個人 役目を持つリーダー 代表など 人全般の
人材育成 人生成長 事業を行う僕の会社
unearth coreの弟子と事務局一同と共に
山口県萩市にある松陰神社に参拝に行きました。
今回は ふと 松陰神社で正式参拝 を行いたい と思い
皆んなにグループメッセージして実現に至る。
数日後 マイクロバスをレンタルし
皆んなで松陰神社へ向う。
正式参拝は
拝殿に靴を脱いで上がらせて頂き
祝詞(のりと)を奏上してお神酒を頂きます。
これまでの道のりと
今ここに こうしてあること
そして未来へ繋げていけること
の感謝とお礼を神様へ挨拶させて頂きました。
この時 弟子の
岡部有希さんはオーストリアに1ヶ月滞在中で
島崎里保さんは のちに弟子になった為
今回は2人はいない。
次回は 必ず全員揃って伺いたいと思う。
代表katsu 中井なな 田中まさる 坂内秀洋 祐佳 松尾憲子
益山真衣小野将廉 岩村優子 岡部有希 島崎里保
松本りょうこ 倉富康恵 長井瑠唯
拝殿の中へ通される。
拝殿の中は とても清々しく心が更に静かになる。
神聖で神がいる場所は 本当 空気が違うのが分かるよな。
有難い限りだ。
皆んな手を合わせ
それぞれの想いを胸に参拝していた。
それぞれが選び伝えた言葉は それぞれに違うだろうが
向かう大きな目的は ひとつ。
その本質は
更に良い 自分 人 人生 社会 世界 の為
人生の瞬間瞬間に 感謝の湧き出る心と共にある
ことだ。
今 ここにいる弟子や事務局は
本当に個性豊かな人間達だ。
そして 僕がずっと伝える個性の学びを
活かし生きている。
大いなる時間の流れの中で今の時代にいる僕等に
吉田松陰も なかなか面白い奴らが来た と
さぞかし喜んだだろう。
この神社では 皆んな おみくじ を引く。
毎回 おみくじ を引くと
くじを皆んな僕に見せてくれて
おみくじに書いてある言葉を僕が説く。
毎回 おみくじには
個人個人に必要な言葉が必ず書いてある。
納得しながらも 心に置き
皆んな おみくじを結んでいただろうと思う。
人は 頂いた大切な言葉すら 時間が経つと
いや 数分で忘れてしまうことも多くある。
一瞬で自分の意識の根元から
自分に必要で大切な言葉の部分には
なかなか気づけないものだ。
頂いた言葉も自分ごとにして
意識し胸に刻み日々精進してほしい。
僕も ここではくじを引く。
今回は
人を相手にせず 神を相手にすること
との言葉が書いてあった。
有難く頂戴し 日々精進致します。
世界的に人間の歴史は
自己を知る歴史でもあるだろうと思う。
その中で人が紡ぎ美学化した学びの核とは
人に学び 人生に学ぶことを学びとよんでいた。
人を評価点で評価判断するようになり
点数評価を学び勉強していると錯覚しだしたのは
たった約100年程の人類の歴史のことでしかない。
ある意味 人類が人を捨て人の在り方を変えだした影響の元にできた現代ともいえる。
人の歴史にとっては まだ正しさも知らぬ たった100年程でしかない幼い考えの思考達が 現代を作っているといっても過言ではない気がする。
人の歴史が始まって流れる 今の時代の途中で生まれた多くの人々が 幼い常識 を 常識と錯覚し 多くの人々が自ら幸せとは遠い生き方に はまってしまっている。
錯覚した幼い常識が自分自身の見えない鎖となり 本当の自分の生き方を変えるつもりなく変え生きてることすら気づいていない。
だから どの人間にも自己の常識を疑った方が良いと
僕は言い続けてきた。
人生を上手く運びたい多くの人が
自分じゃない他者が生み出した成果や結果を見る。
それはその者の成果や結果であり自分とは違い
真似ても同じ事はまず起きない。
全ては人の行った成果や結果を観るのではなく
何故その人物が その成果や結果を生むに至ったのか。
身にするとは 人物と人生 の背景を知り学ばねば
より良い人生を送りたいと思う者の生き方に
答えは出ず人生にも真意は生まれない。
どんな人物でどんな人生を歩んだか。
何故 そこを目指し何を考え何を思い
その何かを生んだのか。
向けるべき眼は成果や結果でなく
その動きを作り出した中心核という
人物の中身である。
ここが解ってくると
更に人生は愉しくなってくる。
出た成果と結果だけが答えだと思い 追っていても ノウハウや知識というものに留まってしまい 自己にとって不便な道具としてしまうことが多い現代人だ。
ただ知っただけでは 自らが生み出す成果や結果の
本質は絶対に見えず 同時に先も見えなくなる。
今を生きているのに
生き甲斐や やり甲斐 のカケラも生まれない
そんな不可思議な人生を歩む。
学びは自己が身にし成長して
実行し生み出した実と共に
他人の幸福が瞬間瞬間に重なってあることなのだ。
僕が人と違うところは
何かを特に学んだ訳でも歴史が詳しい訳でもない。
それに伴う師もないし
学んだゆえのバックボーンも特にない。
本は ほとんど読まないし
持ってる本の数も少ない。
ひたすら
身をもって答えをみつけ 考え実行してきた
人体実験のような人生の賜物だと思う。
人々とも多く会い続けた分 恩も多く感じ胸にある。
だからこそ 毎日毎日 今までもこれからも変わらず
自分に必要な沢山のことは
常に取り入れ身にし実を生み
自分の可能性の先を知る為 人生を使うと決めている。
多くの人は
本を読んだり 師がいたり
テレビや情報を仕入れたり
歴史や歴史の人物に触れたり
何かを自己に吸収して
自分の人生の糧や力を養って生きる。
僕は そんな風に
取り入れた 何かは ほとんど無い。
単純に語れば 経験値のみの知恵だけだろう。
人よりも励んでないのに
今の考えや学びを何処から生み出しているのか。
確実に言えるのは
自分の中心 内側から生まれた のだ。
数年前 日本を縦断し 数多くの人々にあったが
本当に深い意味として
同じ意識と精神の位置で会話できる人物が
数えるほどもいなかった。
福岡に戻り この国の多くの人々は
何故 諦めや正当化ばかりで本気で生きてない。
魂が震える程の会話ができないのだろう
と少し淋しさすら浮かんだのを覚えている。
歴史に関しても 最近まで気にもしてなかった。
正直 それなりに知り出したのは
塾を始める少し前くらいからだと思う。
これも 覚悟の磨き方 という本が僕の人生に入ってきて
なな助に「これ いいぞ」と渡した所からが始まりである。
だから 僕の少ない歴史の知識はなな助のお陰でもある。
ほとんど本を読まない中で 日本や世界的歴史人の
語った言葉などが残された古書や本などに
同じ言葉が書いてあって
たまたま手にとってちらっと読んだ時
「同じことを言ってる。」 となる。
僕にとっては普通のことだから
本から糧と力を得る などは 僕にはほとんどない。
ただ 普段 読まないだけに たまに目を通すと
同じ言葉や考えや捉え方が故に面白くある。
先に生きた先輩達の言葉だし
そして現代人もその言葉達を参考に大切にしている。
だから確信を自分に置いているところも
あるのかもしれない。
世界の何処かで歴史を動かした人物達が
残した言葉と同じことを思えてると思うと
自分の可能性はまだまだ広げたいと思う。
多分 まだ見ぬ世界の何処かにも
同じを思うその本が存在してあり
出会った時 また自分が面白くなるのだと思うと
愉しくて仕方がない。
皆んなに伝え話す
吉田松陰という人物も 正直 知らなかった。
5〜6年前 松陰神社の資料館の資料を見た時
「やっと 話し相手が見つかったっ!」
と本気で嬉しくなったのを覚えている。
日頃 僕が発した言葉を
弟子や生徒達が書き留めてくれている。
その書き留めた言葉を 時間が経って
古い本に書いてあったや過去の偉人が言ってた
などと聞く。
当たり前のことでしかないから へー と思う。
いろんな言葉達が歴史の上にあって
僕の人生では僕は皆んなの少し先を行っていて
後から全ての辻褄があうように事がはまる。
吉田松陰という人物と人生の言葉を知り
それが自己の人生の糧や力となり
人生で魂が燃える生き方に変わる のではなく
僕が人生で実行し生んだ意識と精神 そしてエネルギーが吉田松陰や世界の歴史人 時代の実業家などと
一緒だったというところのようだ。
人間学を伝えてある伊與田覺 さんの本の中に
伊與田さんが 松下幸之助にお会いした時に
なにで学んであるかを聞いたらしい。
すると松下幸之助は丁稚奉公をしてた為に
「学校には行ってないから学んでないですよ。」
と言ったのを聞いて
松下幸之助という人物は
天から学んでるのだな と思ったらしい。
論語や儒学が好きな 事務局の倉富康恵は
katsuさんは天から吸収してる と言う。
松下政経塾とも関わりがあり
大企業の名のある経営者の方とも関わりある
人間学者で実業家である社長にも
katsuさんは天からのエネルギーを取り入れてる
と言って頂いたことを思い出した。
日常で 人と人生のことを長く考えてきたから
僕には当たり前のことで凄いことでも何でもない。
今が おかしな仕事の在り方や人生の在り方が多いから特別に見えるのかもしれない。
長く考えてきたことですら
自分からそうしようとした訳でなく
自然としたいからそうして
長くひたすら向き合っただけのことだ。
そんな人間の学びだから
自分で経験し悟った自分ごとの人生ようになり
身近な人達の中でも 立派に成り下がる者もいる。
勿論 気づいて正せばいい。
何も無いところから
ひとつを生み出す事は困難で知恵もいる。
遠い昔の人間達は 教科書も本もない所から
自分で何かを生み出し自分の知恵としていた。
人間は考え生み出す驚異的な力を持っていたのだ。
現代人の多くが 過剰に人頼り過ぎで物頼り過ぎで
人のせいで 物のせいで 弱っているだけなのだろう。
弟子や塾生は 既にある所から考えれば良いから
簡単だろうにな とも思ったりする。
その僕の普通が 周りが言ってくれる
格段と人格の 格が違う域 に変えたのだろう。
僕には過去にいくつも
今の自分を越え 知らない自分を知るきっかけを
自分の人生にもらった。
その中の少しを簡単に書くが
・誤診を受け一度心臓が止まり死んだこと
・夢を現実に切り替えた日のこと
・店舗経営で6年間地域一番の販売実績と
一人で1億以上の売上を出してたこと
・眼を怪我し約1年間 両目が見えない光の無い世界を味わったこと
・パニック障害になり過ごし言葉ひとつで治ったこと
・亡くなった母の最後の言葉と最後の力のこと
・ばぁちゃんが死んだじーちゃんへした最後のキスのこと
・最愛の妻を失ったこと
・覚悟を持って決断し故郷を捨てたこと
少しだが本当に僕の過去には色々とあったと思う。
自分ごとだから大して大変だという実感も今はない。
そして 色々あった核を知る為 約2年間 籠り
ひたすら ずっと ずっと 人と人生のことを
自分と 向き合って 向き合って
考えて 考えて 考えて 考えて 考えて
自分の中の概念を空っぽにした。
この 頭が破裂するほど考えた2年間があるから
今 僕はあるのだろうとも思う。
考え実行し また 考え実行し
自分の枠組みを越えて
人とは 人生とは を知ってきた。
あるお寺の住職に この話をしたら
上の階級の僧侶が修行でやることを
僕は知らず知らずに行ってたらしい。
僕を例えて言うなら 悟りを開いた仕事人
いや 本質を身を伴って実行した実業家 かな(笑)
ご苦労をされたのね。 という人もいるが
僕の人生で起きたことだから普通のことでしかない。
誰だって自分の人生で起きたことは
自分にとって時間と共に普通のこととなる。
色々 あったが
僕は 今 生きている。
だから 皆んなにも 大丈夫と身を持って言える。
それなりに この仕事を長くやってきて
私情と過去を わざわざ自ら話すこともなかったが
そろそろ このブログでも話すべき時期なのだろうと思った。
ブログの始まりから いや昔からだな
いつも変わらず僕は 自分の何か一つでも
誰かの為 誰かの力 になれば幸いだと思ってる。
弟子や塾生の皆んなには
「あえて 苦労を選ばない」
「あえて 茨の道を進まない」と言う。
知って活かして上手くいく人生なら
壁を越えた知恵を持つ人物がいるなら
自分の今変えるべく僕から吸収すればいいという。
まぁ 多分
深すぎて同じ人生を歩まねば
完全吸収は無理かとは思うがね( ̄∀ ̄)
確実に言えることは
人は良い人生をおくれる。
僕は僕の 永遠に高く高い普通を標準値に
高い普通の視点で何も動じず
生きていこうと思ってる。
ただただ
本質よりも更に深い位置を自分と一体化させ進む。
理想の自分と暮らし 豊かで幸せで美しい人生
少しでも自分の人生の間にありながら生きて欲しい。
振り返った時 愉快な日々が
あなたの人生に沢山あるように願う。
katsu
人生を輝かせる学び場
男塾5期・katsu塾7期 募集















