長女4歳・次女1歳
私はブログの下書きに
常にいくつかストックをしていて
タイトルと書きたいネタをメモ程度に
数行書いてあるものもあるし
実家の親の話は割とその場で
忘れないうちにぶわーっと書いてから
整理して頭を冷やしてから
修正して公開することもある![]()
今日はタイトルと書きたいネタを
三行ほどメモしていたストックから
更に書き加えたいことがあったので
その話題を書こうと思う![]()
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昨日書いた本の感想の話になるが
【続 窓ぎわのトットちゃん】によると
黒柳徹子さんは女優志望ではなく
「絵本の読み聞かせや歌が上手い
お母さんになりたかった」
と書いてある![]()

バイオリニストの父親と
歌の学校に行っていた母親の
影響はとても大きいのだと思うが
ドラマ化もされたお母様は
どうもお料理もお裁縫もできる
スーパーウーマンだったようだ![]()
それで疎開先では商才を発揮して
青森で取れた作物をいくつも詰め込み
東京に行っては売って更に青森で
頼まれたものを東京で買って
青森に戻ってから売りさばき
あっちからもこっちからも感謝されて
時には結婚式の余興でで歌を頼まれて
人前で歌いに行ったりしたらしい![]()
お母さんは空襲で焼けて無くなった
赤い屋根のお家を建てるために
必死に働いていた![]()
そこでシベリアにいるお父様を待ち
また家族みんなでそこで暮らすという
目標のゴール設定が明確だった![]()
トットちゃんが絵本の読み聞かせを
上手くなりたいと思ってから
楽しい仕事だけをやるにシフトするまで
かなり状況は変わっていったようなのだが
なんだか主役の座を勝ち取った時などは
「何がなんでも取ってやる
」
という意気込みよりも
もっと飄々とした感じで
「取れたら嬉しいけど
取れなかったらそれはそれで
私には向いてないのね」
みたいなニュアンスがある![]()
本に書かれているオーディション風景も
長年たくさんのトレーニングを積み
幾つものお稽古をしてきた劇団の人より
なんだかとても肩の力が抜けていて
そんなところが役にぴったりだったり
まっさらな手付かずの人を
探し求められていて
ピタッと当てはまったり
ことごとくすごいタイミング![]()
失敗すらも頭の回転の速さでカバーし
紅白歌合戦での失敗談も
今ではさすが黒柳徹子
になる![]()
この人の生い立ちを見ていると
とにかく行動しているのが
夢をたぐり寄せた秘訣に見える![]()
1人で下宿して学校に通うのも
たまたま見た新聞でNHKに応募するのも
遅刻してもタクシーで会場に行くのも
好きな作家に手紙を書いて返事が来たのも
ワクワクする道を選び取り実行している![]()
周りに背中を押されたのも大きいが
40歳頃のニューヨーク留学なんて
最たる例じゃないかしらね![]()
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私が時折インスタで見ている
瞑想のありささんという女性は
元々日本で医師をしていたけれど

このまま人生終わるのは嫌だと
親の反対を押し切って留学し
そのまま現地の人と出会い結婚![]()
駆け落ちのような感じだが
この人も外国人と結婚するなんて
ましてや医者を辞めて海外移住なんて
自分がすることになるとは
思わなかったと言う![]()
国際結婚をしている友人たちは
口々に皆同じことを言う![]()
みんなそのつもりがなかったと![]()
アメリカならいいけどオーストラリアは
住みたいと思ったことがなかった友人
夫の母国バルト三国へ行った友人
同じ職場だった人も家のオーナーも
私の周りでは10人以上は居るかな![]()
こんな予定ではなかったと言う![]()
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私が海外で永住権を取りに動いた時
ダイバーの友人がビジネスVISA待ちで
何年もブリッジングビザで待たされた時
現地でセラピストの学校を卒業し
帰国後に声がかかり再渡豪したのに
最後の最後で頓挫してしまった有人
ある時ふとこの3人は強く移住を望んで
スポンサーもそれぞれに見つかり
英語のテストIELTSのスコアだって
4.0ポイントだった時代
なぜ望みが叶わなかったのかなと
考えてみた![]()

ひとつは執着のし過ぎだったのかな
と言う点と
もうひとつは動くのを辞めた
という2つの共通点を見つけた![]()
まず私はケアンズで暮らしていたが
友人の勤めるメルボルンの会社に
メールで履歴書を送りアプライ開始
いくつかやり取りをしたあと
4時間ほど飛行機に乗って
ジョブインタビューを受けに行った![]()
でもその直前はケアンズの
VISAエージェンシーに無料相談をしたり
必要なポイントを調べたりある程度は
動いていたのだけれど
もう受かったような気持ちでいたので
途中から動くことを辞めてしまった![]()
結果あちらはVISAのプロの弁護士も
面接に同席するよう手配していたが
私のポイントは足りず学校に行き直す
選択を迫られたのでした![]()
次にダイバーの友人は数年働き
ビジネスVISAに切り替える段階で
なかなか仕事も遅い国なので
ブリッジングビザのまま数年経ち
最終的にはもう待てなくて10年近く
住んでいたと思うけど帰国した![]()
私はブリッジングでも滞在できるなら
喜んでそこに居たと思うし
仕事も暮らす家ももう何年もいて
生活全般慣れていたころ
好きなダイバーの仕事が出来て
しかも給与はかなり良かったので
viva 人生は不思議だわ![]()
ばーい![]()


