その木造で出来た長い廊下を、息を切らせながらゆっくりと登って行った。正門から十二病棟を目指して、その日の入荘者は私ともう一人小学一年生の斉藤君。そして私たちを気遣う看護婦さんと福祉課の人たち。
松林に囲まれた自然が溢れるのどかな風景の中を長い廊下がキシキシと音を立てて、一歩ずつゆっくり歩く度に軋んでいた。
どれ程の数の病人がいるのだろう? 私には全く知らされていなかったし、天竜荘(現在の天竜病院)へ行くと言われたのは入院先だった藤枝市立志太総合病院を出る時だった。
中学一年の十二月の初めだった。このまま元の藤枝中に戻っても授業については行けないだろうと、医者や学校の先生達やみんなが決めた事だったのだろう。
天竜荘は病気の子供達が親元を離れ、病気を治しながら勉強も出来るというシステムの整った病院である。元々はサナトリウムであり、その殆どが結核患者で占められており、それ以外の病人は12病棟のみであった。
天竜荘には元々学校は無かったが入院患者の大人が子供たちに勉強を教えたのが始まりであったと記憶している。(現在は天竜特別支援学校と改名)
患者の中には病名さえ解らぬ子供もおり難病で苦しむ子供もいて、それはとにかく病気の坩堝とでもいえる光景であった。
私と一緒に入荘した斉藤君(腎不全)は早くも帰らぬ人となってしまったが、多くの子供たちの命がこの場所から消えて行ったのは確かである。
私は此処で三年間暮らしたが、私にとっては居心地のよい所であったのも事実である。中には此処を嫌う者もいるであろうが、記憶の片隅にほんの少しでよいからスペースを残しておいて欲しいと思う。それが此処から永遠に旅立って行った子どもたちへの供養だと思うから。
