古典落語を音楽に例えるならばクラシック、その古典落語を現代音楽風にアレンジしたのが立川談志であるだろう。
古典落語の名手として、落語界に敢然と異彩を放ち続けて来た彼は、落語の枠には収まり切らない圧倒的な存在感とその天才的とも言える多彩な芸風で、あらゆる分野に多大な影響を与え続けて来た。
その彼の生き様は、まさにハードロックと表現しても差し支えないとさえ思う。彼の持ち味の一つである毒舌トークは、研ぎ澄まされた感性と事の本質を見抜く鋭い洞察力に裏打ちされた、まさに言葉のロックなのである。
日本を代表する長寿番組『笑点』の初代司会者が談志師匠であった事を、わたしは「立川談志、死去」の件で初めて知ったのであるが、『笑点』を初めて見た時は既に3代目司会者の「三波伸介」であった。
そしてまた『笑点』と言うタイトルも、三浦綾子の小説をテレビドラマ化した高視聴率番組『氷点』をもじって談志師匠がつけたというのも初耳であったから驚きも尚更である。
毒舌家としてもう一人忘れてならないのが『毒蝮三太夫』であるが、このネーミングの名付け親も立川談志であると言うのは有名な話である。
但し、わたしくらいの年代になると毒舌家と言うより、初代ウルトラマンの『アラシ隊員』や、ウルトラセブンの『フルハシ隊員』のイメージが強すぎて、毒蝮=毒舌と結びつかない部分も多い。
癌や糖尿病といった病と闘いながらも、生涯現役に拘りそれを貫き通した崇高なる噺家の死に触れて、こんな逸話を思い出した。
立川談志がまだ若かった頃、三遊亭円楽と二人で海に遊びに行った彼。途中で円楽が沖の方で溺れてしまった。しかし談志はそれを見ながら、まったく助けようともしなかった。結局、他の人に助けられて事なきを得た円楽。
後でみんなは談志に「なんで助けに行かなかったんだ」と詰め寄ると、談志はこう言った。「俺と円楽の二人が死んだら落語界は終わる。俺一人でも生きていれば何とかなる。」当時、落語と言えば円楽と談志だと言われるほど二人の才能は評価されており、嘘とも本当ともとれる言い訳として、周りも納得せざるを得なかった…。
落語を愛して止まない彼の深い想い出話しであるが、この二人の落語家はもうこの世にはいない…。
きっと今頃、この広い空のどこかで円楽師匠と座布団の奪い合いでもしているのではないだろうか。
