年々増え続ける児童虐待が今年最多とうい「子ども受難時代」が本格的に到来したようだ。明るみになっている数字は氷山の一角に過ぎず、隠れ虐待が日常的に日本の至る所で起こっており、子どもの発するSOSが途絶える事はない。
子どもの背中にライターで火を点けたり、小さな木箱に人形を押し込むように閉じ込めて殺してしまったり、子育てが嫌になり放置した若い母親など虐待のパターンは様々であるが、最も悲惨な事は幼い命が紙くずのように奪われることだ。
アルコール依存と同じで、虐待もまた依存という心に巣食う闇の病気であり、救うべきは子どもではなく、元凶の親である。
一時的に子どもを保護したとしても、いずれまた親元に戻り再び虐待の日々に晒されることとなる。それをわたしは幼少時に嫌と言うほど味わって来た。
酒を飲むと必ずわたしに暴力を振るう父。酔った父に対する恐怖心がピークに達したのは、初めて「殺される」と思った夜のことだった。
父の右手にはわたしの頭ほどの大きさの石が握られており、酒で崩れた真っ赤な顔は鬼の如く頭には角が生えているように見えた。
その鬼が石を持ちながらわたしを追いかけ回す。わたしはまだ小学4年生で、どんなに抵抗しても大人の男の力に敵うはずもなかったが、それでも必死で抵抗を試みた。
殴られ蹴られながら逃げ回り、泣く暇もなかった。恐怖が身体を突き抜けると悲鳴も止まってしまう。「家の中にいたら殺される」そう思うと、障子戸を蹴破って裸足で裏庭に出た。足の裏に突き刺さる小石などはどうでもよく、わたしが逃げ込んだのは「服部さん」宅だった。
顔を血だらけにして行き成り飛び込んで来たわたしに、菊枝おばさんは唖然としていた。わたしは「博ちゃん」の勉強机の下で丸くなり震えていたそうだ。
父が刑務所に入っている間は、親戚の家で世話になる。三食小遣い付き、しかも毎日お弁当を食べられるから「登校拒否」にもならずに済む。
父からの暴力を心配する必要もない日々は、本来の子どもの姿に戻れる一時だった。父が刑期を終えて出所する日が近づいて来ると、複雑な心境になった。
父に会いたい反面、父との暮らしが、またあの辛い日々が始まる・・・そう思うと実にやりきれなかった。わたしを助けるよりも荒れ狂う父を何とかして欲しい、それが本音だった。
ネグレクト(養育放棄)こんな言葉が普通に使われ始めた世の中で、大人たちの責任を検めて問い直してみる必要が迫られているのではないだろうか。
