上岩田の地名は、神磐戸から神磐田、上岩田と変ったのであろう。
大昔、神功皇后が秋月の羽白熊鷲を征伐せられ、次で筑後国、山門県の田油津姫を滅ぼそうと、津古から舟にて得川(宝満川)を下られ、この神磐戸にお着きになった。今の老松宮は当時の行在所の跡で、その御駐輦の折、武内宿祢をして、御剣を祀らしめられた。その不動石が境内にあったが、現在は不明。又境内に大岩窟があったが、正保年間(1644) これを破壊し、その巨岩を稲吉堰の築造に利用したので、今はその跡があるだけである。
昔の社殿は後三條天皇の延久二年(1070) 上岩田の庄領家菅原氏の造立で、その後、高橋城主の高橋氏、肥前の筑紫氏等によって再建され、御原郡の総社と仰がれた由緒ある神社で、宝物等数多くあった。
天正十四年(1586)島津勢が筑前に攻め上る際、兵火にかかり神殿末社、社宝、文献等ほとんど焼失し、僅かに獅子頭、火王面が残っているだけである。その後、寛永年間(1624)、文化年間(1804)に再建され、今日に至っている。
享保年間(1716)までは、毎年9月19日、附近11ヶ村民相集って、盛大な神事が営まれ、大板井の地まで御神幸があっていた。明治6年に村社に列せられた。
尚、境内の中島にある五重の塔は、元徳二年(1330)、岩田の庄の領家、地頭直人が天長地久祈願のため建立したものであり、又、一の鳥居は寛文三年(1633)造営である。昔は神田も数多くあったが、今は地名(火王田、彼岸田、神楽田・・・等)として残っている。大正5年、井上の古北神社を若宮八幡宮に合祀した。
境内神社
若宮八幡宮(仁徳天皇、菅原神)
事勝神社(猿田彦大神)
福岡県神社誌では境内神社・天満神社(菅原神、仁徳天皇)とありますが、現在の案内板では、境内神社・若宮八幡宮(仁徳天皇、菅原神)となっています。
戦前では天満神社(菅原神)を前面に、戦後では若宮(仁徳天皇)を前面にお出しになっている。
戦前では天満神社(菅原神)を前面に出して、若宮(仁徳天皇)と高良玉垂命を隠さなければならない事情があったのでしょう。
また、菅原眷属神(老松神)が本殿に居られ、天満神社(菅原神)が境内社です。
境内神社・若宮八幡宮・天満神社
「上岩田注連ねり」の注連縄をつけた石塔と背後は古墳
3.上岩田の地名について
由緒書にあるように、「老松宮はもと、上岩田、井上、下岩田の氏神であり、この神の鎮座地を昔は神磐戸と称していた。上岩田の地名は、神磐戸から神磐田、上岩田と変ったのであろう。」と上岩田の地名発祥に触れておられます。
老松神社が鎮座する地名は「上岩田」であり、その南に稲吉の老松神社、さらにその東に「下岩田」があり、ここには「大神宮・天満宮」が鎮座されています。「岩田」の地名は本来物部族に関係する地名です。上岩田の地名が「神磐戸」から「神磐田」、「上岩田」と変名したのであろうと由緒書は記していますが、「神磐戸」は境内の古墳の大岩窟から来たものであろうと推察します。
下岩田の大神宮・天満宮 福岡県小郡市下岩田1857
また、「昔の社殿は延久二年(1070) 上岩田の庄領家菅原氏の造立」とあり、上岩田の荘園は筑後川対岸の田主丸町に飛び地をもっていました。田主丸町西小田、小川地区です。荘園領主が菅原氏であるためか、西小田にも立派な天満神社が建立されています。
上岩田が「筑紫の飛鳥」といわれるように、古代のこの一帯は物部の郷であり、時代が下がって、正木裕著「『筑紫なる飛鳥宮』を探る」にあるように天武天皇が関係する郷となっていったのでしょう。
西小田の天満宮 福岡県久留米市田主丸町野田(西小田)684
4.上岩田・老松神社の祭神について
神社案内板の由緒書にあるように、祭神は菅原眷属神、高良玉垂命、住吉大神となっています。正確には、中央殿に高良玉垂命、左殿(右)に菅原眷属神 右殿(左)住吉大神が鎮座されています。(福岡県神社誌中巻に同じ)
菅原眷属神とは、眷属第一の神で、菅原道真の家臣(牛飼)だった島田忠興(しまだただおき)を指すのでしょうか。住吉大神は「寛文十年(1670)久留米藩社方開基」では阿蘇大明神となっています。
老松神社内、拝殿から神殿への亘殿
亘殿に上がると薄暗く、神殿は明かりが無く、照明がないとよく見えません。
この神殿内で見たことを大袈裟に言えませんが、床には「ほこり」が溜まり、三つの祠殿の屋根は福岡地震の影響か崩れ落ちていました。失礼ですが、数十年の長きに渡り掃除も無く手入れがなされていないようです。それでも、ご神体はきれいな石像でした。
中央殿の高良玉垂命は襟会わせの平服と左殿(右)の菅原眷属神(老松神)、右殿(左)の住吉大神は衣冠束帯です。どう見ても三体の神様の格が不揃いで合わない。神社の名称は「老松神社」で、主祭神は「老松神」であり、中央殿に鎮座すべきでしょうが、実際には中央殿に高良玉垂命が鎮座されている。格からみて当然でしょう。
無理に、後世、老松神を追祀した感であります。神社名も後の改称でしょう。
住吉大神 高良玉垂命(菊菱紋) 老松大明神
寛文十年(1670)久留米藩社方開基
(注)「寛文十年(1670)」とあるは正しくは「元禄十年(1697)」であり、御原郡井上組は調査時期が異なります
「寛文十年(1670)久留米藩社方開基」を見ると、老松大明神を主祭神に、左に阿蘇大明神、右に高良大明神となっています。阿蘇大明神は住吉大神となり、神沼河耳命と神八井耳命に繋がる阿蘇系の神様です。
境内社・若宮について、「社方開基」の江戸時代に、若宮社は存在しており、表記の「若宮」が正しい。福岡県神社誌「大正5年、井上の古北神社を若宮(八幡宮)に合祀した」とあるは、井上村の天神社(菅原神)を合祀したのでしょう。また、下岩田村では天神社は記載されているが、大神宮は記載されていません。記載してはマズイ事情でもあったのでしょうか。
概観すると、現在のご神体三体の神様の格が不揃いで合いません。ここ上岩田の老松神社は大幡主を隠すために、また、天武天皇の事跡を消滅するために改造・改築・改称されたのではないかと、ふと思った次第です。
また、「昔の社殿は延久二年(1070)上岩田の庄領家菅原氏の造立」とあり、上岩田の庄園領主・菅原氏によって、新社殿が建立された時に配神は変更されたのでしょう。老松大明神が主祭神にきます。そして、老松神の表現が曖昧にされ、正体不明の菅原眷属神となっています。
老松神社の古宮は「住吉神社」でしょう。そうすると、神様の配神のバランスが良くなります。
上岩田の老松神社の正体は「住吉神社」でした。
※福岡県神社誌(中巻)
左殿(右) 老松大明神(菅原眷属神)
中央殿. 高良玉垂命
右殿(左) 住吉大神
※「寛文十年(1670)久留米藩社方開基」では、住吉大神は阿蘇大明神となっていて、このことは後の記憶に留めておく必要があります。
右に高良大菩薩
中に老松大明神
左に阿蘇大明神←住吉大神=高良大神=老松神
※若宮は本来、天照女神です、若宮八幡ではありません。
若宮八幡は天照女神と大幡主を祀ります。
整理すれば次のようになります。
左殿(右) 老松大明神(大幡主)
中央殿. 高良玉垂命(大幡主)
右殿(左) 住吉大神(大幡主)=阿蘇大明神
若宮 . 天照女神
上岩田の老松神社の配神がすっきりします。
老松神社は住吉神社または高良玉垂神社そのものでした。










