狂躁亭日乘・日本大学の野望(1)1701310830 | おととひの世界

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リンクも始めましたよ

春夏高校野球とか見ていると
春の高校バレーでも
正月の高校サッカーでもそうだけど

『日本大学』

あれって系列高校
いったいいくつあるんだろう?
と思いません?

日本中津々浦々だよね
実際そうでもないんだけども

かつては甲子園で馴染みの高校
もちろん強豪校とかじゃなくて

あー出てるな
頑張ってるなという

例外もありますが宗教系の高校は
お金がありますよ
PL学園みたいに
高校野球から手を引いた所もあるけど

例えば駒沢大学

付属高校がありますけど
北海道では田中マー君が出た
『駒大苫小牧』が有名に

でも駒大苫小牧より
ずっと前からもっと有名だった

いや古くからの高校野球ファンの間では
結構ファンがいたはずの

駒大岩見沢高校
たしか閉校したんじゃ
なかったですか?

今あちこちの高校が
そうなってますよ

私立の比較的
余裕があるはずの所でもね
サッカーでも静岡で
そういうところがいくつかありますわな

少子化の波は地方ほど強烈
この波には勝てない

日本各地の私立の親である
地主が持たなくなってきている
って所だね

日本の地方の私立
学園学校法人の話をしようと思ったら
どうしても日本の地主支配社会
どこかで触れざるを得ないんだ

『日本大学』という学校法人は
その球拾いをしてきたところが
あるからね

古代地主ではない
現在いるつまり現在の日本にいる
タイプの大地主

これがいつ頃できたかというと
江戸時代の中期なんだ
明治維新以降とか戦後とか
じゃないんだよ

徳川吉宗の享保の改革の頃
徳川吉宗は最初
権現様の定めの通りみたいなこと
やろうとしたんですよ

『たわけ』という言葉がありますよね
平たく言えばバカのことです

徳川家康は
百姓の身分は保証したんですよ
食えなくなることは防いだ

ほっとけばすぐ逃げ出します

その結果チカラの強いズルイヤツが
土地をどんどん集めて力をつけてくる

現在日本のヤクザと
中国人が日本中でツルんで
そうやってるらしいけどね

そうするとそいつらが
力をつけて税金はどんどん
上がってこなくなります

当時の税金は結局年貢です
だから田畑を売り買いに出すこと
徳川家康は厳禁

厳しく測量して分割することも禁止した
『たわけ』はそこから生まれた言葉だ
やったら殺されるのに
それでもやるかバカってことだよ


売り買いはダメだが

『貸してはいけない』とは
書いていなかった

するとシンドイ百姓は
土地を貸し出します

そして貸し出しっぱなしになる
貸出しっぱなしの土地を集めたら

立派な地主ですよ

暴れん坊将軍はまず
それを禁止しようとしたら暴動が
『質地騒動・しっちそうどう』

貸しても困るが
借りられなくなった方も困ったんです
慌てて撤回

その結果できたのが
現在の日本の地主です

明治新政府は日本統一時に
その力を借りたんです

まあ仕方ないですわな

御礼にいろんな特権を残したんですよ

小泉内閣の時に
郵政民営化で騒いだでしょ?
あれは1つそれに手を付けたんです

日本中にいる
世襲の公務員・郵便局長です
いまどき公務員ポストが世襲って
おかしいでしょ?

もっとも小泉さんは3代目
あの人小選挙区になる前

横須賀以外の飛び地選挙区がもう1つ
あったんです

川崎市ですよ
多摩川の南なのに
水にはすごく苦労してたらしいんだよね

二ヶ領用水という用水路を引いて
川崎大師までを食べられる
ところにしたのは

小泉次佐衞門
武田信玄の遺臣で水工事の達人
現在のJR小海線
『甲斐小泉』あたりにいた人
みたいですね

徳川家康は武田信玄を
敵ながらとても尊敬し
手本にしていた

信長に滅ぼされたあとも
遺臣をたくさん雇っている

小泉一族は再就職ながら
二ヶ領用水の功績を認められて
御家人に収まっています

もっとも幕末には載ってませんけど
今4代目がいる小泉さんってのは
鹿児島の人なんだけど

どういう因縁か
そこの養子になったんだね
それで川崎が飛び地選挙区だったんだよ

でも本来はそこが根城だったんだ
あの辺り小泉ってのいっぱいいるからね

あのね

江戸時代武士は武士で
ずっとだって事言ってるのは嘘だからね
初めから終わりまで
武士だった奴は4割ぐらいしか
いないってさ

割と有名なのは勝海舟で
上越のどうやらヤクザだったらしい
流れ者が博打で負けた御家人から
御家人株を買って御家人に収まった

こういうこと書くと違うと言ってくる
人がいるんですよ
ちゃんと系図があるとかね

ケーズってのは
そこそこごまかし効くんですよ
専門家がいましたからね

若き日の田中角栄氏のところに

もともとの姓は三木だったんだけど
室町の頃に風来坊が独りいでて
画業をよくし
南蛮船に乗って流れていって
イタリアで名を成した

その名を欄十郎
その地で三木ランジュウロウ
改めミケランジェロとなりて
という系図売りに来た奴が
いたらしいですよ

それで証拠と分かった気になるのは
単なる三文歴史家です

瀬戸内海あたりでもね

あの島嶼部のあたりですよ
島ばっかりのところ

当時の住民90%が表向き農民てことに
あるわけないでしょうが

あーゆーものはね
これが望ましいというガイドラインに
沿って作られた数字なんですよ

例えば繁華街で何やってるか?
なんて実態は官庁の数字統計には
出てこないでしょ?

離れ小島で潮流が激しい
ベテラン水先案内がいても夜は難しい

するとその島は簡単に
夜間は無法地帯になりますよ
カジノ法案ができる前から
カジノ島だったり売春島だったり
したわけです

瀬戸内ってのは
かなり長い間そういう歴史を持ってます
それこそ平清盛の昔からね
いやもっと前・藤原純友の頃からかな?

その辺りを仕切ってるのは
どうしたってそりゃ海賊ですよ
こいつらを取り締まるんじゃなくて
活力を生かそうということ
考えたのは清盛だった

数百年後にも同じことを
やろうとしたのが毛利元就だったんだね

私ご先祖様が毛利元就が
まだ子分1ダースいない頃からの
譜代家臣だからそういう話は
当たり前のように聞かされてきた

それも日本史のセンセイが考えるような
シカク四面の侍とかじゃないよ

要するに海賊団の頭目だったんだよ
毛利元就はね

その情報力と機動力がなかったら
『厳島の戦い』みたいな
パーフェクトゲームが
できたはずがないぞ

余計な事言っとくと
我が家の先祖ってのは

毛利元就はまだ公家だった頃
北面の武士で上京していて
世話になり

そのつながりでガードマン役を
やっていたらしい

やがて源頼朝から呼び出しがあって
鎌倉幕府の職制機構を作るの
手伝えと言われた
それについていったんだ

その公家こそが
大江広元であり
その子孫が武士になった
それが毛利一族

だから元々の本家は神奈川県だったんで
神奈川県は厚木とかあの辺を中心に
毛利さん多数な

それが文永・弘安の役を境に
西に行っちゃったままになったのは
毛利元就の先祖だ

(とりあえずこの項つづく)