私はいつも適当に生きてきた。
自分の人生と真剣に向き合ってこなかった。
まあなんとかなるだろう
適当にしとけばそれなりになるだろう
深く考えずノリで決めて
向き合うことを避けてきた。
二十代の頃、高千穂に一人旅したとき、
宿で知り合った年配の御婦人と
なぜか結婚についての話になった。
彼女は私の目をじっと見て力強く言った。
「焦ってはいけません
焦ると『カス』を掴みます」
当時の私は
恋人もおらず気ままにフラフラしていた。
まだ結婚を焦る年でもないし、
大丈夫大丈夫、
私はちゃんと決めるからって思っていた。
でも、結婚を決めたとき、
私は明らかに焦っていた。
そして、それに気づかないふりをした。
ちょうど今付き合ってる人もいるし、
年齢的にもそろそろだし、
うん、じゃあ結婚が自然な流れだよね、って。
そういう体でいた。
本当は何も自然じゃなかった。
ちょうど付き合ってる人がいたのは
焦って妥協していたからだし、
そろそろかなというのも
人に言われて急に心配になったから。
そういうもの全部にフタをして、
人生でとてもとても大切なことを
私は脳内も体感もフリーズさせた状態で
決めてしまった。
※これは夫がカスだったという話ではなく、
私の自分の人生に対する態度がカスだったという話です。
いつもそうだった。
学生時代に進路を決めたのも、
上京を決めたのも、就職先を決めたのも、
なんとなく。
なんとなく、ふつーはこの流れだよね。
でも私はしっかり自分で考えてるから大丈夫。
本当は違うのに。
本当はやりたいことがあったのに。
まぁまぁそれはそれとして。
こっちの道に進んだ方がカッコいいじゃん?
できる人っぽいじゃん?
破天荒に見えるじゃん?
先のことなんて何も考えてないけど、
私は優秀だから大丈夫。どうにでもなる。
私はずっと親の望むルートを進み続けていた。
無意識下で
どの道を選べば親が喜ぶか知っていた。
そしてそれこそが
私自身の本当に進みたい道であると
自分に思い込ませた。
人生に向き合わなかったのは
向き合えば
親の意向と違う道に進むしかないと
わかっていたから。
それは親への裏切りであり
先祖代々からの一切の庇護をなくすことであり、
とても恐ろしいことだったから。
なぜ今こんなことを書いているのかと言うと、
今、私は人生ではじめて
自分の道を本気で決めて
踏み出そうとしているから。
それはとてもめんどくさくて、
うんざりするほど大変で、
助けてくれる人もいなくて、
全部自分で考えなきゃいけなくて、
正解もわからなくて、
責任を取ってくれる人もいない、
最悪の状態だ。
失敗したら立ち直れないこともわかっているから
絶対に立ち止まったり諦めたりできない。
そんな道。
怖くて怖くて、
でも少しでも手を抜けば
たちまち転げ落ちてしまうから
泣き言を言う余裕すらない。
前しか見てはいけない。
自分しか見てはいけない。
やることがものすごくシンプルなのが救い。
これだけをやればいい。
他のことはしてはいけない。
簡単だけど、逃げ場はない。
カスを掴み続ける人生は、ここで終わりにする。
どんなにつまらないものでも
どんなに小さなものでも
なんの足しにもならないとしても
本物だけをこの手に拾い集めていく。
この人生が終わるとき
手のひらを見てみたら
ほんのひと欠片しかなかったとしても
山程のカスにしがみついているより
ずっとずっと
私は私を誇れると思うから。


