「鬼は内」と言う地域もあるらしいのだが | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

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トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。

福知山鬼の交流博物館.jpg
(京都・福知山 鬼の交流博物館前の鬼瓦)

 


節分の豆まきの時に、「鬼は外」と一般的には言いますが、
地域によっては「鬼は内」と言う地域もあります。

私が関わっている京都・福知山の中でも、一部地域では「鬼は内」と言うそうです。

「鬼は内」と言う光景を目の前にした時に、多くの人は首をかしげることでしょう。

多くの人は、「鬼=悪さをするもの」と思っていますから。

でも、「鬼」に関する伝承を追いかけていて思うのは、
「鬼=悪さをするもの」という見方が一般的にはありますが、
それはちょっと違うんじゃないのかと思うのです。

魔除けのために、「鬼瓦」がありますし、
比叡山に行くと、疫病を払うために鬼の形となった坊さんの話もあります。

「鬼」が悪さを払うという現象を考えると、
「鬼=悪さをするもの」と決めつけるのも何か違うのです。


少なくとも感じるのは、通常の人間の理解を超えた「鬼」の力の物凄さ。
人間の知恵では到底想像のつかない力を持った、「鬼」の姿が見えてきす。

自分の想像のつかないことに「恐れ」を感じるのは、人間のサガなのはわかります。
だから、「悪」と名札付けして、恐怖の対象として、払いのけたい気持ちもわかるのです。

日本語では同じ「おそれ」という音で、
「畏れ」=凄味を感じてうやうやしくするという意味も出てくるのです。

「鬼は内」とやってる地域は、
「鬼」が自分たちを守ってくれる存在だと意識していたのでしょう。
それは、超越的な力を持つ存在を、神社に祭るのと同じ発想なんだと思います。

何せ「祟り神」と言われるような存在を神社に祭って鎮めようとした例なんて、
全国でいくらでもありますから。

だから、最近は特に、
「理解できない/わからない」⇒「恐れ(何かこわい)」
という図式よりは、
「理解できない/わからない」⇒「畏れ(何かすごい)」
という方が私は好きです。

「わからないもの」に対して「こわい」という自動的に感じるのは、
何かもったいないなと思ってしまうのです。

畏れ多いけれども「凄味」を感じて、
それをきっちり観察していった方が、面白いことが色々見えてくるのです。


これは、人間相手の時にも感じます。
凄味を感じる相手は、どこかしら身体に緊張が走る感じがします。

でも、その瞬間に、何か怖いと思って敬遠してしまう人もいれば、
その凄味の中身を知ろうと思って、観察して真似までしてしまおうと思う人だっています。

でも、後者の感覚、凄いと思うものを受け入れていった方が面白いんじゃないのかな…
と思います。

そう考えたら、「鬼は内」って考えたら面白いのかなと感じたのです。
(おわり)


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