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2024/07/中旬
長女4歳・次女1歳


私はブログの下書きに


常にいくつかストックをしていて


タイトルと書きたいネタをメモ程度に


数行書いてあるものもあるし


実家の親の話は割とその場で


忘れないうちにぶわーっと書いてから


整理して頭を冷やしてから


修正して公開することもあるニコニコ


今日はタイトルと書きたいネタを


三行ほどメモしていたストックから


更に書き加えたいことがあったので


その話題を書こうと思うウインク


猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま


昨日書いた本の感想の話になるが


【続 窓ぎわのトットちゃん】によると


黒柳徹子さんは女優志望ではなく


「絵本の読み聞かせや歌が上手い

お母さんになりたかった」


と書いてあるびっくり



バイオリニストの父親と


歌の学校に行っていた母親の


影響はとても大きいのだと思うが


ドラマ化もされたお母様は


どうもお料理もお裁縫もできる


スーパーウーマンだったようだお願い


それで疎開先では商才を発揮して


青森で取れた作物をいくつも詰め込み


東京に行っては売って更に青森で


頼まれたものを東京で買って


青森に戻ってから売りさばき


あっちからもこっちからも感謝されて


時には結婚式の余興でで歌を頼まれて


人前で歌いに行ったりしたらしいびっくり


お母さんは空襲で焼けて無くなった


赤い屋根のお家を建てるために


必死に働いていたキョロキョロ


そこでシベリアにいるお父様を待ち


また家族みんなでそこで暮らすという


目標のゴール設定が明確だった照れ


トットちゃんが絵本の読み聞かせを


上手くなりたいと思ってから


楽しい仕事だけをやるにシフトするまで


かなり状況は変わっていったようなのだが


なんだか主役の座を勝ち取った時などは


「何がなんでも取ってやるムキー」


という意気込みよりも


もっと飄々とした感じで


 「取れたら嬉しいけど

取れなかったらそれはそれで

私には向いてないのね」


みたいなニュアンスがあるグラサン


本に書かれているオーディション風景も


長年たくさんのトレーニングを積み


幾つものお稽古をしてきた劇団の人より


なんだかとても肩の力が抜けていて


そんなところが役にぴったりだったり


まっさらな手付かずの人を


探し求められていて


ピタッと当てはまったり


ことごとくすごいタイミングキラキラ


失敗すらも頭の回転の速さでカバーし


紅白歌合戦での失敗談も


今ではさすが黒柳徹子拍手になるニコニコ


この人の生い立ちを見ていると


とにかく行動しているのが


夢をたぐり寄せた秘訣に見えるお願い


1人で下宿して学校に通うのも


たまたま見た新聞でNHKに応募するのも


遅刻してもタクシーで会場に行くのも


好きな作家に手紙を書いて返事が来たのも


ワクワクする道を選び取り実行しているキラキラ


周りに背中を押されたのも大きいが


40歳頃のニューヨーク留学なんて


最たる例じゃないかしらねグラサン


黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま


私が時折インスタで見ている


瞑想のありささんという女性は


元々日本で医師をしていたけれど



このまま人生終わるのは嫌だと


親の反対を押し切って留学し


そのまま現地の人と出会い結婚ラブ


駆け落ちのような感じだが


この人も外国人と結婚するなんて


ましてや医者を辞めて海外移住なんて


自分がすることになるとは


思わなかったと言うキョロキョロ


国際結婚をしている友人たちは


口々に皆同じことを言うびっくり


みんなそのつもりがなかったとガーン


アメリカならいいけどオーストラリアは


住みたいと思ったことがなかった友人


夫の母国バルト三国へ行った友人


同じ職場だった人も家のオーナーも


私の周りでは10人以上は居るかなチュー


こんな予定ではなかったと言うキョロキョロ


黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま


私が海外で永住権を取りに動いた時


ダイバーの友人がビジネスVISA待ちで


何年もブリッジングビザで待たされた時


現地でセラピストの学校を卒業し


帰国後に声がかかり再渡豪したのに


最後の最後で頓挫してしまった有人


ある時ふとこの3人は強く移住を望んで


スポンサーもそれぞれに見つかり


英語のテストIELTSのスコアだって


4.0ポイントだった時代


なぜ望みが叶わなかったのかなと


考えてみたグラサン



ひとつは執着のし過ぎだったのかな


と言う点と


もうひとつは動くのを辞めた


という2つの共通点を見つけたムキー


まず私はケアンズで暮らしていたが


友人の勤めるメルボルンの会社に


メールで履歴書を送りアプライ開始


いくつかやり取りをしたあと


4時間ほど飛行機に乗って


ジョブインタビューを受けに行ったニコ


でもその直前はケアンズの


VISAエージェンシーに無料相談をしたり


必要なポイントを調べたりある程度は


動いていたのだけれど


もう受かったような気持ちでいたので


途中から動くことを辞めてしまったびっくり


結果あちらはVISAのプロの弁護士も


面接に同席するよう手配していたが


私のポイントは足りず学校に行き直す


選択を迫られたのでしたショボーン


次にダイバーの友人は数年働き


ビジネスVISAに切り替える段階で


なかなか仕事も遅い国なので


ブリッジングビザのまま数年経ち


最終的にはもう待てなくて10年近く


住んでいたと思うけど帰国したガーン


私はブリッジングでも滞在できるなら


喜んでそこに居たと思うし


仕事も暮らす家ももう何年もいて


生活全般慣れていたころ


好きなダイバーの仕事が出来て


しかも給与はかなり良かったので


帰国したと聞いた時は正直

「もったいない」と「なんで」で

混乱したチュー

彼女は何年も暮らしたからこそ

そろそろもう潮時かなと自分で

幕を閉じた結果だったけど

あの時同じエリアにダイビング会社も

沢山あったしブリッジングで待ちの間

他の仕事を探していたらまた

違う結果になったのかなと思うキョロキョロ

今は日本で元気に働き海外から友人を

招いておもてなししていたり

ホリデーが取れたらよく海外にいるお願い

そして相変わらずダイビングも

好きでよく潜っているようだ拍手

最後に大好きな友人のひとり

ギリホリで来ていたクラスメイトは

もう滞在の方法がなかった時に

現地の美容専門学校に通い資格も取り

就活もして頑張っていたグラサン

住む場所やアルバイトは

素敵な上司にも恵まれて困ることはなく

着々とホテルの中の高級スパとか

現地の若者と一緒に働いて

技術も英語力も磨いていたラブ

しかしなかなか上手くいかず

完全帰国したのだか

そこ後スパから連絡が来て

ビジネスオーナーが変わり

同僚だった人がトップになったのと

同時にビザサポートをするから

こっちで働いてくれと声がかかり

またすぐ彼女は旅立った飛行機

しかし行ってからサポートはできないとか

言われていた条件から違うことを

提案されたりトラブルが続き

働く話は全て流れてしまったショボーン

私は現地の学校を卒業したこと

スパでの経験や英語力もあって

就活を頑張れば絶対まだ

チャンスはあったんじゃないかな

と思って聞いていたキョロキョロ

楽しいことばかりだけでは無いし

もちろん人種差別をされたことも

英語が伝わらなくて悔しくて泣いたことも

1度や2度では無いムキー

でもみんな海外での暮らしが好きで

あんなに熱望していたのに叶わなかった

一連の流れを見ていくと

できるはずの努力を怠った

というのは少しあったと思うチュー

そんなわけで結局願いを叶えたいなら

執着しすぎてもダメだし

目標が曖昧なのもダメ

そこに向けて努力を怠らない姿勢と

時々目標設定や頑張る方向が

間違えていないか振り返り

フィードバックや修正もいるラブ

つまり楽してなんでも叶えられるような

近道は存在しないのだと思いますグラサン拍手


 ★pick★

 

 

 




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