45歳になった頃から
自分の人生の残り時間を意識するようになった。

40代までは、今まで生きてきた年数を思う。
それ以降は、これから生きる年数を思う。

それが一般的なことらしい、と
昔、だれかに聞いた。
人は、自分の寿命が
折り返し地点を越えたと思うと
意識の方向が反転するそうだ。



仮に80歳まで生きるとしたら
私の残りの人生は、33年だ。

子どもといっしょに暮らす時間は、
10年もないだろうか。
子どもが早く独り立ちしたら、
もっと短くなるだろう。

どれくらいの間、
元気に動いて暮らせるかもわからない。

今は、自力で生活できなくなったら
静かに枯れていきたいと思っているけれど
そのときになったら
気持ちは変わっているかもしれない。

どこでどんな風に人生を終えるのかも
わからない。

終の棲家くらいは決められるかもしれないけれど
最後の瞬間は誰にもわからない。
家なのか外なのか病院なのか、
どんな医師が自分の診断書を書くのか。

なんでも自由な人生の中で、
唯一自由になりそうにないのが
終わりの瞬間だ。

意志の力でなんとかできるものだろうか。
すべてははじめから
決まっていることなのだろうか。



なぜこんなことを考えているかというと
自分の誕生日が視界にちらついてきたからだ。
まだ1カ月先だけど、そう遠い話でもない。

残りの人生は33年(仮)だけど、
誕生日が来たら、あと32年になる。
歳を取るとはそういうことだ。
まさに1つずつ
自分の持っている歳を取っていく。

33個もっていたそれを、1個、手放す。

それはどこかに
私の歴史として積み重ねられるのかもしれない。
博物館のようなところに
「私の47歳」と銘して
うやうやしく飾られるのかもしれない。

ショーケースにずらっと並んだ
47個の自分の歴史。
それを興味深く眺める人たち。

ヨシタケシンスケさんの絵本の世界みたいだ。

それとも、生き終わった歴史たちは
この世界を離れて
遠いところへ行ってしまうのだろうか。
大元へと戻っていくのだろうか。



夏と秋の間の季節、
いつもこうして思考がふらふらする。
感情的になり、情緒が乱れる。

終わりと始まりの季節。

だから9月が苦手で、だから9月が好きだ。
 



 
 

 

    

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