我が家は会話の少ない家庭だと思う。

そもそも夫がほとんどしゃべらないし
おはよう、いってきます、ただいま、いただきます、ごちそうさま、おやすみなさい、以上・・・
話しかければもちろん答えてくれるけれど、
大体が一言で終わる上に
文章じゃなくて単語なことも多い。

子と私はまぁしゃべるけれど、
子が帰ってきてからの1時間くらいで
その日のいろんなことを
一通り話し終えているので、
夫が帰ってきてみんなで夕食をとる頃には
もう満足してしまっている。

よって、三人で黙々と食べている。
さながら修行僧のように。

それがとてもとても陰鬱な感じがして
嫌で、悲しくて、
いつも割と必死で会話を探していた。

子が乗ってきてくれることもあるけれど
私が一人でどうでもいいことをしゃべり続ける
みたいな展開も多く、
なにやってんだ私・・・と思うことが多かった。







笑いの絶えない家庭にするべきだと思っていた。
せめて会話のある家庭であるべきだと。
毎日お互いに話をして
しっかりコミュニケーションの取れる
家庭にすべきだと。

それは、幼少期の自分の体験に起因している。

夕食時はいつもしんと静まり返って
お通夜のような空気。
かといって、下手に両親が話をし始めて
何かが父親の気に障れば
父は即、ブチ切れて怒鳴り出し、
最悪の場合、夫婦ゲンカに発展し、母が泣く。

家族が全員そろって食事をしていて
楽しい空気になったことなどなかった。

私は沈黙が怖かった。
さりとて会話することも怖かった。
どこで父親の地雷を踏むかわからないから。


私は、テレビドラマに出てくるような
明るく楽しい食卓に憧れていた。

何の心配もなく思ったことを言い、
冗談を言い合い、
皆が穏やかにコミュニケーションを取っている
空間を。

我が子にはそれを体験させてあげたいと思った。
あのドラマのシーンを再現したかった。
私と同じ思いをしてほしくない。

だけど、どうしたってそれを実現できなかった。



その理由が、先日、わかった。





私は今の家族から愛をもらおうとしていた。
自分が親からもらえなかった
あたたかな愛情を、
今になって、必死に求めていた。
夫と子に対して。

子どものためなんかじゃなかった。

あたたかい食卓がほしかったのは、私。

子は別にそんなこと思ってない。
なんならごはんをもぐもぐしながら
自分の空想の世界に入り浸っていて、
ママちょっとうざいなぁくらいに
思っているかもしれない。

夫だって
この状態を問題だと思っていないから
黙って食事をしているのだろう。
仕事で疲れて帰ってきて、
無に帰しているのかもしれない。

二人とも、何の不足も感じていなかった。

私だけが、
この家庭には愛が足りないと叫んでいた。
このままではいけないと、一人で騒いでいた。

自分の渇望を埋めるためだけに。
愛を奪うために。

理想の食卓が叶わなかったのは、
私がそれを
二人から与えてもらおうとしていたからだった。
両親からもらえなかった愛情を
二人から無理やりもらおうとしていたからだった。




愛がほしいなら、与えなければならない。

求めよ、さらば与えられん、だ。

愛がほしいなら、
それに見合った努力、行動をせよ。
それが「求める」ということ。

私は何もせずに、
ただ相手から「奪おう」としていた。

愛がほしいなら、
まず私が愛を与えなければいけなかった。



もう無理に話はしないことにした。
ただ、機嫌よく食事をする。

二人のことを気にかけつつ、
ささやかなお世話をしつつ、
気が向いたら話をして、
反応がなければ
今は話したくないんだなとほうっておく。

そうすると、食事が終わった頃になって
急に話が盛り上がり始めた。
いつもなら食べ終わったらすぐに
食器を洗うけれど、
その日は後回しにして
少しの間、三人であれこれ話をした。

二人は楽しそうな顔をしていた。

それでいいんだな、と私は思った。

 
 
 
 
 

 

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