あらためて世界観。
すこし前、何気なくりょうが話しかけてきて、互いにたわいもない話をしていた時。
ふと、一生懸命話しているりょうの姿をみて「この地球で、たったこれだけしかないのに、一所懸命生きてて偉いなぁ。」とつぶやいた。
りょうは身長も小さい女性。
この大きな地球全体で今、一生懸命たったこれだけのサイズで小さくも存在し生きていることに、ふと大きな目線で偉いと思ったのだ。
(もちろん本人は一生懸命話しているつもりはない。)
りょうは一瞬キョトンとして、僕がそれを説明すると笑っていたが、あらためて自分の世界観を感じた。
どんな人間も、人は深い所で「この世界はこうできている。」という世界の見方を持っていて、ほとんど普段は自覚なく もしくは皆んなもそうだ それが当たり前だ などの世界観が生む前提を持って暮らしている。
簡単なところだと、この世界を良い世界や悪い世界,面白い世界やつまらない世界など、無数感じている自分がいて、その中で世界観をそれぞれ作っている。
なので、良い感じに世界を感じて生きているなら、その人の毎日には面白味もあり、良い感じをに世界を感じとれないなら、毎日、もしくは更に繋がる長い人生はつまらないものとなってしまうだろう。
もしそんな風に何処か少しでも生きている自分に気づいた時、実は、そのつまらないという視点は、ちょっとした日々の出来事に対する見方と考え方の繰り返しの自分が生んだ、いつの間にか自己の世界を見る目を強くひとつ持ってしまったことで起きているだけでしかない。
それぞれの個人の周りにも、同じ時間,同じ環境を生きながらも、世界は世知辛いと思って生きている人も普通にいて、毎日家を出る時に世知辛い街(世界)へ扉を開けて出て行っている。
でもそれは、何処かでこの世界を誤っで認識してしまっただけであって、世界は絶対的に確定された"世知辛い世界"としてだけ存在してはいない。そんなことは決してないのだ。
まずは、"本当に自分の世界はそうなのだろうか?"と自分の常識を疑ってみて、昨日を含む過去の小さな事実や真実もよくよく振り返って考えてみると、実はそうとしか思えなかった自分が居ただけだとに気づくと思います。
個人の世界観は、自分の仕事や生活に影響を与え人生を作っていく。
なので、自分の誤認した世界に気がつけば、確実に昨日よりも自己の仕事や生活という世界へ向かう動きは自然と広くなり、毎日も変わるという訳です。
人の数だけある世界を自己のクリアな視点で感じて生きていけると良いと思う。
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