争いごとを避けるために気をつけていることってある?
▼本日限定!ブログスタンプ
スタンプマークにある複葉機
始めて戦争に飛行機が登場したのは
第一次世界大戦だった
『空軍』というものが
各国でできたのはやや後だけどね
最近亡くなった
あのアメリカのジョン・マケインさん
彼もパイロットだったけど
やっぱりかなり
エキセントリックな人だったよ
パイロットはそういう人が多い
空軍軍人
陸軍軍人や
海軍軍人と比べると
とてもとんがっていて
浮いている人が多い
戦前の日本にも
辻政信とか 石原莞爾 とか
エキセントリックな人はいたけど
普通は陸軍軍人
ああいうタイプじゃないですよ
軍人は基本的に目立たない
地味な人なんでね
そう躾けられるはずですよ
アメリカでも パットンや
マッカーサーみたいなタイプ
陸軍の中で 異端児で
だいたいが アイゼンハワーとか
リッジウェイとか George Marshall とか
ああいうタイプですよ
日本ではマッカーサーの残像が
あまりにも強烈だったから
みんな 向こうの軍人は
あんな 人かと思うけど
そんなことはないからね
マッカーサーは
フィリピンを征服した
陸軍軍人名門家庭に育ち
言わば東アジアの帝王みたいな家系だった
実はマッカーサーの先祖
ペリー来航のしばらくあと
なんと日本にも来ていたんだよ
マッカーサーの先祖
幕末明治の日本を見ていた
ウエストポイント陸軍士官学校
開校以来最高の成績で 卒業
天才の呼び声 高く
ハンサムで いかにも英雄然としていた
周りの人はほとんど
彼がいずれ大統領になると考えていた
おそらくやっかまれていた
大恐慌の最中
退役軍人も食い詰めた人
沢山出て大変だった
彼らはワシントンで
ストライキをやったんだ
大統領は フーバーだったか
FDR だったか分からんけど
嫌な役回り
退役軍人ストライキの排除命令が出た
軍人仲間や先輩に
銃を向ける嫌な仕事だ
誰もが 尻込みしたが
マッカーサーだけは
命令に従うのが軍人
と言って引き受けた
彼が大統領になれなかったのは
そのせいだと言われている
立候補しようにも
アメリカ退役軍人協会に憎まれ
誰も推薦人に ならなかった
多分警戒されていて
ハメられたんだろう
というのが今の人達の 定説
結局 朝鮮戦争の最中
中国義勇軍が100万近く 鴨緑江を超え
突然進軍してきた
義勇軍で
『正規軍』ではない
ってところがミソね
人民解放軍が直接
越境攻撃したわけじゃない
中国の言い分は
あれはボランティアの兵隊だ
と言うんだよ
嘘に決まってるけどね
それで
マッカーサー本人の
発案指揮による 仁川上陸作戦で
補給路を断たれ大打撃を受けた北朝鮮軍
滅亡寸前だったものが
息を吹き返した
ここでマッカーサー
中国満州に 7から8の
水爆を落とすべきだと
言ったことになっているんだけど
それがマッカーサー
解任理由なんだけど
俺は 白洲次郎さんから
話を聞いていて
マッカーサーが
そんなバカなことを言うはずがないと
あれは トルーマンが
マッカーサーをはめるために
でっち上げた作り話だ
と言っていた
トルーマンは マッカーサー を
激しく憎んでいたからね
わざわざ東アジアに
大統領の自分が 会いに来たのに
極東連合軍司令官マッカーサー
大統領トルーマンを
1時間以上待たせる
結果的に 侮辱をした
悪気はなかったんだろうけど
トルーマンは
カンカンになって怒った
執念深く憎んでいた
もともと副大統領
小物呼ばわりされているという
コンプレックスがあった人だから余計だ
そんなことがあったんで
最後はあんなことになったんだと
フランシス‐フォード・コッポラの
『地獄の黙示録』
マーロン・ブランド演じる カーツ大佐
あのモデルがマッカーサーだ
というのは割と知られてるよね
アメリカにもいたよね
空軍でしかもとんがった人
カーチス・ルメイ
ってのがそうで
東京 無差別爆撃を推進
また原爆を投下した
戦後も ともかく
核戦争 一本槍の恐ろしい男
こんな男に
勲章をやれやれって言ってた
小泉純一郎の父親ってのも
ろくなもんじゃないね
失脚した
エジプトのムバラク大統領
あの人も
独特の気取り屋だったけど
エジプト 空軍のパイロットなんだ
なんとなくわかる感じな
日本だと 海軍軍人だけど
源田実さん
淵田美津雄さんあたり
ちょっとそんな感じかな
源田実さんは映画
『トラ!トラ!トラ』
三橋達也さんがやって
淵田美津雄さんは 田村高廣さん
源田実さんは戦後政治家に
淵田美津雄さんは何と
『反戦』を説く
キリスト教宣教師に
アメリカでも有名だったよ
私小さい頃お会いしたことがある
丸顔の優しいおじいさんだったけどね
このあたりがいかにもパイロット
第一次大戦が始まった時
飛行機同士の空中戦
まだ 密閉されてない 操縦席
声をかければ
敵機のパイロットに声が届く
くらいの感じだったからね
最初は砂袋や石を
ぶつけ合ったりしたらしい
そのうち
プロペラ の羽と羽の間を
機関銃 弾丸 ペラを傷つけることなく
うてるようになった
同調装置 が発明されてようやく
本格的な空中戦の時代になった
空の英雄が現れる
そういう時代
その先駆けこそ
『レッドバロン』として名高い
マンフレート・フォン・リヒトホーフェン
(1892年5月2日 生 1818年4月21日没)
赤い3枚羽根の愛機
公認だけで80機撃墜・ 未公認が3機
この人 手柄を同僚 に
譲ることもかなりやっていたらしいので
実際はもっともっと落としていた
みたいだね
『赤い悪魔』と恐れられたが
その一方で
病院や修道院
学校幼稚園とか
民間施設を絶対に攻撃しない
貴族らしい騎士道精神でも知られ
敵からも尊敬されていた
死後長い事フランスに埋葬されていたが
ドイツが
あれだけ酷い目に遭っていた
第一次世界大戦後
敗戦国ドイツの要請を
フランスは直ちに承諾
遺体が 祖国ドイツ
現ポーランド領 に返還された
国民総出で出迎えるみたいな
大掛かりな国葬だった
第一次世界大戦は
英雄が出ない戦争と言われた
『レッドバロン』 リヒトホーフェン
数少ない例外だった
日本でも太平洋戦争の坂井三郎さん
アメリカでいまだに
日本を憎んでいる人達の間でも
大変尊敬されているけどね
日本の撃墜王です
確か 空中で撃たれて重傷を負い
目もやられ
血糊でほとんど
目が開かない状態で
基地まで長時間操縦
自力できちんと
着陸生還した 人だよね
こういう人は向こうでも尊敬されます
レッドバロン亡き後
ドイツ空軍チームを
率いたのがあの
『ヘルマン・ゲーリング』だった
後の ナチス党ナンバー2ですよね
ゲーリングという男
ある意味生粋の軍人
リヒトホーフェンの路線とは鋭く対立
ゲーリングは当初から
無差別攻撃を主張
つまり 修道院 だろうが
病院だろうが 学校だろうが
敵は敵なのだから
そういう主義の人
結局リヒトホーフェンは戦死し
ゲーリングは生き残った
ゲーリングは敗戦後
サーカスの曲芸飛行パイロットをやって
生計を立てていたらしいね
余談だけどうちの父親
アメリカにいる時
ドイツ移民の化学会社社長と
話をしていて
この男どこかで見た顔だな?
と思って 名前を 改めて見直すと
『 ゲーリング』だった
『 ヘルマン・ゲーリングの実のいとこ』
だったんだ
『よくあんた!
アメリカに入国できたねェ!?』
と聞いたらその人
『 いや
ナチスにも戦争にも反対だった
反ナチス運動やって
お尋ね者になり
アメリカに亡命したんだよな 』
と言っていたらしい
顔はそっくりだったと
よくビールを一緒に飲んで
酒がまわってくると
顔中にミミズ腫れみたいな
傷が浮き上がってくる
なんだそれ!?と聞くと
『これは決闘傷だよ』
と言っていたそう
フェンシングみたいなこと
決闘やるらしいんだねあの世代の人
その刀傷が顔に残っていて
酒飲むと出てくるんだと
戦後生まれの人
そういうこと ドイツでも
なくなったらしいな
