立ち眩みがするほど
青い君の瞳に吸い込まれて
いつしか僕は
陽炎のように揺らぐ君の姿の
虜になっていた
初めてネモフィラを撮影したのは3年前の2022年4月、日比谷公園だった。それを記事にしたかどうか忘れてしまったけれど、鮮明に覚えている事は心不全と腎不全の影響で撮影から帰って自分の変わり果てた脚の姿だった。パンパンに浮腫んで腫れ上がりまさに『大根足』。三尖弁の手術を受ける前だから入退院を繰り返していた時期でもあった。それを考えると今こうして撮影を続けていられる自分が信じられなくなる時がある。普段の生活の中で病気について深く考える事は殆どなく、その病気の自分が当たり前でそれ以下でも以上でもない事実。それだけは受け止めていたけれど、歳を重ねるに連れて「後、何年撮影を続けられるだろうか…?」と不安が胸中を過る時がある。
アパートの階段を上るのが辛くなったら多分それが自分の限界のサインだと思っている。その時が来たら長距離を歩くのも辛くなるだろうからカメラを手にする事もなくなるかも知れない。それでも家の近所に咲いている花くらいは撮れるだろうから、撮影を止める事にまでは至らないと思う。好きな風景(夜景)が撮れなくなるのは寂しいけれど、カメラ人生も何処かで区切りをつけなくてはいけない。
ツツジやサツキのように丁度良い位置に咲いている花の撮影はさほど苦労する事なく撮れるが、このネモフィラのように低い位置に咲く花の撮影ほど体力・気力・根気を必要とする被写体は他にあるだろうか?(野鳥や昆虫などの撮影は端から諦めているので問題外。)花と視線を合わせるため、正面から被写体に向け、先ずはご挨拶。ブツブツと言葉を発し、花に話しかける。撮影する上でこれは重要なポイントでもある。花が機嫌を損ねると良い表情を見せてくれない。命を宿す全てのものには尊敬と感謝の念を抱かなくては本気で相手にしてくれない。撮影もそれと同じだと思う。この日、ネモフィラの撮影を終えて低い位置から一気に立ち上がろうとした時、背中のバッグパックの重さに耐え切れず後ろにひっくり返ってしまった。
足腰の衰えを痛感したが、撮影には筋トレが必要だと改めて思った。転んだ私を見てネモフィラが優しく微笑みながら「大丈夫?」と話しかけてくれたような気がした。




