川下り、安全と危険が同居するその狭間で…。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-天竜川

早朝から懸命の捜索活動が続く天竜川、転覆事故発生から2日経った今でも行方不明者は発見されておらず、現場には張り詰めた重苦しい空気が川の流れに沿って漂っている。

涼とスリルを同時に味わえる夏の風物詩『川下り』、夏場ともなれば多くの観光客で賑わう山と緑の合間を縫う様に走る天竜川が、死者2名、行方不明者3名を出す悲劇の舞台になってしまうとは…。

転覆の原因について、船を運航する天竜浜名湖鉄道の会見や「第11天竜丸」に乗船していた船頭からの証言などで「船が渦に巻き込まれて岩壁に衝突した」公算が大きくなり、操船ミスの疑いも浮上している。

転覆した船を乱気流に巻き込まれた航空機に例えてみればより解り易いのではないだろうか。渦によって舵を取られ、バランスを失った船は木の葉の如く川の底に吸い込まれて行った…。

このニュース映像を見た時、その風景に身に覚えがあり、それと同時に実に懐かしい情景が浮かび上がって来たので、もしやと思い磐田の友人に電話して転覆事故現場の事を告げると、思った通りの答えが返って来たのである。

事故現場の直ぐ上の山には、わたしが中学時代3年間に渡り療養生活を送った国立療養所・天竜荘(現天竜病院)と天竜養護学校(天竜特殊支援学校)がある。

 写真の左側に見えるのが、養護学校のある浜北と天竜市二俣町を結ぶ「鹿島橋」。看護婦のEさんに付き添って貰いながらこの橋を渡り、二俣町へ買い物に行った事を思い出した。

 友人と事故原因や救命胴衣などについて語り合い「浅瀬に乗り上げた」、「ライフジャケットは日常的に着用していない」等の意見が出たが、20代後半の頃、鬼怒川ライン下りを愉しんだ事があり、その時に救命胴衣などは手の届く所にあったものの、それについて係員から何の説明も受けなかった事を覚えている。

 天竜川はいつも天竜荘の山の上から見下ろすばかりだったが、一度だけ同級生のK君から「投網」に行くと誘われて小舟に乗り天竜川に繰り出した事がある。

 10代の頃、天竜川の支流の一つ「阿多古川」の上流で川遊びに勤しんだ事もあるが、その時も小学生と思われる少年が救急車で運ばれて行った。

 天竜川とは比較にならないほど小さな川であっても、危険は至るところに潜んでいるもの。泳げないわたしから見れば水ほど怖いものはないし、足の着かないほど深い所などへはとても行けない。

 スリルを愉しむために安全が犠牲になるような事だけは避けなければならず、「第11天竜丸」の操舵を任されていた船頭が、経験の浅い初心者だった事も事故の原因に繋がっているのではないだろうか。

 救命用クッションが全く活かされなかった事や、刻々とその姿を変幻自在に変える自然に対し、人間の奢りがあったと言ってしまえばそれまでだが、自然を一生の課題として捉え、今後このような悲劇が繰り返される事のないよう、関係者は細心の注意を持って自然に臨んで頂きたいものである。

 亡くなった方のご冥福を祈るとともに、いまだ発見されていない3人が可能性として僅かでも残っているのなら、生きて救助される事を願うばかりだ。