長崎から帰るバスの中です。
いかりんの初級セミナーを受講してきました。
さっぱりした雰囲気の中にもずっと変わらない温かみがあって
初級セミナーは3回目なんだけど
3回目にして初めて、捨ててきた「素晴らしい自分」を戻すワークで泣けました。
捨ててきた「ダメな自分」は抵抗はあるけどまぁ戻せて
「素晴らしい自分」のほうが、「おかえり」を言うのも泣けました。
ダメな自分を受け入れて認めるのに、逆に素晴らしい自分を今度は捨ててしまっていたのかな。
反対に振り切れてたのかも。
一度反対に振り切れたらもうあとは惰性で心地よい位置を見つけるだけです。
ダメな自分も素晴らしい自分も両方私。
両方あるから人間の幅が広がるんだよね(上級でちえさんも言ってた^ ^)。
本音を言っていいんだよ
本音を言うほうがいいんだよ
の話のときに
ジェニマス揉めたんでしょー?
ジェニーとやり合った子いるんでしょー?
といかりんに言われて
あれ?私のことかな?
いや?ジェニーさんにこっぴどく叱られた〇〇ちゃんのこと?
と思いながら
「あ、私、当事者かも」って言ったんだけど。
その話を少し。
私は当時、ジェニーさんの振る舞いがひいきに見えたし、ジェニーさんが自分に都合のいいように解釈を変えてるように見えたし、ジェニーさんのやってることが首尾一貫してないように見えていた。
それがイライライライラして。
悔しくて悔しくて悔しくて。
長文でメーリスに文句を送りつけた。
それは理路整然とした文章で
それは首尾一貫してて
それは反論の余地もないような論理的な理由を並べ立てて
もうこれで破門にされてもいいや、と思って送信した。
ジェニーさんからの返事は
「ひろの その 煮えたぎる正義感は なんの 罪悪感から来てるーーーーーー?」
そして
「私は ただ 私のやりたいように やってるだけよーーー」
「大丈夫やからねー。なにがあっても大丈夫やからねー。それを信じてるだけよー。」
だった。
ああそうか。
やりたいようにやる。
なにがあっても大丈夫。
それを見せてくれていたのか。
それが、理論ではなく、体感として腑に落ちた瞬間だった。
本音を言う前は絵空事に聞こえていた「なにがあっても大丈夫」が
本当に「なにがあっても大丈夫」になった瞬間だった。
それは「やり合った」というより
私の投げつけたうんこをそのまま受け止めてくれて
それでOKよーーと言ってくれた感じ(^-^;
投げ返されてないから
「やり合った」はちょっと語弊があるな。
いかりんに
「そのあともっと関係深まったでしょー?」と言われて、私
「言う前より大好きになったし、ジェニーさんも(私のこと)大好きと思う!」と言ってた(^^)←変な自信!
だからね
本音は言っていいんだよ。
本音は言うほうがいいんだよ。
とても怖いけどね。
ちょっと覚悟もいるけどね(^^)
いかりんの初級に行ったらジェニーさんに会いたくなったぞ!
なんだこれ!
ジェニーさーん!
ジェニーさーん!
お母さーーーーん♡



