・・・大正時代の3大洋食。
例えば上野の松本楼とか、あそこは
ハヤシライスが有名なんだけど
関東大震災の日・毎年9月1日に
限定数無料でふるまわれるのは
カレーライスかハヤシライスか?
・・今となっては全くの死語だけど
あのころはまだハイカラな食べ物だった。
カレーライス、コロッケ、それに
トンカツ・・・🎵今日もコロッケ
明日もコロッケ・・って歌もあった。
「天皇の料理番」・・に出て来てたかな?
・・・昭和以後の国民食「ラーメン」。
あれが一気に広がったきっかけって
何だったか・・?実は関東大震災です。
それまで屋台といえばまず夜鳴きそば。
江戸時代以来ずっとね。それが
横浜が開港して、次第に中華街ができた。
当時は支那そばと呼ばれていた。
・・・日本の薄口醤油と鶏がらスープベース。
それが基本中の基本だった。シンプルな味。
それで客層をつかんでいった。
しかも日本蕎麦より、少し安い。
・・・大震災の時、東京一帯が焼け野原に。
その時に横浜から屋台を引いて
たくさん売りに来た。・・一気に
東京では馴染みの味になった。
それからまもなく昭和不況が始まる。
値段の安い支那そばが日本蕎麦に勝った。
ファーストフード市場は昭和初期に。
・・・それから終戦後のドヤ街と闇市。
中国人はたくさんいたから屋台も沢山。
・・・その味を何度か家庭で・・と思った
安藤百福さんという発明家が独力で
世界初のインスタントラーメン
「チキンラーメン」を開発。
・・・ラーメンは世界へ広がった。
・・・カレーライスとラーメン。
どちらも昭和不況と昭和の戦争が
国民食となる過程で関わってきた。
・・・横須賀市と呉市で本家争いしていた
「海軍カレー」。・・日本海軍は何でも
イギリスを手本にしました。まぁ
世界各国どこいってもイギリスが
手本なんですけどね・・海軍は・・。
・・・イギリスの海軍ってのは伝統的に
金曜日にはシチューを食べていた。
・・・材料費の問題とかもあったのか
旧日本海軍の場合はそれがカレーライス。
だから海軍といえばカレーライス。
カレーライスは海軍が広めたと。
・・・ところがそうでもないんだな。
大正デモクラシーの、モダンボーイ
モダンガールの時代。大正洋食って
要するに当時の最先端のハイカラな人。
都会の人たちの食べ物だった。
・・・兵隊の大半は地方出身者でしたから
普通ならば、縁もゆかりもない話です。
・・・ところが中国での事変を契機に
日本の兵隊がどんどん中国内の戦線へ。
米以外はほとんどの食料が現地調達です。
・・・現地の野草や野菜、豚や牛、鹿。
現地で得られたそれらの素材を
いかに不満が出ないように美味しく・・。
・・・その答えが結局カレーライス。
カレーライスは大鍋で作るほどうまい。
日本各地の、地方の農村の子倅達も
軍隊の炊事係でカレーの作り方を覚えた。
その人たちが復員して、家に伝えた。
国民食カレーは、戦争が育てたんです。
・・・同じ国民食といっても
ラーメンのチェーンはあれだけたくさん
だけどカレーチェーンて少ないでしょ?
・・・香辛料は、代表的な相場商品。
仕入値段もアップダウンが激しいんです。
だから日本では、大手2社しかできない。
・・・誰でもしっているあの大手チェーン。
やはり大手の系列なんですよ・・。
・・・その大手2社の1つ、S&B
(エスビー食品)、あのパウダー缶の
メーカーね。S&Bは、サン&バード。
「日鳥屋さん」の屋号のアテ字なんです。
・・・そこの跡取りがイギリス留学中
下宿先のビジネスマンの家で働いて
いたインド人と仲良く・・。そのインド人
機嫌が良い時にカレーを作ってくれた。
・・・あの味が忘れられない。日本へ
戻ってレシピを調べて香辛料を調合。
・・・何百通りもやってみたけどイマイチ。
・・・若旦那が開発に行き詰まった。
しばらく忘れることにして、ほっといた。
ある晩家に遅く帰ってきて腹が減った。
残り飯はあるからカレーを作ってみるか?
・・・そう思ってずっと前に調合した
カレーパウダーを使ってみた。すると
・・・なんなんだよこれ?うまくなってる。
そこで若旦那はカレーパウダーの秘訣。
「調合した後に一定期間熟成」・・を知った。
・・・きっかけは偶然だけど大発見。
前回売り出した時はさっぱり
売れなかったけど、今度はいけるぞ!!
・・・満を持して売り出して大成功。
これが近代日本の国民食・カレーの始まり。
あの色つきの缶に入ってるS&Bカレー。
発売当初からほとんど変わってないです。
・・・私個人の好みで言うと
本家インドのカレーだと、麹町アジャンタ。
ホームカレーだと、渋谷西武で食べられる
自由が丘トップスのカレーね。
・・・トップスのカレーは高いけど美味い。
アジャンタのカレーは深い上に元気が出る。
・・・カレーライスって、結局薬膳だね。