『本来の自分』って何?

 

 

 

思えばずっと

『本当の自分』で生きてないような・・・



いっつも人の目が氣になるし



なんか窮屈だなぁ


しんどいなぁ



でも自分には

なんもないんだよ・・・

 

 

 

 

そんなことばかり考えながら、

お金と時間をかけて

何年も学びに費やしてきて、

 

 

 

『これを学べば答えが見つかる!』

 

 

『これを知ったらショートカットで

本来の私が望んでるものがわかるんだ!』

 

 

 

なんて、

期待いっぱいで飛び込んでいっても

 

 

 

結局

答えや望みなんてものは

見つからなかったし、わからなかった

 

 

 

『これを知ったら』

 

『これを学んだら』

 

 

 

だけじゃあ、

ただ外にある知識に触れただけで

 

 

 

ただ知っただけじゃあ、

 

 

知れたことを咀嚼して、

カラダの中に入れて

外に出して動いてみなきゃあ、

 

 

 

わかんないんですよね、

本当は

 

 

 

でも、

やっとこさ動いてみて

ようやくわかったのは

 

 

 

答えも望みも、

自分の外側には無い、ってこと

 

 

 

『知ること』『学ぶこと』って、

受け取ることで

 

 

 

『自分がどう感じたか』

『自分にとってどんな氣づきがあったか』

ってところを、

 

 

 

さらに受け取って

掘り下げたりしながら、

 

 

 

自らの手で

【自らの分】を知ること

 

 

 

【自らの分】というと

【分をわきまえる】みたいな、

 

 

 

常に周りの目氣にしながら、

「控え目にしとかなきゃ」とか

「抑えめにしとこう」みたいなのが

まず浮かんじゃうんですけど、

 

 

 

調べていく中で

私が採用した【自らの分】の意義は、

 

自分の長所や短所、好きなことや嫌いなこと、

 価値観や目標をはっきりさせる

 ←それを自分に受け入れてあげる

  (許可してあげる)

 

自分の能力や立場にふさわしい

 行動をとること

 ←その環境を自分に創ってあげる

 

でした

 

 

 

ピンクの文字のところは、

現実化するときに必要な意図じゃないかと

私が思ってることなんですけど(笑

 

 

 

でもここが出来たら、

おそらく意図せずとも勝手にそうなると

思うんですよね

 

 

 

昨年から環境を変え、

さらに夏からは

【自らの分】を知りたいと

今までにない学びの環境に飛び込んでみて、

 

 

 

その過程の中で、

それまで知ってきたことが

そもそも自分にとって

必要なものだったのか?って、

 

 

 

かけて時間やお金のことを思うと

呆然とすることもありましたけど悲しい

 

 

 

でもその時の私は

そもそも【自らの分】を無意識に、

無自覚に無視してて、

 

 

 

「あんな人になりたい!」

「こんなにキラキラした人になりたい!」

って、

 

 

 

外側ばっかりを見て、

それこそ分をわきまえずに

軸を他人に丸投げしてたことに

ようやく肚落ち出来たときに、

 

 

 

自分しかない、

自分だからこその【分】が

ちゃんとあったことに氣づけて、

受け取れました

 

 


今では

それもすべて含めて、

ありがたい経験をさせてもらったと

めちゃくちゃ自分に感謝してます(笑

 

 

 

で、

ここからまたあらためて

これまでの私だからこその

経験という財産を、



【自らの分】を大切に

分かち合っていこうと思っています

 

 

 

 

 

甘いものでもどうぞ^^


 

 

 

 

今日も安心安全で

豊かな一日をでありますよう

 

 


ご自愛くださいね

 

 

 

 

千野原 みき

 

 

 

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