闘病記録2010。 | プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-入院

 年に何度も心不全を繰り返すわたしの心臓は、もう薬だけでは対処出来なくなってしまったのかもしれない。

 ステロイドが諸刃の剣と言われるように、薬は限度を超えて使用すると結果的に重い後遺症を生み、更には死に至る場合がある。よって医師はそれを計算に入れ個々の疾患に合わせ綿密なコントロール下で使用する。

 心不全の治療薬である利尿剤「アルダクトンA」「ラシックス」はその代表で、抗凝固剤のワーファリン(殺鼠剤としても利用される)と同様に23年間服用し続けている。

 2008年6月、不安定狭心症で緊急入院し、カテーテル治療により右冠動脈にステントを入れ、辛くも一命を取り止めたが、あれ以来心不全が度々起こるようになった。タナトリル、バイアスピリンなど薬の種類も大幅に増えて行った。

 そして新たに加わった心臓疾患が「三尖弁閉鎖不全」「収縮性心膜炎」前者は精密検査の結果、リスクの高い開心術を行ったとしもQOLは期待出来ないとして、薬剤による対処療法に留まった。後者の「収縮性心膜炎」も根治するには手術しかないと言われたが、経過観察で落ち着いた。

 今年11月下旬、我慢の限界を超える心不全症状が現れ始めた。メンタルクリニックで新たに処方された「ジブレキサ」「デパケン」を服用し始めてから急激に体重が増え始め、入院直前には正常値より8キロオーバーの68キロに達していた。

 11月30日、息苦しく不整脈もあり不安に駆られたわたしは、三井記念病院の循環器外来に電話を入れた。

「主治医が○○先生なんですが、心臓が苦しいのでこれから見て貰えますか」

「すぐ来れますか?」

「電車で1時間ほどですが、今すぐ向かいますので…」

会社に事情を伝えた後、病院に向かった。

 病院の1階にある自動受付を通さず、そのまま循環器センターの受付に行き、

「さきほど電話した神戸ですが、心臓が苦しくて…」

 事務服を着た若い受付嬢が、わたしの顔を見つめながら

「患者さんはどちらに?」と訊いて来た。

 わたしは無言で自分を指差した。見た目は健常者と何ら変わらないわたしを重篤な心臓疾患を抱えている病人だとは誰も気付かない。

 電話に出た看護師が車椅子を連れてやって来る。

「神戸さんですね、1階の救急センターに行きますので乗って下さいね」

 見慣れた救急治療室の重い鉄の扉が開くと、数人の紺色の上下服を纏った救急チームがわたしを待ち構えていた。

「神戸さん、大丈夫ですからね、ベッドに移りますよ」

 わたしの身体を支えながら狭いベッドに寝かせると、即座に点滴棒が運び込まれブドウ糖液%が混ざったヘパリンが左腕から投薬された。

 「えっ、点滴と言う事はもしかしてこのまま入院?…」

 口には出さなかったが、入院の二文字が脳裏を過ぎった。心エコーとレントゲンの準備が整うと、何処からともなく、二人の若い女医が現れた。

 一人はまだ研修医と思えそうな20代前半、もう一人もやはり若く医者になりたての女医であったが、この女医が今回の担当医となった。

 手際良く、心エコーの機材を使いながら、心不全の状態などを調べて行く。その間に左腕の動脈から血液が採取された。

「三尖弁の逆流と収縮性心膜炎がありますね、苦しくなったのはいつ頃からですか?」

「一週間ほど前から体重が増え始めて、身体が浮腫んで来ました」

「何か心あたりはありますか、食べすぎとか、水分摂り過ぎとか」

「ジブレキサを服用し始めてからですが…」

「ジブレキサ…?それは駄目ですよ、副作用が大きいですよ、その薬は即刻中止です」

 検査結果を待つ間に胸部と腹部のレントゲン撮影、二人の看護師と話しを交わした。

「手指が冷たいですねー、チアノーゼを起こしてる」

「お風呂に入っても手足だけ全然温まらないし、冷え性みたいになって」

「血液が身体の末端にまで行き渡っていないからね」

「サチュエーション94だわ、深呼吸してみてくれる」

 出来る限り酸素を吸い込んでみた。

「96まであがったね、よかった」

 数分後検査結果が告げられ、入院を余儀なくされたが家にどうしても帰る必要があったため、点滴を外し、病院を後にした。

 帰り際に女医が言った。

「もしこの状態で何かあったとしても責任は持てませんから…」

 そんな事は充分承知の上だった。愛猫を知り合いに預かってもらわなければならなかったし、修希君の心臓移植の事も気になっていた。

 12月1日、入院用の黒いバッグが重くて仕方なかったし、岩本町駅から徒歩約12分の距離は途方もない道のりに思えた。道の途中で何度もうずくまってしまいそうになりながらやっと辿り着いた入院受付。ソファに横たわり車椅子の来るのを待った。

 事務員に案内されたのは前回入院した時と同じ17階だった。その日担当の看護師がやって来て、

「神戸さんって確か前に1712にいましたよね」と血圧を測りながら笑顔で話し掛けて来た。

「よく覚えてるねー、一年以上も前なのに、また戻って来ちゃったのでよろしくね」

 気恥ずかしさを隠すように笑いながら誤魔化した。入院する度に家族構成や病歴、アレルギーなどを訊かれる。

 テーブルに「禁食中」と赤い文字で書かれた札が置かれる。そしてベッド安静、トイレには行けないし、移動は車椅子。そして当然ながらヘパリンの点滴。夕方近くになって漸く担当医が現れ、病気の説明をする。「右心不全」腎機能がかなり低下しているので、利尿剤の増量は不可。これ以上腎臓に負担を掛けると結果的に人工透析になってしまうためだ。

 現時点での利尿剤で効果がなく、心不全が改善しなければ収縮性心膜炎の手術適用となるが、かなり難しい手術であり死亡率も高いと言う。術後の結果も保証はなしで、やってみなければ解らないまさに賭けである。それほどリスクの高い手術を受けたいとは思わないが、頼みの綱である利尿剤が駄目だとしたら…。

 12月29日、退院後初めての外来だった。

「神戸さん、腎機能が退院時の時より悪くなってますよ、脱水起こしてますね…」

 ショックだったが、予感はあった。昨日から浮腫みが再発し、心不全状態である事を告げた。

「心臓も少し大きくなってます、自宅安静ですよ、食事には充分気をつけて」

「ラシックスの増量は本当に駄目ですか?」

「もうこれが限界です、これ以上増やすと腎臓が壊れてしまいます」

「やっぱり手術でしょうか…」

「うーん、悩むところです、確実によくなるとは言い切れないので」

 診察室でこれほど落ち込んだことはなかった。

「ジゴシン中毒も出ているので、ラニラピッドの服用を明日から半分にして下さい」

 仕事復帰の診断が出ないまま、会社に行ったことが祟ってしまったのだと思った。長く休んでいるし、不安でもあり焦っていた。

「とにかく様子をみましょう、来年早々に来れます?もしよくなっていなかったら、再入院になるかも知れません」

 今までの事を振り返ってみると、これらは全て自分が悪いのだと思った。自業自得なのだろう。少し調子がよくなると医者の言う事は無視して生活バランスを自ら崩す…。

 2011年を迎えるにあたり今更こんな事を言えたものではないが、もっと真摯に病気を受け止めようと思う。子どもたち、知人、友人、みんなが心配してくれている。その思いに報いる為にもお世話になった多くの人たちに感謝の意を込めて今年を締めくくりたい。

 今年一年お付き合い下さりありがとうございました。

 良い年をお迎え下さいね。