4月6日、東洋大学の入学式(娘の)に出席する為、武道館へと足を運んだ。都営新宿線の九段下駅に降りた時点から既に混雑が始まっており、警備員が声を張り上げ誘導していた。
混乱を避ける為の処置なのかエスカレーターが動いておらず、地上までの長い階段を上るはめになってしまったが、心臓の悪いわたしやお年寄りなどにとってみれば、階段昇降が苦痛の何ものでもない事は確かであり、少々配慮の欠ける対応に焦慮感を抱いてしまうのは当然だった。
東京に住んで30年近くになるのだが、実はわたしが武道館へ出向くのはこれが初めてであった。1966年日本武道館で行われたビートルズのコンサートで、初めて武道館の存在を知った訳であるが、それ以来わたしにとって武道館は東京タワーと同じく東京の象徴として心の中に焼き付いていた。
人の波は途切れる事なく整然と一カ所を目指して続き、わたしもまたその流れに乗り迷う事なく目的地に着いたが、満開の桜が舞う中を歩くのも実に久しぶりの事であったし、娘の入学を祝うかのように降り注ぐ花弁の乱舞にわたしの心も躍動感に酔いしれていた。
娘が選んでくれたネクタイを締め、スーツを着、息子の勇樹が誕生日プレゼントに購入してくれた靴を履き、ほぼ1年ぶりの正装は娘の新しい門出と同様、わたしにとっても人生の再スタートと言ってもよいほどであった。
入学式は元自民党議員で東洋大学の総長でもある『塩川正十郎』氏の名誉博士授与式で幕を開けた。新入生約7千人とその保護者たちを合わせ1万4千人を超す人々で会場は満席。養護学校出身でしかも中卒であり、教育というものに殆ど縁のなかったわたしからみれば、大学はまさに雲の上の存在のようなものである。
その大学の何たるかを僅かでもよいから享受してみたいという願望も少なからずあったのは確かであるが、あらゆる価値観を持った者たちが集い学ぶ場所の頂点が大学であるとわたしは思っている。
その尊い場所で多くの人々と出会い、中には人生を左右する運命の場所になる事もあるだろう。人生の師と呼べる人物との出会いや一生を共に分かち合う仲間も出来るかも知れない。大学生活の4年間を自分の為、そして人の為、社会の為に悔いのないよう使って欲しいと願わずにはいられない。
桜の木々を見下ろすように建っている銅像は『品川弥二郎』であるが、九段坂・牛ケ淵お濠沿いの九段坂公園内にある。
戊辰戦争の際、新政府軍が歌った『トコトンヤレ節』(宮さん宮さんお馬の前にひらひらするのはなんじゃいな…)の作詞者であるとされているが定かではない。
然し、この軍歌を何故かわたしも知っており、今でも口ずさむ事が出来るのは、おそらく小学生の時の社会科の教科書にでも出て来たのだろう。
桜の花びらが散るように、戦争で多くの命が散って行ったのを懐かしむかのように見つめる弥二郎の視線の先には、東北の被災地がどのように映っているだろうか。
心安らぐ本当の春、桜が東北を優しく包む日はまだ遠く、訪れはしない。桜が桜でいられるように、わたしたちも皆、人としてあり続けるように一日でも早く被災地の復興を願わずにはいられない。
