シュンタです。

 

昨日、親父の遺産相続の最終打合せで、

3兄弟(兄・シュンタ・妹)が集合した。

久しぶりに色んなことを話し、思い出した。

 

今日は俺の親父のことを残したい。

 

クローバー

 

一昨年11月、父が亡くなった。

77歳。

 

 

正直に言う。
尊敬していたかと言われたら、違う。

いわゆる「昭和の親父」だった。

厳しい父で、叱られた思い出しかない。

(特に真ん中の私には厳しかった)

 

妻には「よくグレなかったね」と言われる。

母がいつも私をかばい、2倍の愛情を注いでくれた。

 

 

父が帰ってくると、
子どもたちは無言で2階へ上がる。

会話なんて、ほとんどない。

 

中学生以降は、
帰宅は23時過ぎ、朝も早いため、

顔を合わせない。

風呂、飯、寝る。

 

母はよく言っていた。
「私は下女以下だわ」と。

 

●家の建て替えは勝手に決めてくる。
●山をこっそり買う。

  ➡1文にもならない。

●1Rマンションも勝手に購入する。

  ➡負債のみ溜まる。☎を受けるのは高校生の私たち。

 

 

正直、近寄りたくない存在だった。

 

結局、

親父とお酒を飲む機会もなかった。

 

 

でも――

葬儀の日、少しだけ違和感があった。

 

家族葬のはずなのに、
想像以上に人が来た。

元同僚、友人。

 

その後も、
実家には全国から電話や手紙、訪問が続いた。

…こんなに人が来る人だったのか。

外面がいいことは知っていたが…

ここまでとは知らなかった。

その対応をすべてやっていたのが妹だった。

 

クローバー

 

 

そして昨日。

 

兄と妹と3人で、
とあるレストランに集まった。

遺産相続の最終手続きのためだ。

 

こんな形で、
兄弟3人で同じテーブルに座るのは
いつぶりだろう。

 

父がいた頃は、こんな時間はなかった。

会話の中心は、自然と父の話になる。

「こんな株持ってたんだな」
「銀行株が多いな」
「妹、よく把握してたな…」

 

笑いながら話しているけど、
どこか不思議な感覚だった。

父のいない場所で、
父の残したものを分けている。

 

 

父は、退職後に株をやっていた。

 

 

正直、大して儲かっていないと思っていた。

でも――

 

亡くなった時点で約●000万。
1年後に+2000万。
そして4月時点で、さらに+1000万。

 

かなり増えていた。

死んでも稼ぎ続けている。

中心は銀行株、○○重工業など。

(日産自動車は大きく負けていたが)

 

 

正直、驚いた。

妹にだけ、株のことを話していたらしい。
パスワードも、すべて口頭。

終活ノートなんて一切なし。

最後まで、不器用な人だった。

 

 
親父への信頼が一切なくなったのは、
親父が単身赴任先で不倫をしたことだ。
しかも2回。
 
俺が高校生のときだった。
 
それでも母は離婚をしなかった。
きっと子供たちのことを思っての決断だろう。
 
クローバー

 

思い出すことがある。

 

うちは来客の多い家だった。

「今から30分以内に5人行く」

 

そんな電話が来ると、
兄弟で慌てて家を片づけた。

 

ある日、外国人の家族3人が来た。

若い夫婦と4歳くらいの娘さん。

 

帰り際、父はその家族の小さな女の子に人形をプレゼントした。

たぶん、事前に用意していたのだと思う。

その瞬間だった。

 

普段は温厚な母が、突然怒鳴った。

「なんで人の子ばかりなの!
 うちの娘には買ってあげないの!?」

 

 

来客の前でだ。

 

場が凍った。

僕は恥ずかしくて、何も言えなかった。

当時は、母の怒りの意味が分からなかった。

 

でも今なら分かる。

妹の気持ちを、代わりにぶつけていたんだと思う。

「自分の子をちゃんと見てあげて」

そういうことだったのだと思う。

 

クローバー

 

そんな妹が――

最後まで父を支えた。

 

看護師として働きながら、
1年間、病院に通い続けた。

 

そして亡くなったあとも、
この複雑な遺産手続きを、ほぼ一人でやりきった。

 

税理士に頼めば簡単だったはずだ。

でも「もったいないから」と。

全部、自分でやった。

 

妹に言った。

「100万くらい手数料として取ってくれよ(笑)」

それくらい、本当に大変だったと思う。

 

 

俺は結局、
父に「ありがとう」を言えなかった。

手も握れなかった。

今でも少し、引っかかっている。

 

 

それでも――

こうして残してくれたものには、
素直に感謝している。

 

 

このお金、どうするか。

たぶんほとんどは、
子どもたちの教育に使うことになると思う(笑)とりあえずNISAへ。


 

子どもたちを私立に通わせる可能性が

出てきたのも親父のおかげだ。

 

クローバー

 

 

父は、

最期までよく分からない人だった。

 

 

でも、

 

自分のやり方で、
何かを残そうとしていたのかもしれない。

一言も言わず。

 

 

亡くなる2日前に母に伝えた言葉は

「お前、、お金、、あるか?」だった。

 

「お金、あるからな!」じゃねーのかよ💦

 

本当に意味が分からない(笑)

 

 

 

昨日のあの席で、もし父がいたら、
なんて言っただろう。

 

きっと何も言わずに、

いつも通り黙っていただけかもしれない。

 

 

クローバークローバー

 

俺は、

子どもたちに何を残せるだろうか。

 

お金だけじゃなくて、
ちゃんと伝えることも含めて。

 

父親として、今後、
子どもたちとどう関わっていくのかも。

20歳になったら一緒に酒を飲みたいな。

 

昨日は、そんなことを
改めて考えさせられた一日だった。

 

 

 

 

結局、オレは最後まで

あのとき「ありがとう」を言えなかった。

手も握れなかった。

 

 

だから――

親父。

 

あんたのこと、

最後までよく分からなかったよ。

 

 

 

でも、

 

ありがとうな。

 

 

 
 
今日もいい天気だ。
公園日和だ(笑)
 
三男、いこうな。
 

 

シュンタクローバー