使命を生きるということは | 松田佳子のblog

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こころに着込んだいろいろなもの
脱いで
手放して
魂の願いを生きよう

春になると

あちこちで花が咲き

寒く彩りの少なかった風景が息づくから


なんだがもうそれだけで

満たされるような気持ちで



桜は早くに咲いて

あっけなく散ってしまったけど


咲き誇る時よりも散る時の儚さが

わたしは好き



潔く

散り際まで美しくて

地に落ちた花びらは

踏まれて茶色くなっても

そこに桜が咲いていたのだと

最後まで華があるのが気高いなぁと

桜吹雪の中で思っていた







花は色々あるけれど




高いところに咲こうが


低く密集して咲こうが


あーもっと高く咲き誇りたい!とか

きっと思っていないでしょうし


ただ明るい陽の方を向いて

花を咲かせて

命を繋ぐ




拗ねもないし

こうなりたい!あーなりたい!もない

何かを伝えてやりたい!もない

その姿に

わたしもこうでありたい、とおもう


これがわたしなの!なんて
こんなわたしが最高!なんて
誰がいちばん?!だなんて
主張しなくたって
美しさは変わらない









自然界というか
大自然の中だけじゃなく
こんな街の一隅の花壇でも

自然というものに触れると

そういうニュートラルに軸が戻って

なんでもないわたし
なにかになろうとしないわたし

でいい、ということが

心地よい



陽の光だって
大輪の花だって
絢爛に咲き誇る桜だって
これ以上になろうと虚勢は張らないし
これ以下でいいのにと卑下もしない



そうだから、そう

なだけ


ただの自分であることが
わかっているということが
使命を生きる姿なんだとおもうんです








自然の摂理って偉大すぎて
当たり前すぎて
すごいねー!ってついつい
人ごとみたいに思っちゃうけど

人間も同じ生命の営み



ゾウがアリを踏んだとしても
アリはゾウを恨まないし
ゾウはアリに罪悪感もない


恨み、憧れ、不平不満、罪悪感、義務
自己否定、批判、優劣、嫉妬、裁き、、、


なんてものは
不要なものなんだぜ
人間よ


とでも言われているかのような

ある、ってことに気づかないと
不要である、と気づけないので
ある、をそのまま受け入れることは
とても大切なことですよ
嫉妬してる!とかそういうの



自然界にないものは
要らないんだと
言い切っていいんじゃないかと

ふたりの息子を見ていても
つくづくおもう



…✳︎…

春休みが終わり新学期
それぞれの春を迎えた息子たちと
母であるわたし


季節が変わり
環境が変わる
春は美しいけどわたしには
ほんとうは苦手な季節
学校に行くのはわたしじゃないのに
やっぱりわたしも少し過敏に緊張し
いつもより繊細で気性が安定しない

わたしが、そういう子だったし
そういう息子たちに
翻弄されもするんだけど




結局わたしにできることなんて


大丈夫よ
何も心配していないよ
どんなあなたでも
大丈夫なのよと


わたしがそう言われたかったはずの
言葉しか思い浮かばなくて




いま
わたしの息子に
わたしの母がそう言うのを聞いて

昔傷んだはずの胸の奥の痛みが
癒やされるのを感じている



どうであっても
大丈夫



そう

そういうこと
なんだ






ラジオも時々喋ってます
めちゃくちゃ眠くなる寝落ちトーク
ご活用ください笑