原告側の訴えから5年の歳月が流れ、福田内閣の下で漸く和解が成立した「薬害C型肝炎訴訟」。国が責任を認め、患者たちを全面的に救う「薬害肝炎救済法」も成立した。感染に苦しんできた人たちに一筋の光明が指したわけであるが、これは氷山の一角が原告側の強い訴えにより凍りが溶け出したのである。
国は認めても製薬会社は責任をいまだ認めておらず、感染者たちが真の勝利を得るのはこれからである。
薬害は他にも多数あり代表的にはHIVなど。
国家と製薬会社が犯した大罪であるにも関わらず、原告側の悲痛な訴えが届くのに5年もの歳月が何故必要だったのか。
小泉政権時代、既にこの薬害問題は国を揺るがし、官僚や政治家そして製薬会社は何をすべきか分かっていた筈である。しかし国は謝罪すらせずその責任を隠蔽しようと企んでいた。
患者のカルテや手術記録を一切封印し、闇の奥深くに葬るつもりでいたのである。感染者同士が手を結び声を上げ、団結しなければ国家の罪を暴くことは出来なかった。
そして最近新たにC型肝炎ウイルスに感染した患者の記事が載った。1980年代に心臓手術をした患者たちである。「フィブリン糊(のり)」という縫合用接着剤が原因のようだが、感染者の数はいまだはっきりしていない。
友人たちはわたしのことを「強運の持ち主」と呼ぶ。わたし自身もそれを認めている。わたしが2回目の心臓手術を受けたのは1989年だった。
しかし、初診日は1988年。この時わたしの心臓を診た心臓外科医は即座に入院し、手術を勧めたのである。しかしわたしはそれを断った。「貴方の心臓では一年持ちません、直ぐに手術すべきです」わたしは首を横に振り、今は出来ませんと答えた。断った理由は今でも謎であるが、もし医者の指示に従い手術を受けていたなら、今のわたしは存在しなかっただろう。
当時、三井記念病院でもミドリ十字の血液製剤を使用していた。そう、エイズに汚染された非加熱製剤である。わたしにはその様な情報はひとつも知らなかったし、随分後になってから薬害エイズ事件を知ることになった。その時、わたしは鳥肌が立った。半年手術を先に延ばしその結果、自分はエイズから免れたのである。
本来であれば医者の指示に従うものであるが、これは天からの声だったのか定かではない。
エイズに限らず、C型肝炎からも免れた。
日本国内には一万人を超える薬害患者がいるという。今回救われた患者たちはその極一部に過ぎない。国と製薬会社は救済に向けスタート地点に着いたばかりである。全ての患者たちが平等に救われるのを願うばかりである。